#21:満足する


 天気に恵まれ、少し暑いくらいの日差しを浴びながら、JR横浜駅までの道のりを行く。さくらさんに車椅子を押してもらい、僕はこれがまた夢なんじゃないかくらいの現実感の希薄さを感じながら、秋晴れの街並みが流れていくのを見るとはなしに眺めていた。


「飲み物は、においの事を第一に考えて、ただのお白湯を水筒に入れてきたんですけど……何かそれだと味気ないですよね」


 さくらさんの涼やかな声が、僕の頭上から降り落ちてくる。


「……実は、飲み物とか食べ物については、いくつか試したんですよ。緑茶、ほうじ茶、その辺はいけます。食事はまだ、得体の知れない流動食だったんで、においも何もなかったというか、経験が無かったんでしょうね。反応は全然でした」


 対面さえしていなければ、僕はここまで流暢に話せるわけで。さくらさんの顔を見ると急激にあわあわと駄目になってしまうのは相変わらずなので、車椅子を押してもらっているというこの立ち位置、というか座り位置、いやシチュエーション、これこそが今の僕にはリラックスできて心地よい距離感だ。


「……なるほど。食経験が無さそうなものだったら、記憶を呼び覚まされることもないわけですね。じゃあ外食する時は、スペイン料理とか、アイルランド料理なんかのお店に行けばいいのかしら。うーん、でも食材的にはそこまで奇抜なものは少ないか……」


 考え込むように言葉が途切れるさくらさんだが、「外食」。今回はあくまで映画を観に行くのが主目的で、僕もまだ満足に食事も出来ないことから、観賞したらそのまま病院に帰ってくる予定だ。つまり今回以降の話をしている? また二人で出掛けることが出来るということ? そしてさくらさんもその事を、当然の、自然な事として考えてくれている?


 そんな夢想を膨らませながら、僕はまたしても恍惚とした世界に入っていきそうになってしまうけれど、待て待て、そんなお気楽な感じでどうする? 今日は気合いを入れて臨まなくちゃあならない日だろ。


「……」


 「聴覚によっても記憶が呼び覚まされる」ということは、僕がでっち上げた嘘だ。「予言」を遂行するための方便と言った方がいいけど、まあ本質は同じなわけで。


 でも今回は、「限定された状況下での、聴覚による記憶の想起」というものが「起きた」と思わせる必要がある。それによって、さくらさん、ひいてはシンヤに対しても、僕が伏せておけるカードが出来るということ、それが今後の事を考えてもアドバンテージになると僕は踏んでいる。と、そんな策略を巡らす僕に、再び上方から声が掛かった。


「……そう言えば、『アレ』、付けてます? ちょっとですね……医師として、確認しておかないと、なんです」


 さくらさんの口調が急に悪戯っぽい感じを帯びる。「アレ付けて」という響きに一瞬、勝手にどぎまぎしながらも、僕は左後ろ上方に首を捻りながら、口を覆っていたマスクを下に引っ張り、がっちりと鼻にノーズクリップが噛みついている顔を晒した。ことさら真剣なキメ顔で。こういう時に照れたり笑ったりは御法度だ。


「……!!」


 案の定、さくらさんのツボに入ってくれたようだ。吹き出すのを必死で堪えているけど、そんな表情のアナタも素敵ですよ。僕は、やってやった感を実感し、しばしの自己満足に浸る。


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