♪45小節目 心歌わせ、みんなにとどけ
向けられた拍手の音は、前の本番よりも小さくて……何となく、軽い音のような感じがした。
だって、今日の主な観客は小学生。小さな手で、一生懸命……なのかどうかは正直分からないけども、ちゃんと拍手をしてくれている。トランペットはステージの一番奥にいるから、客席の様子は相変わらずよく見えないんだけど。
気のせいだろうか。どこからか熱を帯びた真っすぐな視線を向けられている気がする。
一曲目、コンクールの曲。小学生がまず知らない吹奏楽オリジナルの曲だから内面心配していたが、親しみやすい曲調であるからか予想以上に受けが良かったと思う。曲に多く散りばめられた先輩たちのソロもばっちりと決まっていた。
楽器も、場の空気も、そして僕自身も十分温まった。その熱を逃さないよう、部長と副部長が前に出てトークで場を繋ぐ。
「――次の曲……といっても、二曲だからもう最後の曲ですね! ほんとに早いねー
「かおる、話す相手は私じゃないわよ?」
「あ、ごめんごめん」
「それにさっきからあなたは自由過ぎるわ。ちゃんと台本があるんだから……急に振られても私、困るわよ」
「えー……? 文香……じゃなかった。みんなはさ、国語の朗読のときにアレンジとか入れたくないですか? 例えば『ごんぎつね』だったら――」
『ごん、お前だったのか。いつも家の栗をモンブランに仕立てあげていたのは』
「――って感じで」
「それはずいぶん器用なきつねね……」
クスクスと子供たちの笑いが漏れる。子供たちだけでなく、ステージ側からも思わず笑いが。僕もちょっと笑ってしまった。
すると、肩の力がふと抜けて楽になるのを感じる。コンクールの曲は今までで一番難しい曲、かつ感情移入をしてしまいがちな曲だったから……その分少し気持ちが入りすぎて余計な力が入っていたのかもしれない。
「……って。曲、紹介するわよ」
「ああ、ごめんごめん。……えっと、次の曲は皆さんもよく知っている曲です。楽しんで聴いてください!」
『パプリカ』
二人の声が響いた途端、客席が浮足立ったような感じになった気がした。その空気を逃さず、すかさずにドラムの先輩がビートを刻み始める。弾むような、跳ねるような独特のリズム。スキップするように軽い、しかし淡々とした足跡を残していく。司会を担当していた先輩たちは、その隙に演奏席へと戻っていく。
ホルンパートが立ち上がってメロディーを奏で始める。普段はほとんど注目の行かない場所に小学生たちの無邪気な視線が注がれる。前の本番の演奏用のホールとは違い、ここは多目的のホール。反響が弱いのもあってか、ちょっと音が硬い気がする。
けれども、多くの子たちは細かいことを気にしない。慣れ親しんだ音楽のメロディー自体を純粋に楽しんでくれている。身体を揺らしたり、うなずいてリズムを取ったり……中には全く微動だにしなかったり。それぞれ思い思いの方法で、音楽を楽しんでくれていた。
低音が入るのをきっかけに、主役はホルンのまま他の楽器たちも一斉に飾りつけに入ってくる。個性豊かな音色たちによって進行する聴きなれた音楽。自然に手拍子も上がってくる。
トランペットの出番はまだ先だ。『ミュート』という音色を変える部品をもう一度ぎゅっとベルの奥に抑え込む。演奏するときにぽろりと落ちたら大惨事だ。
Bメロに入って、サビのほんの少し前。ちょっとだけ合いの手を入れたら、ミュートを外して音が出ないように下に置く。
トランペットは案外休みの多いパートだ。休みなしにずっと吹いていると頬の筋肉に結構な負担がかかるため、作曲者や編曲者に配慮してもらっているんだと先輩は言っていた。あと……やっぱり音が派手だから静かな場面や他の楽器にスポットライトを当てたい場面ではトランペットは休みになりがち、という事情もあったりする。
よって、僕らがこの曲で本格的に吹き始めるのはサビのメロディーから。サックスがぐっと音を持ち上げ、ドラムがスネアを小気味良く叩いてサビへの橋渡しをしてくれるのに乗っかって、前のめりに一気に飛び込んだ。
