#60:共振する/させる


 一週間はあっという間に過ぎた。俺は間近に迫る「ドライブ」を前に、それを目標に、今まで以上にリハビリに打ち込んでいたわけで。


 身体に感じる痛みでさえも、今は愛おしく感じるようになっていた。全てが、人生に張りを持たせてくれるようで、と言ったら言い過ぎか。


 何とか、身体を両脚で支えられるようにはなっていた。松葉杖は相変わらずだが、もう車椅子の世話になることは無い。清々とした反面、もはや体の一部となっていたようなその座り心地の良さに、もうおさらばしなければならないと思うと、それはそれで寂しい感じがしていた。


 病院の駐車場で、めぐみと待ち合わせる。


 今日の彼女は目の覚めるエメラルドグリーンのダウンジャケットに、白のパンツ。こんな服装……組み合わせに関しては、さくらさんの趣味には無かったよなあ、と思いつつも、ああ、もうめぐみがさくらさんの振りをする必要はないんだ、と妙に納得もさせられていた。


「柏木さん、また一時間半くらいのドライブになりますよ? しばし私のつたない運転にお付き合いいただければと思います」


 何か芝居がかったような、そんな感じだ。めぐみも高揚しているのか、その両目は奥に輝きを秘めていて、頬も赤みを帯びている。俺もこれから何が起こるか、不安と期待ではち切れそうになっているが。


「……」


 平日の昼間は、道もそれほど混んでいなくて幸いだ。上りも下りも空いている国道を、めぐみの駆るアトレーは快調に飛ばしていく。


 目的地は聞かされていない。ただ、この間通った、江の島までの道程をなぞっているかのようだ。どこに行くというのだろう? また砂浜か?


「……」


 運転席のめぐみは、鼻歌を響かせながらご機嫌のようだ。ぽつりぽつりと、俺が話す思い出のいちいちに、うふふんというような相槌を打ってくれている。俺も俺で、さくらさんとのきらきらとしたエピソードを、自分の娘相手に、滔々と語っているわけで。まあ何と言うか、本当に、救い難い。


 陽光を反射しながらうねる海面が遠くに見えてきた。そして、前に行った江の島を臨む海岸線のほど近くで、車は停められた。着いたのか?


「柏木さん。ずっと、お金送っててくださったんですよね。祖母は亡くなる前にようやく話してくれたんです。いろいろ複雑な思いはあったみたいですけど、言ってましたよ? 『あいつを許す気は毛頭ないが、心意気だけは認めてやらんでもない』って。ほんと、素直にはなれない人でした」


 ハンドルに両手を置いたまま、フロントガラスに何かが映っているかのように、めぐみはそこに何かしらを見ているようだ。そうか……さくらさんのおふくろさんが。そんな事を。


「……お前との、つながりを手放したくなかっただけなんだ。それにすがって、生き延びようとしていただけなんだ」


 要はそういうことだった。誰に認めてもらうことでもないんだ。


 <恵一は、一億円あったら、何がしたい?>


 さくらさんの、あの時の唐突な問いが胸によぎる。そうだ、送金して、送金して、それが一億に達すれば、さくらさんにまた会えるような気がしていたんだ。つくづく救い難い野郎だ、俺は。


「……学費とか、諸々助かったんです。だから私は、柏木さんにも育てられたって思っています」


 めぐみのわずかな笑みを含んだその言葉に、俺は返す言葉を持たない。


「でも、私ばかりが、そんな恩恵を一方的に受けてる場合じゃないな、とも、ある時思ったんです。柏木さんに返したいと思っていました。ずっと。もちろん、さくらさんにも」


 返す必要なんて、どこにも無い。お前はお前のために生きるべきだろ?


「降りましょうか。柏木さんに見せたかったものが、ここにあるので」


 めぐみに促されるまま、杖を突きつつ、降り立った俺は、辺りをぐるりと見渡した。潮風を体中に感じながら。


「……」


 今度こそ、言葉は出なかった。そこにあったのが、「海沿いの、白い壁の小さなお家」だったからだ。


 ともすれば、大声で叫び出したくなるくらいの衝動を、俺はよく抑え込んだ。だが、流れ出るものを堰き止めることは、どうあがいても不可能だったわけで。


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