2019/09/08(日)

 昨日は一日用事があって更新ができなかった。一昨日、「本」という媒体の特殊性について言いたい、と述べた。その続きを書く。「本」という媒体の特殊性について考えるには、媒体である本と、その中身である(例えば)小説、そしてその読者との関係について論じればよい。

 出発点は、私たちは多くの場合一人で小説を読むということだ。すなわち一人で本と向き合う。音楽や演劇のパフォーマンスがそれぞれコンサートや劇場といった「場」で行われるのに対し、小説には「場」というようなものはなく、しいて言えば本と読者の二項だけが「場」を形成する。私たちが本を開けば、いつでもどこでも「場」は形成される。私たちは時間をかけて本の中身を、すなわち小説を少しずつ知っていく。それは何回も人と会ううちに、その人と親しくなるプロセスと似ている。音楽や演劇のパフォーマンスは多くの場合一回きりのものとして構想されているが、長編小説は一度では読めない。この違いも大事だと思う。

 前にも書いたように、小説というのは架空の時間が流れる文章のことである。音楽や演劇は時間芸術と呼ばれ、それらを鑑賞するとき私たちはリアルタイムで視覚的あるいは聴覚的情報を追いかける。流れているのは現実の時間だ。しかし小説においてはそうではない。小説が記録された本は文字の羅列に過ぎず、小説の時間が流れ出すのは読者の想像力によってである。文章に書かれた出来事を頭の中で想像することによって、はじめてその出来事の連続としての時系列が現れる。この想像のスピードや質が人によって全然違うから、小説を二人以上で読むということは本質的にできないのである。

 この「一人で読む」ということについて、もう少し何かを言いたい気持ちがあるが、今日明日ではちょっと書けなさそうなので、このテーマは寝かせておいてまたゆっくり考えることにする。

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