まるで歌を歌うように音をみんなで紡いでいく。前で歌う木管たちの後ろから音を飛ばし、一体となる。僕だけのステージじゃない。みんなで協力して作り上げる空間。ステージにいる僕らだけでもなくって、聴いてくれている小学生たちの手拍子だって立派な音楽の一部。
みんな巻き込んで、みんなで手を取り合って……みんなで、心を通わせる。
色々なひとの『楽しい』という感情が僕の心に入ってくるようで……心の奥深くからじんわりと『楽しい』という感情が全身に染み渡り――それが息となって、
楽しさの循環。現れては一瞬で消える音楽の空間の中で、巡り巡って楽しさは大きくなっていく。
その空間を今いるみんなで共有する……それもまた、きっと音楽の楽しさなんだろう。
音楽というのは、ただ大人しく聴くだけじゃない。ただ音を提供するだけじゃない。
いい音で圧倒するだけじゃない……こういう、みんなで繋がって楽しめる空間を作るというのも、また、音楽の力なんだろう。
曲は二番を終えようとしている。まもなくCメロだ。
僕はその音楽の力に後押しされて、トランペットパートの中、たった一人で立ち上がった。すぐ左隣のトロンボーンの先輩と共に。
その先輩と横目でちらりと目を合わせる。先輩はまるで『星を手を伸ばしにいく』と言ったかのように小さく口を動かせば、すぐさま目線を前に……音楽を届けるべき相手に向けた。
星――この地球の外側にある、遠い果てにあるもの。手を伸ばそうが絶対に触れることができないもの。
でも、その先輩は『遠くにあることでも知ることは出来る。知るということはすなわち――私が星に触れた、ということと同義』と、ふふ、と独特な笑みをこぼしながら言っていた。
僕にはその意味がよく分からない。あの先輩は星に関しての執着心故に、意味深なことをよく口走る。
でも……今の僕には、何となくそれが感覚で分かってしまうような気がした。
僕にとって星のように遠くにあるもの、それは思い出の中の演奏。五年前ここで聴いた、強豪校時代の
そして、今……多分、僕はその片鱗を知ったんだと思う。音に震わされて、その衝撃だけが心に刻まれたように思っていたけど。
もしかすると、それって。錯覚だったんじゃないのか、と。
実は、空気に流されていただけだったんじゃなかったのか、と。
みんなで一緒に盛り上がる空気に単に飲み込まれていただけだったんじゃなかったのか、と……。
だとするならば、僕は。
僕自身の演奏によって……すべてを巻き込んで、飲み込んで。この演奏のとりこにしてやろうと思った。
楽器を持って三か月もない僕がこんなことを思うのは到底無謀だと思うけど。
無謀で馬鹿なことだと思うけど。
……思うけども、だ!
先輩は言っていた。
知ることは、触れることと同じなんだ!
思い出の演奏の正体を知った僕なら、その再現くらい可能だろう!?
楽しさは思考に変わり。思考は無謀な自信に変わり。
そして、その自信は……とんでもないことをしでかす原動力に変わってしまう。
トロンボーンの先輩のソロを受ける形で、僕はソロをぶっ放す。
自信に満ち溢れ、元気有り余るくらいの音で。
多少中だるみしつつある演奏を、再びぐいっと一気に持ち上げるような……そんな音で!
--※--
ソロとしては本当に短かった。実は、僕だけで吹く箇所はたったの二小節だった。
後になって考えてみれば、それっぽっちのソロだけで世界なんて変わるはずはない。
五年前の演奏からはきっと、クオリティだけを見れば遠く及ばないだろう。
でも。
「おれ、中学生になったら吹奏楽部入ってトランペットやるんだ!」
……なんて言葉をステージから降りる直前に聞いたら、飛び上がりそうになるくらいに嬉しかったんだ。
……嬉しいままで終わればよかった。
外は雨が断続的に降り続いている。
何でだろう。本番は成功したじゃないか。
何で、こんなにも気分が重いんだ。
何で……嫌な予感が、再びわき上がってくるんだ。
何で……。
そして。
「……
涙を瞳いっぱいにたたえた幼馴染に思い切りしがみつかれ――
「サックス……壊れちゃった……!」
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