星鎮めのアルーン

蒸し芋

第一話 アルーン


 夜中の静寂を断ち切る光と振動が、楽園のような宮殿内を包み込む。大理石の壁に穴が開き、闇に染まった人影の群れが一気になだれ込んでいく。今日の空は新月につき、黄色いスポットライトをなくした深い青が一面に広がっている。数十秒もしないうちに、わっと慌ただしい声が響き始めた。

 爆発の発生場所から離れた、絶対の安全が確保された一室がある。幾つもの高級な調度品に囲まれ、部屋の面積も圧倒的な広さを誇っている。ぽつんとある天蓋付きのベッドの上で、一人の少女が緩く背伸びをしだす。

「来るのが遅いから、よく寝ちゃったわね。あとで文句をいってやろうかしら」

 床に足をつけると寝まきを脱ぎ捨てて、欠伸あくびをしながら隠していた服で身支度を整えていく。普段は侍女になされるがままで着替えるが、今日は気楽に一人でやれる。普段の煩わしさがないことに、思わず鼻歌が出てしまいそうだ。

 ショートの髪に前髪の一部が長く垂れさがる。綺麗に束ねると二つ折りにして、金の髪留めを使い固定する。装飾にオレンジの宝石が五つ、高貴な身分だけが使用を許されるものだ。少女の足元で光の玉がぼやっと揺れる。関節に線の筋が入った小人の自立型機械人形は、あたふたとしながら困り顔を作っている。

『アルーン様、アルーン様、本当に行くのですか? やめましょうよう、危ないです、怖いです、外界は野蛮で危険がいっぱいなんですよ』

 アルーンと呼ばれた少女が、手を止めずに微笑む。

「アバス、その言葉はもう聞き飽きたわ。無理強いはしないわよ。ここを出るのが嫌だったら、貴方は好きに残ればいいでしょ」

『アルーン様、それわかってて言ってますよね!? アルーン様が出ていかれて私だけ残っていたら、どうみても宮殿の者に壊されてしまいます!』

「ふふ、でしょうね。じゃあ、ついてくるしかないんじゃない?」

 アバスが興奮しながら、アルーンの足下で付近をうろうろし続ける。アルーンは腰を折りながら、蠱惑的に指で小突き返す。最後に小柄のナイフを鞘から引き抜くと、刃こぼれがないか確認して再び収めていく。

 窓に向かって歩き出すと、鍵を開けて押し開ける。足をかけ、手をかけながら床でへたり込むアバスの胴体を掴み込んだ。

『アルーン様、お戯れを。嫌です、こんな、』

「私より頑丈じゃない、涙の出ない泣きべそなんてかくんじゃないの。覚悟を決めなさい、――いくわよ」

『ま、待って、いやああぁああああああぁああああああ!』

 地面が眩むような視界のもと、アルーンの飛び降りと共にアバスの絶叫だけが部屋内に取り残される。一階、二、三、五、九、一五階分と重力にそって勢いよく落下速度が増す。地面に直撃すれば、発見された時には自殺者としてみなされるだろう。アルーンが真下に向かって手をかざす。

 途端に人体が急停止をかけるようにして、ピタリと動きが緩慢になる。姿勢を安定させると、両足で地面に着地してみせた。手に持っているアバスはキュ〜っとうなって伸びている。

 頭上を見上げれば、窓が豆粒サイズに等しい大きさだった。編み込みされた靴の踵を二度ほど鳴らすと、片手で髪を軽く整えていく。

「アバス、いつまでもぐったりしてないで、さっさと起きなさい。肩にしがみついてなかったら、あっさり振り落とされるわよ」

『嫌ですー、置いて行かないで下さいー』

 アバスが、あわあわと両腕でしがみつく。前方を向き、宮殿の端に飛行船が止まっているのが確認できる。アルーンは気軽な待ち合わせに向かうようにして歩き出す。

「うーん、背伸びしたくなっちゃう。外はやっぱり気持ちいいわね」

 赤い炎を明りにして浮かぶ黒煙と、うっすらと白煙のいり混じる光景が目に入る。一歩を進むたびに焦げつく匂いが鼻につく。

 計画していた作戦は半分ほど成功した。軽いいたずらが上手くいったことに、アルーンは握った手を口元へ当てながら喜ぶ。聞くところによると電撃戦を得意とする一団だ、襲撃場所にいつまでも残ってはくれまい。少し歩調を早め、飛行船へと向かう。

 この世界では旧文明の遺産を使い、魚を模した機械が空を飛ぶ。発掘される古代のオーパーツ、人工石によって現代の人々は生活を便利にしていた。眼前に見える飛行船は、小型の鯨級と呼ばれるサイズのものを改修しているのがわかる。

