31小節目 激情も突然に

 同級生の高野たかの玲奈れなと、一緒に帰っている途中。

 僕は、あるきっかけから高野の過去を知ることになった。



「……離婚、したんですっ。2年くらい前にっ」


「ボク、あまりに出来が悪い子なのでっ……捨てられちゃいましたっ」



 捨てられた……? どういう、ことだ。


 想像以上だった。

 高野の過去は相当なものらしかった。


「……ごめんなさいっ、こんな話してしまってっ」


 言葉に反して、高野は笑顔を崩さない。


「あ、ううん。全然大丈夫だから……」


 ……何でそんなに笑えるんだろう。

 いや、多分……無理やりにでも笑顔を作らなければ、他の人には話せないようなものだから……なのかも、しれない。分からないけど。

 というか、そんな気持ち分かりたくもないけど……あまりにも悲痛すぎるだろう。


 両親に捨てられるだなんてさ……。

 僕にはそれをされる想像すらつかない。


 しかも、その理由が『出来が悪いから』と来た。

 ……そんなわけないだろ。出会って二か月も経っていない僕だって分かる。


 高野の姿勢はどこかズレてはいるけれどもとても真面目で、高野の音は小さいけれども耳を傾ければ強い意志が感じられて。

 そして、そんな高野を先輩たちはちゃんと評価してあげて可愛がっている。決して疎まれるような存在なんかじゃない。むしろ、今のトランペットパートにおいて必要な存在だと思う。

 というか、僕は前に高野の行動に救われたことさえあるんだ。


 一体……一体どこに、両親から捨てられるような原因があるんだよ……!


「……ごめんなさい……」

「え……?」


 高野の弱々しい声が聞こえて、僕は考えるのをやめる。作っていた笑顔は消えて……まるで、おびえている?


「怒らせちゃいました、よねっ……怖い顔してたから……」


 高野の言葉に僕ははっとした。顔の表面がふと緩んで楽になる。

 どうやら無意識のうちに、眉間の辺りに力が入っていたらしい。


 ……何だか今日はよく怒ってしまう日だな。


「高野に怒っているわけじゃないよ。高野の両親に怒ってた。一体どこが『出来の悪い子』なんだって思った」


 暗がりに浮かぶ高野の小さな顔に作られた笑顔は、やっぱり輝いて見えた。

 なんで笑うんだ。悲しく、ないのか……?


 ……僕は、悲しい。


「……成長が止まっちゃったんですっ」

「成長?」

「はいっ……ある時を境に上達しなくなって。練習しても練習してもダメで。まるで、絶対に越えられない壁みたいに思えましたっ……」


 壁にぶち当たる。そんなの、誰にだってある。僕にだってある。


「……それだけで捨てるようなものなのか」


 僕は捨てられたが……それは、スイミングスクールの先生と生徒、所詮は他人の関係だからであって。

 いくらなんでも実の子供を捨てる理由にはならないだろう。普通は。


「ボクの両親は、ボクを一流の音楽家にしたかったみたいなんですっ。それが出来ない子は両親にとって必要ないんです……」


 自分の子供に自分の願望を無理やり押し付けている。

 『上手いか下手か』のただ一点だけで評価し、他の見るべきところ……本来の高野の長所を完全に無視している。


 何とも……何ともひどい話だ。本当に。


「結局ボクの両親は色々と噛み合わなくなって、対立しちゃって離婚しましたっ。でも……その認識だけは、最後まで一緒だったんですっ……」


 僕は歯を噛んだ。やり場のない怒りをぐっとこらえる。


「……そう、か」


 けれども、言葉の節に身体の中からあふれ出てきた怒りが少し滲んでしまう。

 その怒りの感情を敏感に感じ取った高野が、慌てて口を開いた。


「で、でも、悪いのはボクなんですっ」


 何でそんなことを言う。

 何で自分を下げて、両親を上げるようなことを言う。

 ……何で、自分を否定するんだよ。


「……何で、だよ」


「『何もできない人間を、無償で養う義理はない』」

「は……?」

「お母様が別れ際に残していった言葉ですっ。……悔しかったけれども、何だか正論に思えてしまって……何も言い返せませんでした」


 高野が『何もできない人間』?


「……違う」


 語気の強さに僕自身でも驚く。……でも、もう止まれない。


「違う! あんなの正論じゃない。高野は何もできない人間なんかじゃない!」


 高野がびくりと身体を強張らせて身体を若干引いたのが分かる。

 怖がらせてしまっている。……でも、それを分かって僕はあふれる思いをぶつける。


 心からの叫びを、ぶつける!



