13小節目 楽しむ権利

 部活が終わった。僕はいつも通り、幼馴染の佐野さの心音ここねと、その友達である越阪部おさかべ夢佳ゆめかと共に家路についている。

 部活が同じ、帰り道も同じとなれば、この2人と一緒に帰るのが日常となるのは当然のことだった。男女比も1:2で何もおかしくない。部活だと男女比1:30、先生込みでも2:30というとんでもないことになるからなおさら。そしてこれを聞いて『こんなのハーレムじゃん』なんてはやし立てる外野の妄想と、当事者の現実との乖離かいりはもっととんでもない。


 断じて言おう。ここはハーレムではない。錯覚などするわけがない。

 まあ、確かに、わりかし女子ばかりの中で上手くやっていけている方ではあると思うけれど、でも、ハーレムなんてものじゃあない。……というか、僕的には真のハーレムの方が疲れると思うんだがその辺どうだろうか。


 ……とまあ、それは置いておいて。話題は当然今日の部活での初めての合奏についてのものになる。


「うるさい」

「少々やかましかったな」


 ……で、こいつらが開口一番に僕に言ってきた感想がこれだった。

 どうしてこうなった。


「あの、まっすぐそう言われるとわりとマジで凹むんですが」

「いや、別に音を出すなとは言っていないが」

「失敗しちゃったらどうしよー、って音出ないよりは全然いいんだけどね?」

「……」


 これは、フォローされてるのか……? なんか、なんか、僕に対してのヘイトが高い気がするんだ。


「だが、キミは少々力を制御しきれていない面がある。……まあ、初心者の私が言えた義理ではないかもしれないが、それでも先ほどのは耳障りだと思わざるを得ない」

「ぐはっ」


 フルート吹きの越阪部に指をびしっと突き付けられて、たじろぐ。正直、越阪部に正面切ってそこまで言われるなんて思っていなかった。


悠斗ゆうと、初心者の夢佳ちゃんにそこまで言わせるんだから相当だよ」

「やめてくれ、俺を殺す気か……というか俺も初心者だぞ、初心者殺すなよ……」


 僕は何も反撃なんてできない。ただただ助けを請うことしかできない。哀しいかな、吹奏楽部の男子の立場というのはこういうやつなのである。まごうことなきマイノリティ、すなわち弱者なのである。

 二人して弱者をいじめて何が楽しい。初合奏くらい、楽しかったなー満足満足、で終わらせてくれ……。


「というか、なんか当たり強くないか……?」

「そりゃあ、あんだけ暴れた挙句、何か満足気な顔しているんだからムカつくでしょ」

「えー……」


 ……僕、初合奏で相当気持ちよくなってたらしい。周りが全然見えなくなってたんだろう、多分。やっぱりそこはしっかり反省すべき点なんだと思う。

 とはいえ、言われた相手が幼馴染の心音じゃあ、こんな悪態もついてしまうわけで。


「まあ、彼の気持ちも分かるのだがね。私も初めての合奏が終わった直後は、充実感を感じられた」


 しかし、問題は越阪部の方だ。なんか妙に引っかかる感じがする。口ではそう言っているが、越阪部の表情はなんとなく浮いていない感じがした。

 だから僕は、そこに突っ込んでみる。


「……じゃあ、なんで越阪部はそんな微妙そうな顔のままなんだ?」

「ああ、私、もともと感情が出にくいからな。そう見えてしまうのも仕方ない」

「いや、そうじゃないんだ。多分、本当に何か引きずってるような感じがして」


 心音もうすうすそれを感じていたらしくて、同意するようにうなずいている。越阪部は観念したかのように、静かに話し始める。


「……参ったな。キミの言ってることは、間違いではないよ」

「でも、どうして?」

「やっぱり、思ってたより上手くいかなかった、ってことなんだろうな」


 越阪部は、橙色に染まる空を見つめながら語る。夕日に照らされてできた雲の影が、やけに暗く不気味に見えた。


「もちろん、私のような音楽初心者がいきなり上手く演奏できるだなんて思ってなんかない。でもさ、やっぱり、下手なのって嫌じゃないか」


 ……下手なのは、嫌。入部する前の僕じゃないか、それ。


「私がキミに対してちょっと当たりが強くなっていたのは、多分そこもあると思う。言い方は悪いが、下手なのに何を満足してるんだって、さ」


 考え方って、人と環境でこうも簡単に変わっちゃうのか。あれだけ下手なのを嫌っていた僕が、越阪部の言う通り下手なのに満足してしまっている。それに気づいて、僕ははっとした。

