53小節目 どうにかなった……?
「……おはよう。心配をかけてすまない」
翌日、なんと
「ゆ……夢佳あぁぁーっ!」
僕と一緒に音楽室に入った
それをまともに受けた体格の小さい越阪部、そのまま後方にばたりと倒されてしまう。結構危ない倒れ方してたけど……多分、大丈夫そうだ。
「うっ、
「だって、だってーっ……!」
「分かった分かった……ありがとう、心音」
「夢佳ぁー……っ!」
「あはは……本当、心音は心音のまんまなんだな……」
周りの注目を集めるのも構わずに、心音は越阪部のことを抱きしめて泣きつき続けた。
その騒ぎのせいで朝練開始が十分程遅れてしまったが、事情が事情だからか、それとも元々の心音の人柄のおかげなのか……心音に対する非難の声は一切上がらなかった。
そして、越阪部は困ったような笑みを浮かべながら心音をひたすら慰めていたものの……その表情の奥の奥に、何か後ろ向きなものをひた隠しにしているように思えた。
--※--
「……ということだ」
練習終了後。越阪部から事情を聞くに……昨日心音が越阪部母に敗北を喫した後、なんと吹奏楽部顧問である
「正直吹奏楽部の復帰は難しいと思っていたから、私はまたフルートを吹けて嬉しく思っている」
しかし、言葉に反して声のトーンは低い。とはいえ、越阪部が何を思っているのかは何となく分かる気がする。
「にしては、何か引っかかってる感じがするけれど」
「……今回の件で私は吹奏楽部に大きな迷惑を掛けてしまった」
やはり、気にしているのか。悪いのは越阪部じゃなく、越阪部母であるのに。
「だから、今後は迷惑を掛けない。ありとあらゆる、全ての面で」
その氷のように鋭く尖らせた瞳は、一体誰を睨みつけているのだろう。
僕か、越阪部母か、それとも――越阪部自身か。
いくら何でも……気負いすぎだろ。
そう伝えたかったが、越阪部からただならぬオーラを感じて僕はその言葉を引っ込めてしまった。
安直な言葉とか、自分本位な言葉とか……そんなのは一切受けつけない雰囲気がしたのだから。
ああ、もし『あの時』に。僕が越阪部のことをしっかり見れて、そう感じて一歩退けていたら……。
僕は、自分の感情を上手くコントロールできなかった一昨日の僕を悔いた。悔いても越阪部の抱えているものは未解決のままだけれども。
--※--
「この楽譜をしまってきてほしいのだけど、私、昼休みに別の用事があるの。お願いできるかしら?」
休み時間、吹奏楽部部長の
なぜ一年生の僕になのかよく分からないけれど……別段断る理由もないので二つ返事で僕は引き受けた。
「あ、それならウチも一緒に――」
「ごめんなさい。
「ウチにも仕事あったんですか……!」
そういうわけで幼馴染の佐野
そして、昼休み。僕は中井田先輩から引き受けた用事を片づけようと音楽準備室の鍵を借りに来たのだが……。
「そこの鍵ならさっき他の子が取っていった。……何か企んでいるのか」
……中堅どころの女性の先生から、謎に敵意を向けられつつもそんな情報を受けた。
何となく予感がする。僕は階段を一段飛ばしで駆け上り、音楽準備室に向かった。
ビンゴ。こういうときの予感は当たるものだ。ちょうど僕が音楽準備室の前に着こうとしたときに、フルートを持ち出してどこかに行く越阪部を見かけたんだ。
頼まれた用事は別に急ぎでも何でもなく、そして昼休みはまだ始まったばかり。僕は迷うことなく越阪部を追いかけた。
たどり着いた先は――屋上。
楽器を持って屋上に行くんだ、多分やることは分かっている。けれども僕はドアの隙間から一旦越阪部の様子を見ることにした。
春のそよ風に吹かれて、木々がこすれざわめいている音が僕の鼓膜を揺する。その音に薄く乗っかってきたのは――やはり、越阪部のフルートの音だった。でも、その音は――以前合奏で聴いた氷のように冷たい音色ではなく、表情豊かで、それこそ春風に乗せられ運ばれてくる小鳥の歌のような、暖かく可愛げのあるフルートの音。
技術的には以前の方が安定こそしているのだけれども……今僕が聴いている音の方がずっと、心に染み渡ってきていい音だと素直に思えた。
そうか。……越阪部は、こんな素敵な音も出せたのか。じゃあ、なぜそれを解き放てないんだろう……?
……そんなの、明らかじゃないか。人前で自分を出せない呪いに掛かっているんだ、越阪部は。
親から猛毒のように過度な愛情を真正面から受けてしまい、それの抗体として時間をかけて出来上がった越阪部の強固な仮面が……こんな呪いを生み出したんだろう。そして、その仮面を外せるのが……多分、フルートを一人きりで吹くこの時間。
だから、多分僕がここから出たら、その演奏は泡と消える。何よりこうやってフルートを通じて、本当の自分を外に出す貴重な機会の邪魔をするんだ。僕にそんなことは出来ない――。
……でも、この越阪部の音楽が、越阪部の発散のためだけに消費されるのはとてももったいない。仮面を壊すには、いつか誰かがその越阪部だけの時間に割って入って破壊しなければいけないんだろう。じゃないと、いつまで経っても越阪部は縛り付けられたままになってしまう。
どうするべき、だろう。僕は。
そういえば、何でわざわざ中井田先輩が僕と心音にお願い事をしてきたのだろう。別に他の二、三年生の先輩でもいいと思うが、わざわざ一年生の僕らに、である。
中井田先輩のことだろう、何かきっと考えが……。
「……趣味が悪いな、キミは」
「あ……」
考え込む時間は終わりのようだ。
逃げることが出来た時間は、とっくのとうに過ぎ去ってしまった。
再度僕は、彼女と向き合わなければならない――。
気が付けば、目の前にフルートを抱えた越阪部が僕をわずかに見上げるようにして立っていた。
2/3程度開いた、くすんだ銀色をした金属製のドア越しに。
その微妙な距離が、僕と越阪部の今の距離だと思った。
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