「お前のひたむきさは、俺を頑張ろうって気にさせる。お前の放っておけなさは、パートみんなを惹きつけてる。そして、お前の音はすごい力を持ってるんだよ……!」



 僕は小さな高野の肩を両手でつかんだ。

 そして、真正面から高野の顔を見据えて、伝える。



「……道を見失ってどうにもならなくなった俺を、強引に引き戻すくらいのものすごい力を!」



--※--



恵里菜えりなは何もできない人間なんかじゃない!』


『恵里菜の音はちゃんと支えになってる。あたしが保証する! あたし達には、恵里菜が必要なんだよ!』



--※--



「そんな高野の音は、ちゃんと俺の支えになってくれたんだよ! だから、これからも、この先も……高野の音は、絶対に必要になる!」



 こんな時に、脳裏に何か映像が流れ込んできた。

 思ってもない言葉を言った気がする。言わされた気さえする。

 ……でも、そんなのに構っていられない!



「……だから、自分を否定しないでくれ。……俺が、傷つくから……」



 僕は高野を強く見た。

 ……どんな顔をしているんだろう、俺。


 そして、そんな僕の顔を高野は一切見なかった。ずっと、うつむいたままだった。


「……ごめん、なさいっ」


 漏れ出た言葉は、謝罪の言葉。……聞きたくない。


「謝らないで。もっと傷つく」

「ご、ごめんなさいっ」

「だから謝るなって」

「ごめ……あっ……」


 高野は口を手でふさいだ。なんて言えばいいのか戸惑って固まっている。

 僕は高野の肩を掴んでいた手を離して……元の距離感に戻って笑ってやった。


「はは、困った?」


 高野はこくりと小さくうなづいた。そして……。



「……ありがとう、ごじゃいま……ございましゅっ……じゃなくて、ございますっ……!」



 あまりにも盛大な噛みっぷりだったので、それがおかしくて僕は心から笑った。

 高野も赤面して恥ずかしがりながらも、一緒になって笑ってくれた。


 紅色にほんのり染まった頬には、一筋の涙のあとがあった。



--※--



「じゃあ、ボクはこの辺でっ。遅くまで付き合ってくれてありがとうございましたっ」


 きっちり90度のお辞儀をする高野。T字路の向かい側に、高野が居候している友達の家があるらしかった。


「ううん。こちらこそ……色々話してくれてありがとな」

「ありがとうはボクの方ですよっ」


 高野との距離は帰る前とは明らかに近くなっていた。高野の事情を色々と話してくれて、それに対して僕が思ったことを率直にぶつけて。そんな経験を二人きりでしたのだから当然と言えば当然だ。


「あはは……それじゃあ、また明日な」

「はいっ。また明日ですっ。……『ゆーとくんっ』」


 唐突に名前で呼ばれてドキッとした。

 そして、そんなことを仕掛けてきた高野は恥ずかしそうに僕の元から駆け出して離れていく。

 その勢いのまま、高野は住宅街の細い車道を突っ切ろうとする。



 ――車の走行音がわずかに右側から聞こえた。




--※--



 花岡先輩らしき女子生徒と、山先輩らしき女子生徒が二人並んで歩いている。

 花岡先輩の方はロングヘアで、山先輩のポニーテールは小さめ。脳裏の映像の中の二人はこんな髪型だ。


 山先輩はふらりと、住宅街中の細い車道を横断しようとした。見通しは悪い。


 車の走行音がわずかに右側から聞こえた。


『かおる!?』


 腕を掴もうと花岡先輩は手を伸ばした。



--※--



 まるで、脳裏の映像に僕が突き動かれたような感覚がした。



「……っ!」



 僕は素早く手を伸ばす。

 伸ばした手は高野の細い腕を掴むことができた。高野の腕がちぎれそうなくらいに、強引にこちらに引っ張る。


「ひゃっ!?」


 高野が横断しようとしたT字路に銀色のセダンが結構なスピードで通り過ぎていった。

 そして、僕は……高野を後ろから強く抱きしめるような格好になっていた。


見澤みさわ……くん……っ……」



 弱々しい声色。


 もしかしたら、高野を目の前で失っていたかもしれない。



 ……わき上がる恐怖。高野を抱きしめる腕の力が強くなる。

 自然に身体が震えてくる。




 ……なんだか、この身体が僕のものじゃないような気がしてきた。



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