0-5 ただその一振りで

「ナーくんッ!!」



ニーヤの悲痛な叫びが響く。



俺はこれで何度目とも知れない痛みに、思わず意識を手放しそうになる。



「へへっ、案外粘るじゃねえかよ……この腰抜け野郎が!」


「がはぁっ!!」



鳩尾に男の蹴りが突き刺さり、派手に地面に転がる。肺の中の空気を無理矢理吐き出され、まともに呼吸ができない。


身体中が自分のものでないように重く、焼けつくように熱を帯びている。勢いよく咳き込むと、血が混じっていた。



「けっ、楯突いた時は威勢が良かったがこの様か。ガキが、ヒーローごっこはもう終わりか?えぇ?」


「しかもお前、よく見りゃ左腕がねぇじゃねぇか。ママのお腹の中に忘れてきたんでちゅかー?」


「いっ……てろ…糞、野郎……」


「いいねぇ……その調子だっ、とぉ!」




踏みつけられた右手から、みしりと嫌な音が鳴る。あまりの激痛に、声もあげることができずにのたうち回ることしかできない。



殴られ過ぎて、自分が今どこにいるのかすらはっきりしない。朧気な視界の先に彼女を見つけると、俺はなけなしの力を振り絞って立ち上がる。正直、まだ生きているのが不思議なくらいだった。



