叙の七 見捨てられた街に桜の便りを ③


     ☆



 その少女は、『普通』とはかなり違った家庭環境で育てられた。


 生まれながらにして数奇な運命を背負わされた彼女は、生後間もなく母親から引き離され、十年以上にも渡って人目を忍んでの隠遁生活にその身をやつしてきたのだ。


 幼少の頃より三年と同じ場所には住めず、居住地が変わるそのたびごとに同居人も入れ替わっていく――ある時は母方の祖父と。また、ある時は父親と……素性も知らない、親戚の家に預けられることさえあった。


 小学校に上がると、強制的に『男の子』として生活することを余儀なくされる。親しい友人を作ることさえ禁じられ、そのせいか、馴れない転校先では孤立することが多かった。中には、悪質な虐めに逢うことも、少なからずあったという。


 そのような状況に陥った時、逃げ込む先のない子の多くは、ひたすら耐え忍び、事態が収束するのを待ち続けることしかできない。その少女もご多分に漏れず……いや、そもそも彼女には、身近に頼れる者の存在がなかった。


 なにせ、物心がついた頃から(両親共に健在ながら)、“家族揃って一緒に暮らした”という記憶がないのだから。誰一人として頼れる者はいない……そう思い込んでいた少女は、次第に口数も減り、感情すら徐々に失っていったという。


 “大人しく育てやすい子”という評価は、何を考えているのかわからない、“気味の悪い子”と変わり……いつしか、なにひとつ不満を漏らすことなく、言われるがまますべてを素直に受け入れていく――まるで、感情を持たない“人形”のような子供になっていた。


 そう振る舞うしかなかった彼女の奥底には、当の本人にしかわからない理由があるのだろう。そしてもしかしたら、不遇な環境の中で自然と身につけていった、“彼女なりの処世術”だったのかもしれない。


 しかも、は未だにくすぶり続けている……決して消えることのない“心の傷トラウマ”として、間違いなく今も尚、彼女の中に残滓となって残り続けているのだ。それが周りを苦しめ、自分自身をも傷つけている原因であるとも知らずに……。


 だがしかし、そんな生活があったればこそ、母親と一緒に暮らせることが今はどんなにも嬉しかったに違いない。いや、少なくとも今日この街に来るまでは……母親の車に乗るまでは、確かにそうだった。


 だが、少女はまだ気づいてはいない。これから始まる半年間が、母と娘でいられる最後の時間であることを……。


 再会を果たしたばかりの彼女たちには、知りようもない――それが『現実』であった。



     ☆



 今は、こんなにも近くに……こんなにも傍にいるのに……それはまるで、二人の間に見えない壁が立ち塞がっているようで、母親はえも言われぬ不安感を拭い去ることができなかった。


(聡いだけの子供なんて、不幸なだけ……そんな子が報われる日なんて、果たして来るのかしら)


 これから通う高校で最近起きた、“飛び降り事件”について話した時でさえも、少女は無意味に相槌を打つばかりで別段興味を示すことはなかった。


父親あいつとはあんなにも打ち解けた雰囲気だったのに……私の側に問題があるのかしら)


 それが、五年という“空白の時間”が生んだ距離感であることは、重々承知している。そして、それを埋める過程プロセスこそが、親子関係を築き直す大切な時間であることも、充分に理解していた。


 けれど……それ故に歯痒さを感じ、あまつさえ旦那にまで嫉妬心を抱いてしまう。それは、これから家族として同居していく母親にとって由々しき問題であり、実に面白くない実状でもあった。



『無垢な時代を共に過ごすことができず、母親として何もしてあげられなかったことが心残りなの?』


(いいえ……ずっと傍にいられたのなら、無条件に母親だと認めて貰えるものだと思っていたのよ)


『いつでも……どんな時も馴れ合っていたいの? それとも、もっと甘えて欲しいの?』


(いいえ……あの子にだけは拒絶されたくない。ただ、それだけよ)


『そうなりたいと願うことは、そんなにいけないことなの?』


(だって、私はあの子の母親なのよ。私がお腹を痛めて産んだ、私の子なのよ。だからこそ、“らしくありたい”って、そう思うんじゃない)


『だからこそ、自分を認めて欲しいの?』


(そうよ……そうでなければ、寂し過ぎるじゃない? 悲し過ぎるじゃない? でも、本当にそれだけなのよ)


 “母親のエゴ”が心根の淵から首をもたげ、懺悔にも似た後悔の念が彼女の良心までも蝕んでいく。ひとりの母親としての純粋な承認欲求と、育児放棄ネグレストだったのではないかという後ろ暗い気持ちとの狭間で、彼女はより一層、自己嫌悪の渦に嵌まっていくのだった。


