3小節目 狙った獲物は逃さない

 中学校の生活にも何となくは慣れてきた……とは思う。細かな違いはあれど、授業の流れとかは小学校とさほど変わらない。ちょっとだけ大人扱いをされる感じ、くらいだろうか?

 クラスメイトも何だかんだで僕のことを覚えてくれている人が結構多かった。というか、基本僕と交友があった人はみんな覚えてくれていた。もっとも、外見なり人間関係なり色々と変わってはいるみたいだけれど。


 ……さて、ここまでは非常に順調な中学生デビューを果たしているかのように見える僕であるが、一つだけ大きな問題がある。


 部活だ。部活が、決まらない。


 小学校2年生以来の夢であった吹奏楽部は見るも無残な状況で、かといって他の部活に入りたいとは中々に思えない。転校した先で水泳はやっていたけれど……まあ、ちょっとした出来事があってもう二度とやりたいとは思えないし。というかそもそも水泳部がない。


 で、部活が決まらないとなると、仮入部の時間が近づくにつれ僕のテンションはだだ下がりになる。何というか、そう、モヤモヤとした微妙な感情が僕の頭を一杯にしてしまう。


「おーい。……悠斗ゆうと、また先に行ってるねー」


 心音ここねはなんで僕を吹奏楽部に来る前提で言っているのだろうか。……いや、まあ実際何かのきっかけがあれば来ちゃうんだろうけどさ、吹奏楽部。


「ん」


 そんなこと言う気力もないので、言葉は聞こえてますよ、の意味で適当に返事をする。そして無気力な僕は、大きくて重そうな横に長い黒い箱を持って教室を出ようとする心音をぼーっと眺めた。


 ……ん? 何だ、その黒い箱?


「ひゃっ!?」


 心音が教室を出かけた瞬間、案の定その黒い箱がガタンと大きな音を立てて教室の出入り口に突っかかった。もしかして、マイ楽器というやつなのだろうか。そんな物を既に学校に持参している所からして、どうやら心音は吹奏楽部に入る気満々のようだった。


 ……いいよな、こうやってやりたいことに真っ直ぐでいられるのってさ。心音みたいに素直になれば、どれだけ楽なことだろうか。

 今の僕は、幼い時から抱いていた憧れを裏切られたショックと、周りの目を気にする性分と、あとはもう僕にも分からない後ろ向きな感情と……とにかくもう色んなものが複雑にごちゃごちゃと絡み合っていて、強固なバリケードを組んでいるって感じ。


 机を離れたい。けど、離れられない。スクールバッグだけは、僕の手で確かに握っているけれど。


「はあ……」


 大きなため息をついてしまった。無意識だ。小学校にいた時はこんなこと……普通にあったか。うん。

 ……結局どこかしらの部活には入部しなきゃいけないから、仮入部行かなきゃだよな、でもなあ……なんて、色々難しく考え込んでいたら。


見澤みさわ悠斗おおおおお!!」


 廊下の遠くから僕の名前を呼ぶ、女子生徒の叫び声。教室のドアが、ガラスが、ガタガタとけたたましく不気味に震える。……めっちゃ怖い。

 そして、その声は、教室の震えは、加速度的に大きくなってくる。……めっちゃ怖い!!


「……ぉぉおおおおおっっりゃああっ!!」

「うおおっ!?」


 そして、僕のいる座席の真ん前に、何か、女子が、来た。上履きの色が緑だから2年生。怖い怖い怖い怖い……。


「な、なんの用でしょうか」


 僕は何とか絞り出した言葉で、とりあえず用事を聞くことに成功した。内心バクバクで身体硬直してるけど。


 すると、2年生の女子生徒バーサーカーは。


やま先輩直々の命令により強制連行致す」


 ……はい?


「えっと」

「山先輩直々の命令により強制連行致す」

「その」

「山先輩直々の命令により強制連行致す」

「……あ」

「山先輩直々の命令により強制連行致す」


 しまった。吹奏楽部の刺客だこれ! 僕があの吹奏楽部でトランペットを体験してしまったから、もっと言えば長谷川先生に不注意でぶつかってしまったからこんなことに……!

 絶対に逃さない。たくさんイイことしてア・ゲ・ル。切れ長の唇でニタリと不気味に笑う山先輩の顔が脳裏に浮かんだ。


 くそお。こうなったらもう打つ手は一つしかない。古今東西、最終手段の常套手段として用いられてきた、あの手だ。


「逃げ」

「られるとでも思ってた?」


 不敵に笑みを浮かべる女子生徒。信じられないことに、僕の身体が微動だにしない! それもそうだ、いつの間にか僕の両手両足は座っていた学校椅子に可愛らしいピンク色のスカーフで縛り上げられて身動きは完全に取れなくなっていた。

