#62→再生する


 もう年末か。月日が過ぎるのは早い。特に年を食ってからは、一日は長いが、ひと月がやけに早く感じる。


「……」


 リビングのソファに体を投げ出し、しばし休息を取る。波打ち際を散歩するのは、見える景色的に、夕暮れ時以外に選択肢は無いと思っているので、今の時期は自然と夕方五時前に出かけるのが日課となった。


「……」


 出窓からは、すっかり緑が失われた小さな庭が臨める。枯れた芝に囲まれた犬小屋からは、満足しきった顔を覗かせつつ、遠い目をして伏せている柴公が見えた。こいつも二か月足らずで大分大きくなった。


 「桜太郎おうたろう」、と名付けた。めぐみがホームセンターの中にあったペットショップで一目ぼれした、面長の結構な男前だ。


「ゴマ」の付く名前がいいなあ、「ゴマシ夫」とか「ゴマノフ」とか、と言い募る、ネーミングセンスだけは何処かに置き忘れてきてしまったような娘の提案をやんわりと却下してから、朝夕の散歩を徹底することを条件に、俺はその子犬の命名権をもらった。


 -子供の名前は、男の子だったら私の、女の子だったら恵一の名前にちなんだものにしない? 面白そうでしょ? 男が女、女が男、みたいな。


 さくらさんは時々突拍子もないことを言った。だが、俺はそれに乗っかる自分を楽しんでもいた。とにかくあの頃は、全てが、さくらさんと共に在りたかった。


 恵一から一字を取って、めぐみ。


 だから、今度はさくらさんの名前をもらうよ。


 周りは、世界は、変化を続けている。まるで俺だけが移り行く季節とか、成長していく生命とかに、置き去りにされているような感じだ。実際、そう言ってもおかしくはないのだろう。


 俺は今、駅ビルの中にある花屋で働かせてもらっている。花にはまだ触らせてもらえてはいないが、朝が早く、割と力仕事もこなせる俺は、そこの女主人からは重宝されているそうだ。人づてに聞いた話ではあるが。

 

 さくらさん、君のように、花の名前をたくさん覚えられるよう、努力する。実際、間近で囲まれてみると、花は、いろいろな表情を見せてくれる。君には、こんな顔が見えていたんだな。俺は今になってようやく分かったところだよ。


 そして、生活費を稼げる男になる、というのが俺の今年の目標だった。ぎりぎり達成できただろうか。いや、例えそれが出来たとしても、それは単なる通過点だ。


 来年の目標、聞いてくれるか、さくらさん。


 ハワイよりも、もっといい場所を検索して探し当てたんだ。いや、まあありきたりと言われるかも知れないが。


 ニューカレドニア。天国にいちばん近い島なら、君も来やすいと思って。


 めぐみと一緒に、必ず行くから、待っていてくれ。三人で、抜けるような青空と透明度の高い水の青を見ながら、波打ち際を、散歩でもしようじゃないか。


 -あーあー、どうしてそう思考が単純なんだろうねえ、大丈夫かい柏木恵一ぃ?


 -いいじゃないですか。単純が悪いって発想こそ、先入観に凝り固まっているように思えますけど。


 何だ、いたのか、まだ。


 シンヤも恵一くんも、どうやら俺の中に住み着きそうな感じだ。いや、もともといたんだろう。でもまあ、俺はもう、俺として人生を張っていくことを決めている。君ら両人に、感謝はそれこそしてもしきれないくらいだが、これからは、そんな感じで突っ込みを入れるくらいに留めておいてくれ。


 再び始まる。再び、生きる。そのことに、やけに前向きになっている自分に気づく。


 何やってたんだろうなあ、と思いつつ、かなわないなと、心の中で苦笑する。


 今も変わらない笑顔の、一人の女性の姿を思い浮かべながら。


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