男たちは4人ががりで、なおかつそれぞれが武器を持っていた。一対一であればなんとかなった自負はある。しかし、状況は考えうる中でおよそ最悪のものだった。




倒れ伏す村人を介抱しようとしていたところ、突如としてその男たちは襲いかかってきた。


誰一人として知らない人間だったが、その暴力に酔った目を見ただけで、まともな職に就いているものでないことはすぐにわかった。



主犯各らしい男によれば、ある人物の依頼とやらで、ニーヤを拐いに来た、ということだった。


俺はそれに──自分でもよくわからない、凄まじい怒りを覚えて──立ち向かった、のだが。




「オラオラどうしたナーくぅん?可愛い彼女が泣いてるぞぉ?」


「お願い!もうやめて!こんなこと、もう……ナーくん逃げて!!お願い!!」




ニーヤは背後から男に羽交い締めにされ、剣を首筋にあてがわれて動けない。ぼろぼろ涙を流しながら叫んでいる。



殺す気はまだないのだろう。男たちは剣を使わず、下卑た笑いを浮かべながら俺をいたぶり、楽しんでいた。


世の中には、こんなクズがいるのか。そんなものが許されていいのか。



悔しかった。何もできず、ただのたうち回るだけの自分が、許せなかった。




「おいお前ら、もうその辺にしとけ……遊びすぎだ」


「えー、こっからがいいとこだったのによぉ」




俺の意思などなんの意味もなく、世界は残酷な決定を下す。


男たちは、いよいよその手の剣を突き立てることに踏み切ったようだ。立っていることしかできない俺は、薄れゆく意識の中、それでも男たちを睨み付ける。




あぁ、こんなところで、何もできず、終わりか。




「心配すんなよ、ガキ。テメェの彼女は後で俺たちがゆっくり可愛がってやる」




言って、男の手が、ニーヤの胸元へと動く。もがくニーヤの反応すら楽しむように、嫌がるニーヤの体をまさぐる。




ニーヤは、その可憐な顔を恥辱と屈辱、嫌悪に染めて──しかし、俺を見て、気丈に笑みを作ろうとする。全身に走る悪寒に震えながら。




「ナーくん…私は、だいじょぶ、だから…




お願い……逃げて」




涙が、儚く散った。






ぶつん、と




俺のなかで、何か大きなものが切れる音がした。




全身を突き抜けるのは、身を焦がすほどの憤怒、憎悪、そして




なにもかもぶち壊して、こいつらを跡形もなく殺してやりたいという、生まれて始めて抱く、殺意。



頭の中に、ノイズが走るような感覚。

こんな不条理を、理不尽を、俺は知っている気がする。



目の前のこいつらがその象徴であるのなら、善悪正負の区別無く、



それを打ち砕かなければ気が済まない。



───声が響いた気がした。




ふざけるな。




『精神プロテクト、解除』




こんなものは認めないし、絶対に許さない。




『自己防衛システム、起動。

”救済器”ニルヴァーナ、強制解除』




もう、俺は屈したくない。




『対象の排除を開始』






「じゃ、くたばれや」




ゾッとするほどの気軽さとは裏腹に、男は両手でしっかり握ったその剣を、大上段から振り下ろす。


俺はそれに対抗する手段を持たず、ただなされるがままに、迫る剣を見つめて──




刹那、”純白”が爆ぜた。






硬質な音が響き、その光景に、誰もが唖然として、息を呑んだ。






振り下ろされた剣は────


───



突如として出現したとしか形容できないが、とにかく俺の左腕が咄嗟に自身を庇う形で突き出され、しかし見事に剣を受け止めている。



鎧を腕として直接装着している。そんな表現が似つかわしい有り様だった。


純白に輝く表面は、石のようにも、金属のようにも見える。形容しがたい程の美麗かつ荘厳な装飾が施されているそれは、仄かな白い輝きを放っていた。



「な、んだそりゃ……」



男は突然現れた俺の左腕を見て、次いで受け止められた剣を見て、信じられないといった顔をしていた。


しかし不可思議なことはそれだけではなかった。



意識が凍りつくようにすっと冷静になっていくのを感じる。


燃えたぎる憤怒と憎悪は勢いを増すが、すぐさま底冷えのするような冷酷な殺意へと変わっていくようだ。しかしそのことに何の抵抗もなく、むしろこれが俺の自然な姿であるような気さえしている。



目の前の男はもう、同じ人間ではなく、ただの肉の詰まった、処理すべきゴミに見えた。



俺は空いた右手の五指に力を振り絞り──立つのもやっとだったのが嘘だったかのように、腹の底から力が沸いてくる。右腕に全身の力を込めて……目の前のゴミ野郎に叩き込む




「ぷげっ」




間の抜けた声をあげながら、顔面に拳を喰らったその男は、三回転半しながらすっ飛んで、そのまま動かなくなった。




「……は?……お、おいザンガ!」


「な、なんだお前!なんなんだよ!」




仲間がぶっ飛ばされて動かなくなったのを、信じられないという顔で眺めていた奴らは、俺が一歩踏み出すと、ようやく現状を理解したようだ。




「知らないし、知る必要もない。お前らは全員、一人残らず、絶対に……生きて返さない」


「ナー……くん……?」




吐き出す言葉は、俺の声だとは思えないほど凍てついている。


ニーヤはただ、琥珀の瞳を見開いて唖然としている。



不意に、視界の端に浮かぶものを認識する。



90、89、88、87──秒刻みに減っていく、白に輝く数字。

しかし、そんなものは今はどうでもいいと意識の外へと追いやる。



「く、くそっ、ふざけんなよテメェ!」


「おいマール、ジガグ、二人がかりでやっちまえ!」


「お、おぉ!」




そう叫ぶと、一人は俺の背後に急いで回り込む。俺はそれを一瞥し、左腕を構える。



男たちにはもう先程のような余裕はなかった。もったいぶるようなことはせず、剣を構えて突っ込んでくる。



それに対し、俺のやることは至って単純だった。




水の中にいるかのように、やけに鈍く動いているように見える男──前からくる、マールと呼ばれていた男──の、横一文字に薙いだ剣を、身を屈めて掻い潜る。


続いて、がら空きになった胴体に、左の拳を半ばかち上げるようにぶちこむ。


男は潰された蛙のような声を漏らし、ありえない速度で吹き飛んだ。そのまま5メドルほど飛んで、家の屋根に激突し落下。そのままピクリとも動かない。



自分でも信じられないほどの力が出たことを、俺は他人事のように考える。全力で人を殴ったことなどこれが初めてだが、いくら俺が他の人間より肉体が優れているとはいえ、これはおかしい。