 そんな僕を見てか、越阪部は若干気まずそうにこう付け加える。


「……あー、私の考えを押し付けよう、だなんて思ってはないつもりなんだが……それでもキミに対してこんなことを思ってしまうなんて、私もまだまだ子供なんだと思う」

「ううん。大丈夫」


 僕は越阪部の言葉を気にしなかった。そして、これから僕がとる行動というのは。


「……俺の先輩は、音楽をやるのが楽しいからここにいるって言ってた。下手でも、音楽ができるからそれでいいって」


 今の僕の考え側に引きずりこむっていう行動で。無意識のうちにとっていた言動に、心の中で笑いが止まらない。

 ああ、俺、今の真中まっちゅー吹奏楽部のカラーに完全に染まったんだな、って。


 しかし、越阪部は静かに首を横に振る。


「私の先輩もそういう考えの持ち主だ。でも、私はそう考えちゃいけないと思う」

「越阪部……」

「音楽だけじゃない。他の事だって、上手にできるから『こそ』楽しいだろ。他の人がどう思うのかは分からないが、少なくとも私はそう思う」


 上手にできるから『こそ』楽しい。越阪部の言葉が、僕の心にぐっと入ってくる。

 ……何だろう。何でだろう。僕には、その言葉に既視感がある。妙な気持ち悪さ。


 そして、空を見つめていた越阪部は視線を下に落として。


「……だから、まだまだ下手くそな私が、今日の合奏は愉しかったなんて……思っちゃいけない」


 その言葉を受けて、心音が強めに反応する。


「夢佳、それは違うよ」

「心音、すまない。私を否定しないでくれないか」


 越阪部の表情はあまり変わらない。でも、怒っているという感じじゃなくて……何だか、葛藤に悩んでいるような感じだった。だから、そう言われてしまった心音も――


「夢佳……」


 ――それ以上、その考えは間違ってると、強く言うことができなかった。




--※--




「夢佳は結構ストイックなとこあるんだよね」


 越阪部と別れ、心音と2人で帰り道を歩く。越阪部は僕が転校した後に心音と友達となったとのことで、一緒に帰っていはいるものの、実のところは越阪部のことはあまり知らないままだ。楽器も違えばクラスも違うので、中々越阪部と一対一で話す機会というのはなかった……というか皆無だし、越阪部のことを深く知る機会というのもなかった。

 だから、こうして今、心音から越阪部のことが語られている。


「それでいて、結構負けず嫌いなとこもあって……クールに振る舞ってるけど、ほんとは結構熱い子なんだよ」

「さっきのやり取りで、何となく俺もそう思った」

「くすっ、悠斗なら分かるか」


 少し笑う心音。でも、すぐにその表情は曇って……悲しげになって。


「……でもさ。夢佳、自己評価が低いというか……自分自身をすごくちっぽけに思ってるとこがあって。『私にはそういう権利がない』だとか、そんなことをすぐ言って自分を低くしちゃうんだよ」


 自分の友人が、自分の価値を低くして、蓋をしている。それはやっぱり、何ともつらいことで。

 そして、その友人のコンプレックスを心音が未だに解消できていないということも意外に思った。


「ウチが『そんなことない』って言っても、夢佳はさっきみたいに『私を否定しないで』って言ってさ。そこだけは、ウチと夢佳が全然分かりあえてないとこで……」

「……何だか、意外だな」

「どうして?」

「心音はそういう壁を作らないし、作られたとしても壊しちゃうだろうって思ってたから」

「ウチ、そんな超人に思われてた?」


 心音は歩みを止める。

 こいつ、こんな表情できたのか。見たくなかったけれど……。

 眉をハの字にして、口端は微妙に上がって。すごく、すごく……色んな感情が入り混じった、複雑な笑みだった。


 僕はつられて足を止めて、心音の表情を見て……目をそらした。心音はそんな僕を気にも留めない感じで、話を続ける。再び、前に歩き出す。


「ウチさ、人から褒められたことはすごく誇りに思うタイプなんだよね。知ってるでしょ?」

「……うん」

「それにはちゃんと理由があって。人から褒められたとこをさ、自分でけなしちゃうと……ほら、その褒めてくれた人に失礼でしょ?」


 だから、ウチはそんなこと絶対にしないんだよ。そう言い切る心音は、やっぱりすごい。


「もちろん、今言ったことは夢佳にも伝えてる。夢佳が自分をいじめると、ウチも悲しくなるって、ちゃんと伝えてる。……でも、それとこれとはどうも夢佳には違うみたくって」

「違う……?」


 心音の理由は、越阪部のような自分を低く見がちの人にすごく刺さりそうなものだ。なのに、越阪部は心音の言葉を拒否した。

 一体、なんで……なんて思っていると、それはなんでそうなるのっていう理由が飛んできて。


「……『私を認めると、私じゃなくなるから』って」

「え……?」

「さすがのウチも、よく分からないよ。ウチ自身が、夢佳と正反対の考え持ってるからってとこもあるかもしれないけどさ」


 自分を低くすることが、アイデンティティであるということ。あいつ、なんて悲しい考えをしてるんだろう。まだあまり越阪部のことをよく分かっていない僕にだって、そんなことをしなくても越阪部らしさというものは十分に感じられる。

 なのに、あいつは……心音の言葉でさえ突っぱねるような強固な意志で、自分を低くし続けている。


「どうにか、ならないのかな……」


 そう小さくつぶやいた心音と一緒に、越阪部が見ていた夕方の空を眺める。くすんだ橙色の空には少し夜の色が混じってきていた。

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