 これは……もう、無理だな。うん。


「……吹奏楽部、行きます」

「よろしい」


 僕は足の拘束だけ解いてもらうと、その末恐ろしい女子生徒に大人しく吹奏楽部へと連行されていったのだった。なんてこった、吹奏楽部ってヤバいんだな……。




--※--




「いらっしゃーい。今日も来てくれたんだね、あたし嬉しいよ!」

「ドーモコンニチハ……」


 来たんじゃないんです。来させられたんです。というか山先輩が命令したんですよね。


「そんでもって、未瑠みる。いい仕事だったよ、ぐっじょぶ!」

「でしょ、でしょ? 粕谷かすやの必殺技、『超高速拘束術』が炸裂しましたもん!」


 僕を連行した張本人が得意げに胸を張る。どうも、その粕谷先輩という人もトランペットパートらしい。こんな危険人物を飼い慣らす辺り、山先輩は結構すごい人なのかもしれない。そんな山先輩、僕がそのことを聞く前に自分が命令したってバラしてるじゃん……。


「あとあと、心音ちゃん。情報提供ありがと」

「どういたしまして!」


 山先輩の後ろからストラップで首からサックスをぶら下げた心音がひょっこりと顔を出す。おそらくさっき教室の出入り口で突っかかってたマイ楽器なのだろう。やっぱり馴染むの早いなー……。


 ……というか。


「元凶はお前かよ」


 おかしい。今日の楽器体験もまだだってのに、何か疲れてる。


「あんな雰囲気出されたら荒療治が必要だなって思って、先輩に悠斗のことを言ったら解決してもらっちゃった」

「はあ」

「とりあえず、ウチに感謝してね」

「何で」


 色々と不服だけど、連れてこられたものなら仕方がない。結局今日も、僕は仮入部の時間を吹奏楽部で過ごすことになりそうだ。……逃げたら今度は死ぬかもしれないし。


 はあ……僕、男だってのに情けな……。


「お。みんな、仮入部どうかな」


 柔和で透き通るような低い声。ここにやって来るようなこの声の持ち主といえば、もちろん長谷川先生だ。山先輩がすかさず、長谷川先生の質問に反応する。


「そりゃあもう、イイ感じですよ。少なくとも去年よりも人は多いです」

「そっか。それは何より……」


 長谷川先生は安堵の表情を浮かべた。新任でまだこういうのに慣れてないからなのだろうか、何となく長谷川先生は顧問の仕事にちょっと必死な感じがする。先生という立場上、それを表には出しにくいんだろうけど。


「多分、長谷川先生のおかげでもありますよ。ほら、長谷川先生って人気ありますし」

「え? そうかな……そう言われるの、結構照れるんだけど」


 粕谷先輩の一言に、照れ笑いをしながら頭をかく長谷川先生。……これの仕草、女子にとっては破壊力やばくないだろうか。事実、山先輩が少し頬を赤らめて小さく足踏みしてるし。


「そう言えば、見澤くんだっけ? 今日も来てくれたんだ」

「は、はい……そう、ですね」


 間違っても強制連行されました、なんてことは言えない。ころされる。


「昨日はトランペットを勧めるようなことを言ったんだけど、結局の所自分がやりたい楽器をやるのが一番だからさ。色んな楽器を触れるのは仮入部期間しかないから、色々と回ってみるのもいいよ」


 何だかんだで、長谷川先生は優しい。……もっとも、絶対に獲物は逃さないオーラはやっぱりあるんだけどさ。

 そんな言葉を聞いて、黙っていられないのが山先輩。


「えー、トランペットの味方をしてくれてたんじゃないんですか?」

「俺は吹奏楽部全員の味方だからね」

「ケチ」

「どこもケチじゃないと思うんだけど……」


 相変わらず、本当に先生と生徒の距離感には思えないんだよなあ……。


「まあ、とりあえずはそういうことだね。んー……そうだな、とりあえず触る楽器としては弦バスなんてどうかな? 吹奏楽唯一の弦楽器で、それ故に他の楽器とは構造が全然違う。だから、少し触るだけでもいい経験になると思うんだ」


 弦バス? 僕がどの楽器かと辺りを見回していると、あれだよあれ、と心音が指をさした。身長の高さ位、いや、それ以上ある大きなバイオリン。それが僕の弦バスに対する第一印象だった。


「なるほど、弦バス。弦バスの人、ウチの部長なんだけどめっちゃ上手いから見てったほうがいいよ」

「へー、そうなんですか」


 粕谷先輩が長谷川先生の提案に納得したように付け足す。たった今、弦バスを弓で演奏している女子生徒。高めの身長に、さらさらして艶のあるロングヘアを携えている。ああ、この人が部長なんだ。


「未瑠もトランペットを裏切るの……?」

「かおる先輩、粕谷はそんなつもりで言ったわけじゃないです……!」

「そんな、あたしは未瑠だけはずっと信じていようと思ってたのに」

「かおる先輩、この粕谷の目を見てくださいよ! 粕谷はかおる先輩をずっと、ずっと信じて……!」


「……見澤くん。時間も惜しいし、一緒に行こうか」

「そ、そうですね」


 ……隣でトランペットパート崩壊の危機を眺めながら、僕は長谷川先生に付き添われて弦バスを弾いている部長の元へと向かった。

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