#28:同意する


 さくらさんは一瞬後にはいつものさくらスマイルに戻っていたわけだけど、今の反応……は、一体どういうことだろう?


「……さあ、そろそろ帰りましょうか。映画は楽しめました? あと、このピネカも」


 しかし、にこりと微笑みかけられてそんな事を聞かれたのなら、こう答えるほかはない。


「……続編も是非観てみたいです。この映画館で」


 何とか噛まずに言えた。さくらさんは満足そうな、少し照れたような笑みを浮かべると、僕の車椅子の握りを掴んで、くるりと方向転換してくれた。そして、


「……」


 自動書記はどうやら終了したようだ。左手はひと仕事終えた感で、力無くペンを放り出し、毛布の下で横たわるようにしている。したためられたと思われる「予言3」を今にも覗き込みたい気持ちに駆られるけど、さくらさんの目がある中で迂闊にそれを見るわけにはいかない。僕は殊更にゆっくりした動作で、メモ帳とペンを車椅子のシートの隙間にまた挿し込み入れる。こいつは後のお楽しみだ。


 シアターから出て、係員の女性から丁寧なお辞儀をされつつ見送られた僕らは、エレベーターに乗って地上階へと。まだ明るい、秋の午後の昼下がりだ。陽光の思わぬ眩しさに目を細めながらも、僕はうっかり忘れていた鼻のクリップをさりげなく直し、においへの対応を行う。


 この三回の昏睡体験で確信した。「花のにおい」が僕の記憶を呼び覚ますのだろうということ。だから、他のにおいは案外大丈夫なんじゃないか? 花さえ気を付ければ、こんな不自由ななりをしなくても、気軽に外出が出来る、はず。何で「花」なのかは分からないけれど。


 それより、さくらさんもさっき、食事……外食について考えていてくれた。さくらさんとの優雅なディナー、自然と二人の距離も接近し……と、またしてもあっちの世界に思考が旅立とうとしてしまう僕だが、待て待て落ち着け僕。でもそれが本当に叶ったら、こんな嬉しいことは無いけど。


「……何か、このまま帰っちゃうのはもったいなくないですか? ちょっと散歩がてら、平和島の方まで歩いちゃいましょうよう。しながわ水族館っていう、ちょっと懐かしさを感じさせる水族館もありますし」


 ……何だろう、さくらさんはえらく上機嫌だ。好きな映画を観られたからだろうか、それとも……? 高鳴る鼓動を必死の深呼吸で抑えつつ、僕は、ああーそれいいですねえ、とまたもや間抜けな返事をするので精一杯だ。平和島? 水族館? 知らないけど(記憶が無いのかも知れないけど)、さくらさんと一緒なら、どこまでも、どこへだって行く所存ですよ? 

 さくらさんが歩き疲れないか心配だったので聞いてみるけど、ここから徒歩十五分くらいとのこと。うん、頃合いの散歩コースかも知れない。


 僕は周囲の風景が全部、きらきらと輝いているような、そんな錯覚を感じながらも、心地よい風の中、ゆるゆると運ばれていくわけで。幸せだ。はっきり言って。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る