 遠巻きに眺めていると、立派な金属の尾が空に叩きつけられるのが見えた。なにかの合図だとわかり、離脱までの残り時間が少ないことを理解した。

「あら、回収の動きが早いわね。アバス、急ぐわよ」

『アルーン様、引き返しましょうよー。今ならまだ誰も、私たちが抜け出したことには気づいてませんから』

「当たり前でしょう、宮殿を襲撃なんて天空都市で初でしょうから。たるんでる警備なんて、もはやないに等しいわ。これから冒険の始まり、わくわくするわね」

『アル~ン様~!』

 アバスが情けない声をあげ、アルーンは更に足を速めていく。宮殿の壁に沿って片手を預けながら、鯨級の下腹辺りに到着する。

 なかを覗き込むようにして、ひょっこりと顔だけをだす。大型のハッチが空いており、近くには見慣れない服装をした見張りが二人いた。襲撃者だろうと当たりをつけ、視線だけ動かし周りの状況を把握していく。

「あったわ、あそこね」

 見張りの目を盗むようにして、ハッチとは外れた方へ足早に向かう。人型代の大きさがある、へクス型に刻まれた壁の前まで到着する。壁に手を触れると、壁の一部が連動して光の文字が浮かび上がった。

 要約すると手動解除コードおよび、口頭暗号を要求すると書かれていた。最近になって憶えた記憶をたどりながら、にんまり笑って口を開く。

「我らは風の如く、先は天空の果て、届くいただきは手中に」

 開けゴマのごとく。へクス型の扉が、空気圧を放出するような音を立てて綺麗に解放された。アルーンは勝手知ったる我が家のように、アバスの頭を撫でながら足を踏み入れていく。

『アルーン様、このあとはどうするのですか?』 

「襲撃した連中は、空賊の中でも指折りだと聞いているわ。よほどのことがない限り、失敗はしないでしょ。ここから船が脱出してほとぼりが冷めるまでは、どこかに身を潜めていましょう」

 ほの暗さは、非常灯が照らすていど。かすかに明るさを保っている廊下を歩きながら、目立たなそうな場所を探す。適当な部屋を見繕みつくろうと、生活感のある簡素なベッドへと腰かける。左右に上下三段、左の一番上を陣取ると、横になって意識がうとうととし始めた。

 アバスが全身を使い、アルーンの肩を激しく揺さぶりだす。人形じゃなければ、今頃びっしりと額に汗を浮かべているだろう表情だ。

『アルーン様、まさかこんな敵地のど真ん中で寝る気ですか!?』

「夜更かしは体に良くないって、お爺様にいわれてるから。陽が昇ったら起こしてね、お休みなさい」

 ぎゃーっと叫び声が聞こえたのを最後に、ゆっくりとまぶたを閉じた。


 *


「おい、いつまで寝てんだ。さっさと起きろ」

 アルーンは下から声を掛けられて、上半身だけ起こすと腕を後ろ手にしながら背伸びをする。口元に手をあてながら、あくびを一つした。視線を落とせば、狭い部屋の中で色んな顔が見えた。

 声をかけてきた青年は、非常に不服そうな面持ちで睨みつけてくる。周囲で一緒にいる人間は呆れ、畏怖、懐疑的など、あげればきりがない。どうもこちらの扱いに困っているらしく、どうしていいものか他の者同士で問答している様子まである。

