0‐1 あの日落ちてきた少年は、今

白い光が辺境に落ちてから、五年ほどの月日が流れた───






北の辺境にあるワスカ村の朝は早い。




外から微かに聞こえてくる、鳥のさえずりで俺は目を覚ます。


ゆっくりと寝床から体を起こすと、あくびが込み上げてきた。毛布を勢いよくはね除けて、布団の放つ強大な二度寝の魔力からなんとか脱出に成功する。



大きく伸びをしながら、家の外へと向かう。


扉を開けると、吹き込んでくる冷たい外気に思わず身震いしてしまった。



「さむっ……こりゃそろそろ雪見渡りの時期か……?」



癖になってしまっている独り言をぶつぶつ呟きながら、俺は家の裏手にある井戸へ。



釣瓶をゆっくりと右手で下ろしていく。ずっしり重さが加わって、水を汲めたことを確認すると、また右手だけで引き上げていく。毎日のこととはいえ、これがまた結構な重労働だ。


水がたっぷり入った釣瓶を地面に下ろして、透き通った水に手を突っ込む。



「つめたっ……あー、これだからこの時期は顔洗うの面倒なんだよなぁ」


「そんなこと言っても仕方ないでしょ。みんなそうしてるんだから」



不意に後ろから声をかけられる。


俺は振り返らなくとも、声の主が誰なのか知っていた。

というか、こんな早くから俺に声をかける物好きなんて、この村にはこいつしかいない。



「へぇ……みんなわざわざで顔を洗うのか?」


「もう……またそんなこと言って……本気で思ってないくせに…」




俺と同じ歳、15歳くらいの少女がそこに居た。亜麻色の髪、琥珀の瞳は村長の一族の証で、母親譲りの整った顔を、今はぷくっと頬を膨らませている。


彼女はニーヤ・アンバル。族長の一人娘で、なおかつ俺の幼馴染みで、同時に───俺の命の恩人みたいなものだ。



「おはよ、ナーくん。よく眠れた?」


「おはよう。……だから、いちいち見に来なくても大丈夫だって」



ニーヤが毎朝、わざわざ俺の家まで見に来るのには理由がある。



お節介と言えばそうなんだけど……それが「あの日」から五年も欠かさずこれだと、むしろこっちが心配になる程だった。


俺はやれやれと肩を竦めて、身震いをしながら、顔を洗う。


当然普通に洗うより手間がかかるし、すごく面倒だ。だが、俺は五年間ずっとそうしてきた。




物心ついた頃から、俺には左腕がない。




肩からすぐ下のところから、すぱっと切り落とされたかのようにあるべきものがなく、代わりに真っ白な金具のようなものが取り付けられていて、断面を覆っている。


ちなみにこれ、何をどうやっても取り外すことができない。俺やニーヤは必死になってこれについて調べてみたが、全く見当もつかなかった。


不便と言えば不便だ。走るときなんかはバランスがとり辛いし、物も沢山持ったりもできない。しかしこれが俺の日常なので、文句を言っても仕方はない。



「大丈夫?何か手伝うことある?」



ニーヤが俺の左腕を見ながら気遣ってくれる。本当にありがたいことだが、俺はゆっくり首を振った。というか、歯磨きに移行してるんで喋れないだけってのもある。



───なにより、ニーヤの立場を考えれば、おいそれと一緒にいる訳にもいかなかった。




俺は、この村の出身ではない。



今から丁度五年前、ニーヤが「雪見渡り」の最中、村の近くに光と共に俺を見つけて、彼女が呼んできた村の人たちに介抱してもらって今に至る。


ニーヤには、昔から不思議な力があって、俺を見つけられたのもそれのおかげだったらしい。

「見えないものを視る」力を持っていたニーヤにとっては、俺のこの姿に抵抗は無かっただろうが、村の人たちはそういうわけにもいかない。



昔から俺のような、いわゆる「奇形児」は「悪魔の落とし子」として恐れられていた。



そしてなにより、俺には一切の記憶が無かった。



どこで生まれ、どうやって、何故ここに来たのか。自分の名前ですら、何一つとして覚えていない。

───ニーヤは俺を「ナーくん」と呼んでいるが、これは俺が「名無し」、そこから転じて「ナナシとでも名乗るか」と冗談で言ったのを真に受けたからだ。


だから、ニーヤが俺をこの村に迎え入れようと言った時、最初は反対の声が多く上がったらしい。素性のわからない輩が相手なのだから、当然の事だろうと俺も思う。



しかしニーヤの父親、ギリス・アンバスはこの村の長で、おまけに娘を深く愛していたものだから、ニーヤの頼みは断れなかった。───というより、理解がある人だったからだ、ということを俺は知っている。


村長の鶴の一声で、一応、村に受け入れられることとなった。



そんなこんながあって、今は集落からちょっと離れた所にあった古い小屋を改修して住まわせてもらっている。



村で孤立しないようにと、ニーヤと家の人たちはあれこれ気をつかってくれる。俺は本当に感謝していて、一周回って何故ここまで親切にしてくれるのかわからなくて困ってしまうほどだった。


俺が村八分にされていないどころか、仕事を与えてもらっているのは村長のお陰だ。しかし、村人の全てがこの待遇に関して好意的な解釈ができるはずがない。



ニーヤが俺とつるんでいることに、よくない噂が裏で飛び交っていることを俺は薄々感づいていた。



「悪魔の落とし子とああも仲睦まじいいとは……」


「あの不思議な力というのも悪魔の授かり物なんじゃ」




俺が悪く言われるのはいい。しかし恩人を悪し様に語られて平然としていられるほど、俺は人間ができちゃいない。




「ニーヤ、俺は平気だから、もう戻れって」


「うん、じゃあね」




と、半ば追い払うようにしてニーヤと別れる。こうでも言わなきゃずっと居つくので困っている。


手を振ってから駆け出していくニーヤの後ろ姿を、心苦しく思いながら見送った。


さて、俺もそろそろいつもの「アレ」をやる頃合いだ。






実は俺には、村の人は当然として、村長やニーヤにすら秘密にしていることがある。



軽く意識を集中させて、心の中でこう唱える




《メニュー》




すると、目の前に、青い枠組みで縁取られた、光の幕のようなものが現れる。1メドル──この世界における長さの単位の一つ──四方の正方形のそれは、目を凝らせば向こう側が透けて見えるようになっていた。厚さに関しては、俺の知っているどんな紙よりも薄い。



俺は知っている。この光の幕のことを、「メニューウインドウ」と呼ぶことを。そしてこれが、俺以外の人間には認識できないらしい、ということも。

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