42小節目 幼馴染と狭い部屋で二人きり、何も起きない(断言)

「努力するねー、悠斗ゆうとも」

「まあ、ソロ貰ったんだしもっと頑張らないとな」


 ハードケースから取り出した金色のトランペットにふっと息を吹き込んだ。気が付けばそれが、僕が楽器を吹くときのルーチンになっていた。

 まあ、何となく……気合が入るというか、そんな感じがする。


 僕は昼休み、幼馴染である佐野さの心音ここねと二人で音楽準備室にいた。目的はもちろん、小学生からのサックス経験者でありソロ慣れしている心音にソロに対してのアドバイスをもらうため。

 これから本番に向けてより頑張ってみることに当たって、心強い味方がかなり近くにいるというのはすごく幸せなことなんだろう。

 体育座りをしている心音は身体をゆらゆらと左右に揺らしながら、いかにも楽しみだといった表情をこちらに向けてきている。僕はもちろん、本番を想定して立って吹く。


「一体どこまで上手くなってるのかなー……ふふっ」

「妙にプレッシャー掛けるのやめろよな」

「プレッシャーじゃないよ。期待だよ、期待」

「あんまり変わってない気がする……」


 ……何だろう。これはこれで別の緊張感がある。心音というとっても近い存在ただ一人に聴かせるのって、みんなの前で一人で演奏したり、合奏中にソロを吹いたりするのとはまた違った緊張が僕の身体を硬くした。

 何というか、怖いとかじゃなくって……照れくさい、みたいな、そんな感じの緊張。そう、たとえるならカラオケのトップバッターとかで味わうような妙な緊張みたいなものかもしれない。


「悠斗、緊張してるの?」

「……少しは」


 思わず目線を逸らして答えると、心音はけらけらと思いっきり笑った。

 むっとしてふくれっ面になる。


「何だよ、そんなに笑わなくても」

「だって、ウチだよウチ。別にみんなに聴かせるわけじゃないし、何なら先輩に聴かせるわけでもないしさ。それでも緊張してるとか、悠斗ってホント緊張しやすいんだなーって……!」


 再び笑う心音。何がそんなにおかしいのか。

 ……いや、昔から人前で一人で吹いていただろう心音から見たら、多分おかしいのか。


「でもそんなに笑うことじゃないんじゃないのか……」

「面白いもん。笑うよ」

「そこまで直球に宣言されると傷つくんだが」


 もはやコイツは僕の持ち合わせているプライドなど全く考慮してない。良くも悪くも、自分の感情に素直すぎる……。


「ごめんごめん、あはははは!」

「反省してないだろ……」


 何だろう。そこまで僕を振り回すキャラじゃなかった気がするんだけどな、昔は。

 心音が変わったのか、それとも僕が変わってしまったのか。……失敗とか、挫折とかを経験して、いつの間にか暗くなってひねくれてしまっていたのか、僕は……?

 そして、僕がそうなったから……心音が強く出るようになった、とか? 分からない、けど。


「悠斗ー、早く早く。昼休み終わる」

「あ……そうだな」


 気が付けば、僕の身体は軽くなっていた。心音に笑われて緊張が少しほぐれたかもしれない。

 緊張が、照れくささが再びわき上がる前に……僕は息を吸って、トランペットを鳴らした。


 『パプリカ』のCメロ中にある、トランペットのソロ。フレーズ自体は短いし、難易度も高くない。それに元は歌があるから、どんな風に吹けばいいのかのイメージもつきやすい。全てを総合してもソロを吹く難易度は非常に低いと思う。

 けれども、いかんせん僕は楽器を持って数か月の初心者。自分の技術に自信を持てていない。だから……。


「やっぱ、何というか……おっかなびっくり吹いてる気がするんだよねー。あのドレミの時の思い切りの良さ、どこに行っちゃったの?」


 心音の言う通りだった。意識はしていないが、どうしてもセーブをして無難に吹こうとしてしまう僕がいた。緊張はほぐれているはずだから、緊張のせいじゃあない。

 思い切れればいい。分かってるんだ。分かっているけど……。


「……なんかさ、トランペットもあの時よりかは吹けるようになってさ、本番も経験してさ、吹奏楽の演奏も生で聴いてさ」

「うんうん」

「音楽がどんなものなのか、吹奏楽がどんなものなのかって、段々と分かってきてさ」

「うん」

「……そうなると、何というか……怖くなる、というか」


 吹奏楽の経験。音楽の知識。それが分かってくると、僕の実力がないということも分かってくる、ということで。


「理想に実力が追い付いてないことがはっきり分かっちゃってさ。それで、たとえ全力を出しても上手く聴こえないのが分かっちゃって」


 自信のなさ。

 ……もしかして、そこが僕の急所、なのか。


 確かに、一回僕は自分の実力を思い込んで大きな失敗をしたことがある。

 それ以来、僕は……もしかしたら、自分を信じるのが、怖くなったのか……?