「……ん、いい朝ね。みなさん、ごきげんよう」

「いい朝ねじゃねぇ、俺のベッドで勝手に寝やがって。ふざけてないで、早く降りろよ」

「え、ここって物置か牢屋じゃなかったの?」

 アルーンは目を丸くして驚く、自身が普段生活している場所と違うと。飢えず清潔で広くてなにの不自由もない、それが当たり前だからだ。

「ふざけんな、今すぐ拘束牢にぶち込んでやる!」

 眼前に黒光りするライフル銃の先が突きつけられる。素早い一連の動作を観察しきり、嬉しくなり思わず笑みがこぼれてしまう。

「いいわ、撃ってごらんなさい。断言してあげる、弾はでない」

「っんだと!」

 余裕ぶって挑発された青年が、苛立ちから引き金に指をかけていく。一つため息の漏れる音がすると、青年の横にいた背丈のある女性が口を開いた。

「場違いよお嬢さん、あなたはここに居ていい人じゃないでしょう。白色人種は天上人。そんな人が、なんで船内にいるの。理由を教えてくれるかしら?」

「天上人だなんて大げさね。別にあなたとなにも変わらないわ、私だって怪我も病気もするし」

「変わるわ。肌も目も髪だって、目立つ目頭の赤いめくれすじ以外は白一色じゃない。振われる超能力は、私達にとって恐怖の対象よ」

 小窓から登る朝日にアルーンの体が照らされる。袖の長い緩やかな服は、鮮やかな色彩を放つ。そして、体は頭の髪から足の爪先まで白いペンキを被ったみたいに真っ白だった。

『アルーン様、だから言ったじゃないですか!? やはり下界は野蛮なところです!』

 アバスがアルーンの背中からひょっこりと顔を出し、身振り手振りで必死に危険性を訴える。アルーンは人差し指を一本立てると、笑顔のまま無言で押し込む。

『やめて、やめてください、やめ……』

数秒のあいだ頭を押し続けると、やがて抵抗なく背中の奥へと沈んだ。

「お腹も空いたし、誰か船の中を案内してくれないかしら。どうせもう追手をまいて、宮殿からはだいぶ離れているんでしょう?」

「くそ、こいつ突っ込みどころしかねぇ! おいキジク、俺の判断で撃っても問題ないよな!?」

 青年が目配せしてキジクと呼んだ女性に合図を促す。いつでも発砲できる状況のさなか、キジクが目を細めながら両手に携えていたマスケット銃を肩に掛けなおしていく。

「名前はアルーンでいいのよね、こっちは船内で暴れられて撃沈なんて笑えない。ついて来なさい、まずは頭目に合わせるわ」

「キジク!?」

「バカね。ここに白色人種が一人でもいるってことは、船を丸ごと人質に取られてるようなものよ」

「撃たせろよ、納得いかねぇ!」

 キジクが青年を見据えながら、その場にいた他の男性に声をかける。

「強襲してたあいだ、船の搬入口には見張りを二人ほど立ててたはずよ。誰がやってたっけ?」

「俺と聞き分けのねぇ、そこのガキだな」

 男性は肩を竦ませながら、青年の方へと目を向けた。他にいた数人がお前かよと言いたげな視線でみてしまう。キジクは目を開くと、口から火を吐く勢いで怒鳴りだす。

「自分の失態で船を危険にしといて、我を通してんじゃないよ! これ以上もめようってなら、私がお前を空から落としてやる! わかったら、さっさと銃をしまいな!」

「……クソが、わかったよ」

 青年が悔しそうにライフル銃を下に降ろす。アバスはアルーンの背中でガタガタと震え、アルーン自身も少し目を丸くする。

「あなた、怒ると怖いのね。すごい迫力だわ」

「頭目はもっと怖いわよ。力だけでいえば、私は貴方の方が怖いわね」

「安心して大丈夫よ、ここに私の目を引くものはないし。せっかく窮屈な宮殿から出してもらえたんだもの。恩人に仇を返すほど、人間やめているつもりもないし」

「勝手に乗っといてよく言うわ。降りてらっしゃい、案内しないけど食事はとらせてあげる」

 キジクが部屋を出て手招きすると、アルーンはアバスの胴体を手掴みで持ち上げてベッドから降りる。銃を下ろしたままで睨む青年を下から見上げ、手の中に掴んでいたものを爪まで白い指ではじく。

 青年が片手で掴み切り、眉根を寄せながら手を開いた。手の平には硬貨が一枚、中心に赤いルビーがはまっている。市中で出回っている貨幣価値のなかでは、最上級から数えた方が早いものだ。

 余りにもいきなりのことに、青年は一瞬だけ固まってしまう。

「泊まる場所はホテルっていうのでしょ、だからそのお代。ベッドが臭くて硬かったけど、寝れたのは助かったわ」

 手をひらひらとさせながら、部屋をあとに歩き出す。背後から「おい、こんなのめったに見ないぞ」「なんで俺のベッドで寝てなかったんだ」など、様々な声が聞こえてきた。

 船内の廊下を歩く中で、キジクが突然に立ち止まる。振り返り、同じようにして立ち止まったアルーンに一声かけてくる。

「頭目に合わせる前に、一つ聞いとくわ。あなた、本気を出したらこの船を何分で沈められるのかしら?」

「うーん、そうねぇ……。外から確認できた胴回りの大きさからだと、船の背骨を二度ほど折ることになるでしょうから。ざっと五分くらいじゃないかしら」

「最悪ね、爆弾じゃない。まさか、白色人種でも位の高い身分じゃないでしょうね?」

「あら、よく気づいたわね。王族よ」

 さらっといわれたキジクは一つ頭を抱えたあと、無言でまた歩き出した。

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