9小節目 ひよっこ達のソロコンサート
「うわ……」
パート練習の時間が終わり、音楽室に戻った僕は絶句した。なぜなら、戻ってきた音楽室がいかにも発表会をします的な雰囲気に変わっていたからだ。
「み、みみみ
隣にいる同じトランペットパートの1年生、
「さすがに緊張しすぎじゃないか……?」
「で、でももももも、この音楽室の雰囲気、ボクは無理……」
「あー、結構がっちりやるんだなって俺も思った……」
学校椅子は客席のようにずらりと整列され、音楽室の黒板には『2019年 新入部員ソロコンサート』と、題名がデコレーションされて書かれている。ソロコンサートと言っても、演奏するのドレミファソラシドだけど。
「玲奈ちゃん。ちゃんと吹けるようになってるから大丈夫っ」
「は、はいっ。先輩が言うのなら……!」
トランペットパートのパートリーダーである
何か山先輩に不思議な力があるのか、それとも単に高野が山先輩を慕っているだけなのか分からないけど、それでもすごい変わりようだ。
「席はどこでもいいけど、パートごとに固まって座ってね」
長谷川先生の指示に従い、僕らトランペットパートは山先輩の主導のもとに、前方ど真ん中に位置取る。山先輩ならそうするだろうと思った。それはまだ、いいんだけど……。
「何で俺がど真ん中のど真ん中に……」
あろうことか僕は超ど真ん中に配置された。端っこにいたかったのに。
「面白いから?」
「ええ……」
なるほど。吹奏楽部における男子はこういう、女子のおもちゃ的な扱いをされるものなんだな。うん。他の男子が僕のことを見てどう思うかはさておいて、少なくとも僕は全く嬉しくない。全くだ。うん。
全ての吹奏楽部員が音楽室に戻って、予定時刻も過ぎた。頃合いを見て前に出た長谷川先生が手を3回叩くと、お喋りは一斉に止んだ。
「それじゃあ、時間になったから始めようか。名付けて、2019年新入部員ソロコンサートだ!」
静まり返る音楽室。空気が冷めきった。
「あはは、やっぱりみんなあんまり乗り気じゃないか」
「ウチは乗り気ですよ!」
心音の主張で音楽室が笑いに包まれる。目立ちたがり屋で自己主張が強いところ、全然昔と変わってないじゃないか。僕だけ、少しこっぱずかしくてため息をついてしまう。
「まあ、今回は本番の雰囲気を少しでも味わってもらおうと、ちょっとした発表会風にしたんだ。嫌だと思う人もいるだろうけど、この先人前で演奏する機会はたくさんある。ぜひ、この機会を利用して慣れてもらえれば嬉しいな」
やはり、長谷川先生の目的はこういうことだったようだ。にしても、楽器を持って間もない僕らにいきなりこんなことをやらせるなんて、長谷川先生は意外と鬼なのかもしれない。
「そうそう、発表者は吹く前と吹く後にちゃんとお辞儀をすること。もちろん、舞台慣れのためだ。それに、そうした方が雰囲気出るでしょ?」
うん。鬼だ。爽やかな声と優しい口調しておいて、発想が鬼だ。
「さて、それじゃあ順番は……」
「ウチが最初にやります!」
「佐野さんは一番最後ね」
「えー!?」
「経験者が一番最初に吹いたらその後がやりにくいでしょ? だから、一番最後」
まるで漫才みたいなやり取りにまたしても笑いが起こる。これ、何だかんだで一年生たちの緊張をほぐす作用もあるんじゃないだろうか。そう考えると、子供から何にも変わってない心音のスタンスも、案外悪くないのかもしれない。
笑いのどさくさに紛れて、山先輩が僕の肩をつついてきた。何ですか、と僕は問いかける。
「見澤くん。最初、やりなよ」
「え、俺、ですか?」
「うん。男らしく、ね?」
山先輩が僕にウインクする。確かにどうせやるのなら最初にやっちゃった方がいいのかもしれない。でも、さすがに心音みたく僕から行くのは無理だ。
「それはさておき。トップバッターとして適任なのは、思い切りが良くて、その後の発表者がやりやすい空気を作ってくれるような人がいいな。とすれば……」
長谷川先生と目が合う。……どうやら、僕から行かなくてもそういう運命だったみたいだ。
「見澤くん。最初、お願いするよ」
どちらにせよ、演奏する順番は回ってくるんだ。それにここで弱気になったら、唯一の男子として非常に情けないことになる。
覚悟を決めろ、僕!
