64小節目 言葉にして、初めてわかる

 二人きりとなった場所。


「あの。ゆーとくん」


 向かい合って、先に口を開いたのは高野たかの玲奈れなだった。きれいな色白の肌にはっきりと朱が差しているのが分かった。


「ボク、こわかったんですっ。ずっと、ずっと」


 潤んだ瞳が、僕を捉えて離さない。僕に、何もさせなかった。


「人を好きになるって、素敵な事だと思ってましたっ……でも、こんなにも……こんなにも、こわいものだとは思いませんでしたっ。

 もし、ゆーとくんがボクのことを嫌いだったら。嫌いとまでいかなくっても……そういう、対象として見えてなかったら。他の子を好きになっちゃったら……って……ほら、ゆーとくんの周りにはいっぱい女の子がいるでしょ……?」


 高野の瞳から一粒、涙が落ちる。小さな身体が震えはじめる。

 それでも、高野は精一杯言葉を紡いでいく。僕から決して目線をそらさぬまま。


「そしたら、ボクはいてもたってもいられなくなって……本当は良くないことなのに。ダメなことなのにって、頭じゃきちんと分かってたけど……身体がもう、止まらなくなってっ……。

 ボク自身のことなのに、ボクにはもう、どうしようもできなくなってて……こわかった……こわかったっ……!」


 涙も鼻水も止まらなくなっていく高野を見ていられなくなって、僕は一歩、二歩踏み込んで……待ってくれ。少し考えた。

 このまま、僕の思う衝動のまま、高野を抱きしめていいのだろうか。あの時衝動に駆られて、高野のことを不必要に抱きしめ続けてしまったから、高野は今こうして僕に恋をしてしまっている。恋という呪いを、あの小さな背中に背負わされてしまっている。

 これ以上踏み込んで、抱きしめるということは、つまり……


「えっと……ボクっ、ボクは……こんな、ダメな人間なのにっ、ゆーとくん……ううん、ゆーとくんって呼ぶのもやめたほうがいいかな……見澤くんと、全然釣り合わないようなダメダメな人間なのにっ……こんな、こんなっ……」


 目の前のいる、大事な仲間が。

 こうやって、必死に想いを打ち明けて。

 自分を傷つけながら、それでもなお、必死に想いを伝えていて。

 自分の言葉で、自分の声で。どうしようもない感情に左右されて、訳が分からなくなって、泣きじゃくりながらも……僕の目だけは、ずっと、ずっと、見つめ続けていて。


 馬鹿野郎。考える必要なんて、どこにあるものか――!


「玲奈っ!」

「っ……!?」


 僕は真正面から玲奈を抱きしめる。

 思わず口にしたのは、彼女の名字ではなく、名前だった。

 初めて彼女の名前を知った時から、心の奥底で、何だか好きな響きだな……と、ずっと思っていた、彼女の名前だった。


「ありがとう、もういいんだ。もういいんだよ。玲奈。伝わった。玲奈の気持ち、全部伝わった。痛いくらいにさ……」


 事実、僕の心臓はぎゅうっと何かに強くつかまれているように苦しい。けれども、その苦しさは決して嫌なものじゃなくって、……何と言うんだろう。微妙なニュアンスなんだけど……受け入れやすいもの……? であって。

 だから、僕は、今……この言葉を、心から言える。


「俺は、今……初めてわかりました。こんなにも、俺のことを想ってくれるのが嬉しいってことが」


 玲奈が僕の背中に手を回した。しがみつくように、ぎゅうっと抱き着かれる。


「……今みたいに、こうやって行動で示してくれるのも嬉しいけれど……直接玲奈の想いを聞いて、俺はやっとわかったんだ」


 ……伝えられる。迷いはない。

 霧を晴らしたのは、玲奈のおかげだ。


 玲奈との距離を一旦離して、言う。

 玲奈の瞳を。

 玲奈の綺麗で強いその瞳を、真っ直ぐ見て言うためだけに。


「俺は……玲奈のことが、好き。たった今、玲奈のことが本気で好きになりました」


 玲奈は口をぽかんと開けて、しばらく固まっていた。信じられない……といった様子で。


「え? え? え……えっ……あ……っ」


 声にならない声を出して、あたふたとうろたえている。

 何だろう、人間、本当に嬉しいことが起こった時、本当に叶ってほしい願いが叶った時というのは、逆に受け入れないようにしてしまうものなのだろうか。


 ……これで信じてくれ。僕は、本気なんだって。


「見澤く……」

悠斗ゆうとがいい」

「……っ」


 玲奈の顔の至近距離まで僕の顔を持っていって、あからさまに目を閉じた。

 抱き着く、とか、そういうのは異性として見ていなくても十分にできること。

 だけど……こういうのは、本当に受け入れた相手ではないとできないことだろう? 少なくとも、僕らの年代にとっては。


「玲奈のタイミングでいいから」

「で、でもっ……!」

「俺は待ってる。玲奈の返事を」


 さっき、たくさんの想いを玲奈の言葉で伝えてもらったから。

 今度は、シンプルな方法で。


「ゆーと、くんっ……」


 ふー……と、玲奈が深く息を吐きだすのがはっきりと聞こえた。

 長めの沈黙。戸惑っているのか、おどおどしているのか。

 ……きっと、違う。頭のいい玲奈のことだ、何かを考えているのだろう。


「……行きます」


 果たしてそれはその通りだと、僕は思う。

 小さな声。しかし、決意を秘めた声。


 僕が小さくうなずくと、玲奈の熱が近づくのが分かって……僕の唇に、柔らかな感触がしっかりめに押し当てられた。

 ゆっくりと目を開ける。目線は再び、玲奈の透き通る瞳に。


「大好きの証。ゆーとくんに、あげました。……だから」


 玲奈に笑顔はなかった。その代わり――何かを背負ったような、真剣なまなざしで僕を見つめていた。


「ボクは……変わります」


 きっとそれは、覚悟の瞳。自分自身が変わろうとする、覚悟の瞳。そんな気がした。


 玲奈のその、したたかな瞳にうたれて――僕の中の何かも、大きく動き出した。

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