影恣あいつも、こんなところから始めたのかしら? いや、もっと酷かったのか……でも、私はもっと……ずっと上手くやってみせるわ)


 物憂げに、車窓から外の景色を眺めている吾が子を尻目に――近い将来、であろう少女の母親は、少しだけ自分の我儘を願うのだった。



「ねぇ、唯姫……ちょっと後ろの包み、開けてみてくれない?」


 運転中の真樹子に促され、唯姫は後部座席に置かれた家電量販店の買い物袋を手に取ると、その中身を確かめた。


「これって、ウェアラブル携帯……いや、スマートウォッチかな?」


 唯姫の手に収まっていたのは、極地用腕輪型通信端末機の入った箱であった。


の携帯端末機『モバイル・ギア』よ。誕生日と高校転入のお祝い、ってところかしら。これからは、なにかと必要になると思うから……」


「携帯なら自分のがあるけど……あれ?」


 唯姫は、ポケットから自分のスマートフォンを取り出してみる――と、待ち受けには『圏外』の二文字が表示されていた。


「ここは、外部からのアクセスが完全に制御されているのよ。市内は『ヤマヒコ』っていう独自の通信網しか通ってないから、一般的な携帯電話やスマートフォンは使えないってわけ」


 神威市では、携帯端末機の電波は地面の下を這っているのだという。真樹子の言うように、内地ではよく見かけた中継基地局のアンテナが、どこの屋上にも見当たらなかった。



 通常、内地から北の大地へと入るの通信のほとんどは、神威市内にある旧電電公社内の交換機によりチェックされ、千里耳せんりじという妖怪により、人為的に繋げていくシステムになっている。


 管内での通信はすべて独立行政特区、神威市独自の通信システム『ヤマヒコ』に担われていた。『ヤマヒコ』とは――盗聴やサイバー攻撃を未然に防ぐ目的により、アルザル資本のIT企業『高天たかま』と大手家電量販店『ヤマタ電機』の通信事業部が共同開発した、通信用プラットフォームである。


 そして今や、神威市の統括システム『ARTHURアルザル Squareスクエア Worldワールド Restrictedリストリクティッド Accessアクセス Systemシステム(通称=ASWRAアシワラ)』の一翼を担うシステムとして、管内のあらゆる通信機器に搭載された端末用OS『ホワイトラピッド(俗称=白兎しろうさ)』のターミナルデヴァイスであるヤマヒコ専用携帯端末機『モバイル・ギア』は、重要な都市機能ライフラインの一部となっていた。



 ほかのライフラインも、すべて地中に埋め込まれているのだろう。辺りを見回しても、信号機以外の電信柱は一本たりとも彼女の目に映ることはなかった。


「――因みに、このサングラスも携帯端末なのよ」


「ふーん……」


 真樹子の説明には上の空な唯姫だったが、シャンパンゴールドに輝くモバイル・ギアには興味があるらしく、左手に装着するとマニュアルも見ずに早速弄り始めている。


「専用アプリが少ないのが難点だけど……唯姫だったら通信衛星『天狗アマノキツネ』の天巫女専用回線ソラミコラインにも繋がるから、世界中のどこでだって使えるはずよ。機種とカラーは私が勝手に選んでみたんだけど……どう? 気に入ってくれた?」


 そう言って軽くウィンクしてみせる真樹子。


「うん。ありがとう、母さん……」


 恥じらい顔でこくりと頷き返す――唯姫は、母親からの贈り物をその包みごと、細やかな胸の中へと抱き締めるのだった。


(くぅー、親バカ上等キター! ウチの姫君ってば、ヤバいくらいにカワイイじゃない!)


 ハンドルを握る手を小刻みに震わせながら、真樹子は心の中で“ヨシッ”と小さくガッツポーズを決める。


「フフフ……ちょっとはいいお値段したんだから、大事に使ってよね?」


「Yes.Mam……」


 携帯端末が代わりに応え、あわわ、しゃべった⁉ と焦る唯姫。


(物で釣るのは卑怯だったかしら? まぁ、最初は仕方ないわよね……でも私ってば、ちょっと浮かれ過ぎかしら?)


 多少ちぐはぐな会話やりとりにも、真樹子はそれなりに満足していた。それが証拠に、無意識とはいえ鼻歌混じりで、市街地へと向かう“深紅のジャガー”を軽快に走らせていく。



 御神唯姫が十八歳の誕生日を迎えたこの日――車窓からは、バイパス沿いに咲き乱れる染井吉野の薄紅色が勢いよく流れ、遅ればせながら北の大地に春の到来を告げている。


 それはまるで、少女の新たなる生活を歓迎するかのようであった。

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天空詠みの巫女 鷹矢竜児 @dragonchild

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