「はい」
「いい返事をありがとう。気持ちがいいよ」
それじゃあ、前に出て。そう促された僕はトランペットを握りしめ、意を決して立ち上がった。
ぽん、と後ろから肩を叩かれる。後ろを見ると、山先輩が僕に向かって笑顔でウインクしながら、ひらひらと手を振っていた。思いっきり吹いてきてね、と、そう言われた気がした。
僕は山先輩にも、はっきりと頷いてみせた。
決意は固めた。けれど、やっぱり緊張はする。身体に不必要な力が入ってしまうのを感じる。
どうせ僕は先輩たちや心音より上手く吹けないし、それに楽器を持って一週間も経っていない人が出せる音なんてたかが知れている。みんな、僕が下手だというのは分かっている。
でも、弱い僕は見せたくない。少しでも見栄を張って、少しでも上手く、強く見せたい。そう、弱い僕が悪あがきをしている。
ああ、割り切って開き直って、今の僕の実力のままに思い切り吹ければどんなに楽なことか。……だけど、不器用な僕にはそれができない。
少しでも身体の力を抜こうと、僕は深く息を吐いた。そして、みんなの前に立つ。音楽室中の全ての視線が僕に降り注ぐ。心音も、高野も、山先輩も、それに長谷川先生や音楽室の奥に飾られてあるベートーヴェンやバッハ、モーツァルトからも僕に注目している。
だめだ、だめだ、だめだ。頭が真っ白になりそう……! 押しつぶされそうな感覚を覚えながら、僕はがちがちでぎこちないお辞儀をしてしまった。みんなから拍手が上がる。そうだ、先生が言うにはこれはソロコンサート。お辞儀をしたら拍手が上がるのは当然のことだ。
僕は震える手でトランペットを構える。何だよ、高野にさっき緊張しすぎだ、って言っておきながら本当に緊張しすぎなのは僕じゃないか……!
情けない。ああ、ほんとに情けない。見栄張って、意地張って、少しでも上手く、少しでも強く見せようとする気持ちに反して、現状はこんなことになっている。
ほんと、僕って弱いな。そう、小学校の時も、確かこんなことがあった気が――。
「っ……」
何だ、この感じ……!
不意に、強い視線を感じて僕は現実に揺り戻される。
まるで、何かに引っ張られるような。視線で引っ張られるだなんてそんなの聞いたことも無いけれど、さっきの僕は確かにそんな風に感じ取った。
そして、その視線の送り主は……どこにも、いない? 気のせいじゃない。気のせいじゃないけれど……どこにも、いない。
だけど、なぜか少し冷静になれた気がする。自信を持てた気がする。今の自分を全部出せる、そんな気がしてきた。
息を吐く。そして、思い切り吸う。それは、たった数秒の楽曲の幕開けを意味する。
行ける! 僕は勢いのまま、トランペットにありのままを吹き込んだ。
最初の一音、ド。音色とか音程はともかくとして、ちゃんと大きな音が出た。それだけでもう、僕は十分だった。
最初の一個さえ出てしまえば、あとは流れに乗って音階を駆け上がるだけ。何も深く考えることはないんだ。ただ、身体で感じて、身体で吹く。それだけのことだ!
僕が音を届けた時間はほんの一瞬だった。最後の高いドを吹き切ると、僕の音のわずかな残響を音楽室から聴くことができた。
そして、演奏が終わった後の余韻を感じる。何とも清々しい、そんな気分。演奏前に極度に緊張していたのも相まって、僕の頬が自然に緩むのを感じた。
もちろん、演奏後のお辞儀もしっかりする。拍手を受け取って、僕は小さな即席のステージを後にした。
達成感と高揚感に支配される中、僕が席に戻ると山先輩が満面の笑みで僕に話しかける。
「見澤くん、とっても良かった!」
「そ、そうですか?」
「うんうん! 正直あれだけ堂々と吹けるなんて思わなかったよ。さっすが男子、肝が据わってる!」
「あはは、ありがとうございます……」
べた褒めで照れる。正直どう反応したものかよく分からないから、とりあえずお礼を言う。
「見澤くん、急だったけれどトップバッターありがとう。いや、実に見事だった。トップバッタ-としての役割、完璧だったよ」
長谷川先生まで……嬉しいけれど、なんか妙に居づらい感。けれども、ただ褒めるだけではなかった。
「そうだな、とりあえず早急に直すべき点は1つ。音色かな。今の音色じゃあ合奏になったときに一人浮いてしまって目立ってしまう。……決して美しい、聴いていて惚れ惚れする音色じゃなくていいんだ。みんなに寄り添うだけでいい。ちょっと難しいかもしれないけれど、意識しないと音は変わらないからね」
「はい」
さすが長谷川先生だ。的確に分かりやすく、それでもって優しく僕の直すべき場所を指摘してくれた。
「ただ、見澤くんの素晴らしいところはその怖いもの知らずの音量だ。普通、楽器を始めたての子は自信を持てないがために、こういう機会では音量が小さくなってしまう。けれど、見澤くんはしっかりと息の量を確保した上で、いい音量で吹き切った。これは中々できることじゃないよ。素晴らしい」
