第2話 狙われたイチョウ

 猫の行動範囲はどの程度のものだろうか。あの大きなイチョウがあるお寺は、岡田くんのうちから少し遠いようにも思う。けれども、一日暇をもてあましている猫からしてみれば、散歩にちょうどいい距離ともいえなくもない。

 森のキツツキを名乗る人物――いや、鳥か――を信じているわけではない。信じてはいないけど、行ってみなければ気がすまなかった。ランビがイチョウの木に登ってくつろいでいたら、もしかしてもしかすると、話ができるかもしれないのだ。

 わたし、ヘンなのかな? 岡田くんのペットにまでまとわりつくなんて。

 大丈夫だよ。悪いことをしているわけでもないし、わたしはただ、岡田くんのことが知りたいだけなのだ。


 久しぶりに晴れ渡った秋の陽気は散歩日和だった。

 学校から帰って、自転車でひとり、イチョウがあるお寺に向かった。初詣に何度か来たことがあるくらいで、滅多に来ない場所だった。

 一台も車が止まっていない駐車場に自転車を止めた。右側に広がる墓地にも境内にも人はいないようだった。お寺とか神社はさみしい感じがして、あまりひとりでは来たくない場所だった。このお寺はさらに怖い雰囲気がある。その元凶があのイチョウだ。

 イチョウは低い金網に囲われていて、太い主幹にはしめ縄が巻かれている。立てかけられた札には「公孫樹」と書かれている。

 あまりに大きく枝を広げすぎていて、下の方の幹は折れないように棒で支えてあった。そしてその幹から、鍾乳洞のように突起物がぶらさがっている。溶けた皮膚が垂れ下がっているようで、気味が悪いのだ。

 わたしはイチョウを見上げながらフェンスの周りを歩き始めた。葉っぱはまだ紅葉してなくて黄緑色の葉が生い茂っている。主幹の上部は雷が落ちたようにぼろぼろになっているが、ものすごい生命力を感じた。

 きらきらとした木漏れ日に、動く陰があった。猫だ。逆光になって見えにくいが、三毛猫に見える。

「ランビ……」

 そうっと呼びかけてみた。猫はこちらに気づき、差し足のまま動きを止めた。

 ぜったいに、ランビだ。どうしよう。フェンスを乗り越えて木に触れたら会話ができるだろうか。

 フェンスに立ち入り禁止と書かれてある。周りをきょろきょろと見回したら、やっぱり誰もいない。

 それでもフェンスを乗り越えるのはためらわれた。このお寺の信者でもないけれど、この境界の内側へ立ち入る勇気はなかった。

 それならばと、わたしはすぐ隣にあるお寺のお堂へ駆け寄った。とても古い木造建物だから、きのうのようなチカラがあるかもしれない。

 お堂に触れ、「ランビ」と呼びかけた。振り返ると猫が飛び降りて墓地へと猛スピードで逃げていくところだった。

「ああ! ランビ!」

 慌てて後を追うが、わたしの足ではとうてい追いつかない。猫は軽やかに垣根を越えて見えなくなってしまった。

 飼い猫なのにあんなに警戒心が強いなんて。いや、警戒心が強いからこそ都会の中の「人里離れた」この場所が好きなのかもしれない。

 わたしはスマホを取り出してランビのお気に入りのこの場所を撮影して、「岡田くんフォルダ」に入れた。

 このフォルダには岡田くんにまつわる写真ばかりを集めている。本人の写真はもちろん、筆箱や傘などの私物、板書された文字、ランドセルと体操着入れを押し込んだロッカー、工作の時間に書いた童話をモチーフにした水彩画の下絵、床の上で大きな模造紙に学級新聞を書いていたときにあやまってつけてしまった上履きの跡、自宅の表札、通っている塾の前に止めた自転車、岡田くんのお母さんがスーパーで買い物をしているときそばを離れたのを見計らって撮ったカートの中身、そして奇跡的な出来事に遭遇した骨董品店の古めかしいラジオ。

 わたしが岡田くんを好きなことは仲のいい友達以外には内緒なので、こっそりと撮影するのはなかなか難しいことだった。こんな妙な写真を撮っていることも知られたくはなかったし。

 ランビの写真を撮り損なったのは残念でならない。けれども、この不気味なイチョウの写真を見るだけでこの出来事のすべてを思い出せる自信はあった。

 ランビと話をするなら骨董品店のラジオの方がよいだろうか。


 わたしはきょうもまた骨董品店に寄ってみた。

 店内は相変わらず物音一つせず、店内に入ってもいらっしゃいの一言さえもなかった。

 その他のディスプレイがどうだったか覚えてないが木製ラジオはきのうと同じ場所にあった。きのうは気づかなかったが、束ねたコードのところに値札が付いている。3000円なのか8000円なのか、文字がかすれて定かではない。