「……鍛えられてたとはいえ、この力は……まぁ、今はその方が都合がいいか」


「ひ、ひっ!化け物っ!」




挟み撃ちを敢行していた後ろの男は、俺が背中をがら空きにしているのにも関わらず、腰を抜かして後ずさりしている。


その顔に浮かぶのは、未知の強大な力に対面したことへの驚愕と、いとも容易く倒された仲間を見ての絶望と、恐怖だった。



無理もない。俺も本当なら、こんなことが起きて正気でいられるはずもなかった。


しかしどうにも、こいつらを殴り飛ばすことに何の感情も浮かんでこない。底冷えのするような理性的な殺意が、俺の全てを平淡な物に固定する。




「う、動くなっ!動くんじゃねえぞ!」




半ば怯えた声をかけられ、俺はゆっくりと振り返る。




「く、来るなよ化け物!こいつがどうなってもいいのか!」


「きゃあっ!?」




主犯各の男が、ニーヤの首筋に剣をちらつかせながら喚く。


戦意はもうあまり残っていないのだろう。ここまで圧倒的な力の差を見せつけられれば無理もない。



しかし、俺は止まらない。




「お、おい……何してる。聞こえなかったのか!」




一歩踏み出し




「や、やめろ!こいつを殺すぞ!」




歯を食い縛り




「来るな!来るなぁぁぁ!!」




駆ける




大地を思いきり踏み抜く。ぐん、と風すら抜き去るような加速。



ぎゅっと目を瞑っているニーヤが見える。しかし止まらない



渾身の一撃で、撃ち抜く。



ごう、と空気を切り裂いた拳は、寸分違わず男の顔面を────




ぱぁん




そんな破裂音と共に、男の顔は爆ぜて砕け散る。

飛び散った肉片と脳漿は、ニーヤの可憐な顔や、綺麗なその髪にびちゃびちゃと付着する。真っ赤な血とピンクの肉片は、鉄と生臭さが混じったなんとも形容しがたい臭いでむせかえるようだった。



ぺたん、とニーヤがへたりこむ。



彼女の無事を確認すると、俺は残った最後の一人を始末するために、振り返る。


しかし。




「もう……もうやめて!もういい、もういいんだよ!」



ニーヤが足に抱きつくようにしてすがりついてくる。涙を流し、目を真っ赤にしながら、泣きじゃくるみたいに。




「いつもの優しいナーくんがいい!ナーくんを返して!返してよ!」




『警告、体内魔力量が規定値以下。

”救済器”ニルヴァーナの形態維持は危険と判断。自己防衛システムを強制終了』





悲痛な叫びを前に、突然がくん、と全身に力が入らなくなった。


なんで、と考える意識の隅、視界の端には”00”と表記され明滅する文字。




光の粒子となって、鎧の左腕がほどけて宙に消えていく。心を塗りつぶしていた、冷ややかな殺意が収まっていく。いつの間にか、怒りなどの強い感情が、鎮火されたように無くなっていくようだった。




「う、うううわぁああああああ」




絶叫しながら逃げていく最後の一人を、俺は追いかけることすらできない。






「ニーヤ……?」


「ナ、ナーくん……」




崩れ落ちるように倒れ伏す。もう体が完全に言うことを聞いてくれない。最後の力を、残りカスのようなそれを振り絞りながら、震える手を、彼女へと伸ばすが




ニーヤはびくりと肩を震わせ、怯えをその瞳に浮かばせて……



俺の手を取ってはくれなかった。






急速に意識が遠退いていく。





俺は空っぽになってしまうような、そんな感覚を他人事のように感じながら、眠りに落ちるように意識を失った。

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