長谷川先生が僕に向かって拍手をする。すると、部員たちもつられるように温かい拍手を送ってくれた。こっぱずかしいけれど、嫌な気分じゃない。僕は目を閉じて、その拍手の音を噛みしめるように聞いて、僕の心に落とし込んだ。
「さて、こんな感じで進めていこう。雰囲気は掴めたかな? それじゃあ次は……」
--※--
僕は最前列のど真ん中で、色んなドレミファソラシドを聴いた。印象的だったのは、その発表の都度長谷川先生が直すべき点と良い点を全員に言って、拍手をしていたところだった。例えば高野なら……
「やっぱり音が小さいのが一番気になったかな。どんなにいい演奏でも、音量がないと相手には残念なことに伝わらないんだ。音量を出すには息をしっかり楽器に入れること。息を楽器に入れるには、息をしっかり吸うこと。それじゃあ、息をしっかり吸うには? ……息を予め吐いておくことだ」
……みたいな感じで優しくアドバイスした後、
「けれど、高野さんの演奏への意識は2、3年生も見習う点があると俺は思ったんだ。多分、それを感じ取れた人は少ないと思うけれど……高野さんはドレミファソラシドにちゃんと役割を込めて演奏していた」
と、誰も気が付かないような良い点を拾い上げたのち、
「最初のドは音楽の基盤となるように。レミファはドが作った基盤をもとに音楽をより安定させる感じに。そして、ソラシで音楽の流れを変えて、少し不安定さを混ぜる。そうすることで最後の高いドの安定感が強くなり、そのまま音が引いて一つの音楽が終わる。……ちょっとざっくりとした説明だったけど、このように、単なるドレミファソラシドでもちゃんと音の役割に向き合うことによって、音楽的な効果だったり強い印象を聴き手に与えることができるというわけだ」
という感じにそれを説明してくれた。その時の高野というと、驚きとうれしさとが混ざり合ったのか、少し涙が出ていた。
「さてと。……もう、最後かな。佐野さん」
「はい!」
心音が思い切り席を立つと、ガタンとけたたましい音がした。学校椅子が後ろに倒れたからだ。
「うわっ!? あ……あはは、ごめんなさい……」
心音が音楽室の笑いを誘うのは何度目だろう……。
「はいはい、落ち着いて落ち着いて。それじゃあ佐野さん、経験者らしい演奏、頼んだよ」
「頼まれました、先生!」
前に立った心音は自信の塊のようなものだった。そして、心音が持つアルトサックスから出てくる音色も、さっきまでの初心者とはまるで別次元の……雲の上から降り注いできて、手を伸ばしても決して届かないと思わせるような、そんなものだった。
これが、心音の実力。これが経験者の余裕。たった数秒の、それもただのドレミファソラシド。それでもなお、実力の違いというものはハッキリと出る。
それをまざまざと見せつけられた僕は、お辞儀をする心音に呆気にとられながら拍手をすることしかできなかった。
長谷川先生も無論、べた褒めだった。
「素晴らしい。中学一年生にしてはとてもよく吹けていると思う。特に音色に関しては、すでに人を惹きつける魅力みたいなのを感じるね」
そんな長谷川先生のコメントに心音の照れ笑いが止まらない。……しかし。
「欲を言えば、音量が物足りないかな。もっともこれから身体が成長していくに従って肺活量も増えていくだろうけど、頭の片隅にでも入れておいたほうがいいかもね」
はい、とうなずく心音。先ほどのパフォーマンスをもってしてもなお、改善すべき点は上がってくるのか。
さらに。
「それに、これは俺が個人的に心配していることなんだけれど……佐野さんはソロに慣れすぎている気がするんだ」
「え……?」
そっか、心音はずっと一人で演奏し続けていたからソロに慣れていたのか。
ソロに慣れすぎている。それが、何の弊害になるのか……なんとなく僕には察しが付いた。
「合奏になったとき、上手く佐野さんの音色が合うのか俺は少し心配なんだ。……まあ、佐野さんの力があれば大丈夫だとは思うんだけど。合奏の時は、周りの音を聴いて合わせるということを意識してみるといいかもね」
「はい」
心音は返事こそしたが、表情が曇った。あれだけ色々言われてしまえばそりゃ落ち込むよな……。
「さて、色々言ってしまったけれど、佐野さんの演奏が素晴らしかったのは間違いないからね。佐野さんに、改めて拍手をしよう」
拍手を浴びる心音。一応の笑顔で応えていたけれど……その笑顔に、演奏前にあった勢いはなくなっていた。
まあ、本当の本番後に外部から色々言われて落ち込むよりかは全然いいとは思うし、それに心音のことだから立ち直りも早いでしょ。
僕は少し落ち込んでいる心音を特に気に留めることはなかった。
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