 3000円なら――。

 もし、ランビと交信できるなら、買えない値段ではない。


「もしもし。森のキツツキさん。きょうもそこにいますか」

『はいはい。その声はきのうの人間の女の子だね』

「そうです。さっきお寺のイチョウまでいってきました」

『やっぱり。君だったか。ランビが奇妙な女の子が来ているとおびえていたよ』

「おびえてた!?」

『ふぁっはっは。それはいいすぎかな。会ったこともないのに、自分の名前を知っていて驚いていたよ』


 よかった。ランビが猫で。いくらペットでも岡田くんとは会話できないだろう。ショウマくんと同じくらいの年格好の女の子に追いかけられたよ、なんて報告されたくもない。


『やっぱり、君も気になってたの?』

「え?」


 わたし、恋している男の子の飼い猫が気になってるなんていったかしら?

 それに、「君も」ということは、他にも岡田くんのことを好きな子が?


『危ないと思うな』

「どういうこと?」

『きのうも話したけど』

「きのうも?」

『不穏な枯れ木事件』

「枯れ木事件?」


 きのうはさっさと帰宅して話を最後まで聞いていなかった。


『人間の仕業の枯れ木事件。神社やお寺にあるご神木ばかりを狙って傷つけたり、薬品を注入して枯れさせたりしてる事件が起こってるでしょ』

「ああ」


 ニュースで聞いたことがあった。近くの神社でも被害に遭ったといっていた。


『今度はあのお寺のイチョウが狙われるかもしれない。ランビも気が気じゃない様子だった。まったく。人間ってのは理解できないよ。真意は定かじゃないけど、宗教とか民族的な相違から物を壊したり木を切り倒したりするなんてね』

「それらのご神木は樹齢1000年を超えていなかったの?」

『幸いと――っていうか、幸いじゃないね。他の木だって相当長い年月を生き抜いてきた木だろうからね。長い歴史の中で、いろんな事がありながら、人間の生活のど真ん中で、数百年もその場所にあるってすごいよ。どんな不届き者かこの耳で確かめたいよ。だけどね、君がその犯人をとっ捕まえるには危険だと思うよ。ドリルを持って木に穴を開けているようなヤツだからね。ランビにも、もし遭遇しても食ってかかるなよって、忠告したところなんだ』


 いやいや、わたしはその犯人には興味はない。ランビが襲われそうになっていたのなら、危険を顧みずに助けるかもしれないが。でもそういうことにしておこう。ランビに、ご主人様に片思いをしている女の子として認識されたらちょっと恥ずかしい。


 そのとき、ガガガガとものすごい大きな音が聞こえた。

「なにこれ」

『これって……木を削る音か?』

「まさか!」

『あのイチョウか!』

「行かなくちゃ」

『やめろ!』


 わたしは骨董品店を飛び出していた。自転車にまたがりお寺を目指す。

 不気味なイチョウだけど、ああやって千年以上もあがめられてきたんだ。イチョウは日本原生ではないという。誰かがここに植え、ここに住まう人々が守り抜いてきた。現代人だってそれを引き継いで囲いを作り、支えを作り、どうにか生き抜いていけるように見守っているのだ。


 なにより、ランビの大好きな場所がなくなるなんて許せない。


 ペダルを懸命にこいでお寺まで戻ってきた。自転車のまま乗り入れる。すると、わたしと同じように自転車のまま乗り入れてイチョウの木へ向かっている人がいた。

 あたりは薄暗くなってきてよく見えない。自転車の人物は自転車のライトも付け、懐中電灯も手に持って何か叫んでいる。よく見ればイチョウから逃げる人影があった。

 自転車の人物は懐中電灯を投げつけ、逃げようとしている人物に追いつくと首根っこをつかみ、なんとそのまま飛びかかってしまった。

 わたしはイチョウのそばに自転車を止め、落ちていた帽子を拾った。

 自転車の人物が馬乗りになって腕をねじ上げている。

「器物損壊だ。わかってるな!」

 制服を着た警察官がねじ伏せた男の服を乱暴に引っ張って立ち上がらせていた。

「あの……」

 警察官に拾った帽子を差し出す。

「どうも」

 警察官はにっこりとほほえんで受け取った帽子をかぶった。若いがそれほど大柄な人ではなくて、むしろ捕まえた男の方が胸板が厚かった。

「小学生かな? もう遅いから帰った方がいいね」

「はい……」

 この男がご神木ばかりを狙った犯人か。まじまじと見るのも怖いので回れ右をした。すると、何者かが立ちはだかっていて、ぶつかりそうになった。

「うわっ」

「瀬戸……?」

「え、ええっ!」

 目の前にいたのは岡田くんだった。自転車にまたがって息を切らせている。

「なんでここに」

「いろいろあってさ。話をしながら帰ろう」

「うん」

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