「開き直ればいいじゃん」

「それができればいいんだけどさ……」

「悠斗って結構めんどくさいよね」

「自覚してる……」


 僕が入部するときも変な意地みたいなのが生まれて、我ながら中々にめんどくさい人間になっていたし。


「じゃあ、聞くけどさ」


 心音の表情が真剣なものに変わった。

 けがれのない真っすぐな視線が僕の目の奥を突き刺す。

 ……昼休みの喧騒が一気に遠ざかった。


 そして、心音は。


「そうやって吹いてて楽しいの?」


 ……こんな、鋭い問いを問いかけてくる。


「そうやってさ、周りから得た知識だとか経験だとかに支配されて、それに敵わないからって窮屈に吹いて……周りの目とか、評価とか、そういうのを気にしながら窮屈に吹いてさ。悠斗は、それで楽しいの?」


 楽しいか、楽しくないか。心音らしい視点から飛んできた、鋭い問いだった。


「楽しいわけない」


 ……そして、僕も即答だった。実際……楽しくない。

 苦しい。息が詰まるようだ。


「じゃあさ。楽しくないと思って届けられた演奏……聴き手は楽しいと思う?」


 僕は沈黙で返した。……当然、答えは分かっている。

 それを心音は察してくれたようで。


「……そういうことだよ、悠斗。楽しく吹こ!」

「うおっ」


 目いっぱいの笑顔を向けて、心音は立ち上がり僕の頬をぱしっと両手で挟んできた。


「辛気臭い顔しないの! 楽しいと思うには、まず笑顔からだよ!」


 にーっと笑った心音の顔がかなり近いところにあるのに気づいて、僕は思わずたじろいで一歩引いてしまう。

 っ……こいつは、こういうのを全く気にしないのか……? 少しは意識しないのか、こいつは……?


「あ、そうだ、ウチも吹こっか? それくらいは真似して吹けるよ、ウチ?」


 少し過激めなスキンシップをぶつけられて混乱している僕をよそに、心音は当然のごとく持参してきているサックスケースからアルトサックスを取り出そうとくるりと回った。


「っ……とと、わわわ!?」


 案の定バランスを崩す心音。ここまではいい。心音はよくよくドジを踏んで転んだり壁や電柱にぶつかったりするから、普段通りの光景だ。

 ……でも。倒れてきた方向がこっちなのは……普段通りじゃない!


「ちょっ、心音っ……!?」

「ごめ……っ……!」


 予想外の出来事に、僕は何の行動も取れず……心音は僕を巻き込む形で転んだ。心音は僕の上にいて、まるで押し倒しているかのような感じでいて。

 一応トランペットは床にぶつけていないから無事だと思う。だが……僕が無事じゃない。

 距離も当然相応に近くて……心音の息が唇に掛かるのを感じた。


「っ……」


 おまけに、ここは昼休みの音楽準備室。吹奏楽部の楽器庫と化しているここは結構狭く、さらに薄暗い部屋。

 そんな場所で、思春期入りたての男子と女子。こんなハプニングが起きてしまえば、当然……


「大丈夫? トランペット傷つけてない?」

「……へ?」


 全く普段通りすぎて僕は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。


 心音は僕の手に持つトランペットを確認し始める。顔が赤い、とか、耳が赤い、だとか、そんなのは一切合切なかった。

 ……こいつ、どうやら本当に何も気にしてないのか……?


「良かった、無傷で。あ、悠斗も無傷だよね、当然」

「あ、うん……」

「……どしたの? 何か顔赤くない?」

「気のせいだって……」


 何だか、僕が馬鹿らしくなってきたぞ……。




 あの後、何事もなかったかのように心音は僕のソロのフレーズを吹いて見せた。

 当然上手かったし、完璧に吹きこなしていたが……それより、心音はとにかくすごく楽しそうに吹くんだ。

 心音が吹くアルトサックスの音色は感情の塊だ。身体の芯から揺さぶられて、こちらも自然に笑みがこぼれてしまうような……そんな、すごく純粋な感情の塊。


 そして、そんな心音の音に乗っかってトランペットを吹いてみると……色々と吹っ切れて、楽しくなって。


「悠斗、楽しくなりすぎ! うるさい! 音が雑ーっ!!」


 ……心音に大爆笑されながら、何だかんだで技術的なことを思い切り指摘されまくってしまった。

 でも、嫌だとは思わなかった。何だか面白くて……楽しかった。


 忘れかけてた、かもしれない。

 音楽って、やっぱり……楽しくやるべきだ。

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