第45話 思い出は一番星の中に。後編
「え・・・でもこの車宝物みたいなものなんじゃ・・・・そんな車を赤の他人の私が乗るなんて、流石に出来ませんよ。」
私は言った。いくらそれなりに顔のわかる百瀬さんからの頼みとはいえ、流石の私もこれほど色々なものが詰まった大事な車を「はい、運転させてください!」とは言えなかった。
「いえいえ、凛子さんだからこそ頼めるんです。凛子さんが、車がお好きで大事に愛車を乗られているのも以前から知ってましたし・・・。うちの息子も凛子さんが駐車場で整備してる風景をよく見てたみたいですよ。 いつか自分もあれくらい弄れるようになりたい・・・っていつも言っていて・・・・・。もしかしたら凛子さんに少しばかり興味があったのかもしれませんね。」
「え、そうなんですか・・・?」
百瀬さんはゆっくり頷いた。なんでも、よく車の下に潜ったり、タイヤ交換してる様子や整備をしている様子なんかをよく星奈君に見られていたらしい。なんだか私はむず痒いようなちょっと恥ずかしい感情を覚えた。
そして、こう続けた。
「ええ。彼は貴方の事をよく見ていましたよ。 ある種、羨望のようなものがあったのかもしれませんね。・・・・それもそうですし、後は私自身の気持ちの整理をつけたいから、というのもあります。正直、今の私の状態だとアルシオーネは運転できる自信はないです。・・・・でも・・・でも、もし横乗りでもアルシオーネでドライブができたら、今まで抱えていた何かが解ける気がするんです。私のわがままではありますが、息子がこの世でたった一つ残した宝物・・・どうか、運転していただけませんか?」
百瀬さんは深々と頭を下げた。私もここまで頼みこまれてしまったら断れない。 私も腹を決めた。
「そんな、頭を下げないでください。・・・・わかりました、私がこの『宝物』を運転しましょう。」
すると、百瀬さんは再び顔を上げて目に涙を浮かべながらも、微笑んでくれた。
「ありがとうございます・・・本当にありがとうございます・・・・。」
ゆっくりとそう呟きながら、再び百瀬さんは頭を下げた。
私はアルシオーネの運転席に、そして百瀬さんは助手席に乗り込んだ。
「・・・何か月か放置して、もしかしたらバッテリーが弱ってるかもしれません。」
「まあ、万が一切れてても私のパジェロにブースターケーブルありますから、大丈夫ですよ。」
百瀬さんに私はそう答えた。
とはいえ、何とか無事にかかってほしいよな・・・・。そう思いながら、私はキーシリンダーに刺さったキーを捻り、アルシオーネの心臓に火を入れようとした。
『タ―ヒャヒャヒャヒャ・・・ドルウウウン!!』
暫く放置されていたことなんかどこ吹く風、とばかりに元気よくアルシオーネの心臓は力強く鼓動を打ち始めた。莉緒の911とはまた違うビート感のあるフラット6のサウンドが耳に心地よかった。暫く暖気の為、水温計の針が動くのを待っていると、百瀬さんが呟いた。
「いやあ、驚きました・・・。暫く放置していたのに一発始動だったとは。」
「ですね・・・。しかも結構勢いよくかかりましたしね・・・。レストアされてたとは聞きましたが本当に完調ですね。」
二人して車内で思わず驚いてしまっていた。 暫く待ち、水温計の針が軽く振れるのを確認した後、私はシフトレバーをDレンジに入れ、サイドブレーキを解除し、発進する準備を整えた。
「じゃ、動かしますね。」
百瀬さんがゆっくり頷いたのを確認した後、私はゆっくりと駐車場を後にした。その後は暫く街中をひた走る。もう30年以上経った車とは思えないくらいシャキッとアルシオーネは街を駆け抜けた。エアサスペンションの角の取れた快適な乗り心地に、オートマのスムーズな変速具合といい、とても快適だった。視界も非常に広く、ボディの見切りの良さも手伝って交差点などでもさほどストレスを感じなかった。そして、それ以上に驚いたのは、街中で浴びる視線のアツさだ。通りがかる人々、対向車、並走する車から、あらゆる人から注目された。これほど視線を感じたのは、ふうみん先生のAK45を走らせていた時以来かもしれない。まるで宇宙船のような美しいスタイリングは人々の目を引き付けていたようであった。 軽快なフラット6の排気音を響かせながら、アルシオーネは白いボディをきらめかせ、舞うように街中を抜けた。
「・・・拍子抜けするくらい元気に走りますね・・・・。本当に新車みたいです。」
「ですね・・・・。私も本当に動かしたことがないので、まさかこんなに走りっぷりがいいなんて思いませんでした。」
二人で思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
街を抜け暫くすると、国道17号の上武道路のランプウェーが見えてきた。合流地点でフッとアクセルを踏むと軽く回転数が上がりスムーズに加速していった。そしてそのまま、渋川方面へと車を進ませた。バイパスはこのアルシオーネにとって絶好のステージといっていいところで、まるで水を得た魚のように速度域の高いバイパスを小気味よく走り抜けていった。
この国道17号からは群馬の山々が多数眺める事が出来、アルシオーネの視界の良さと相まって壮大な景色を楽しむことができた。
途中、信号に引っかかりたまたま先頭で交差点に着いた。私はフル加速を試みることにした。
「すいません、百瀬さん。少し踏んでみますね。」
と私はあらかじめ、ことわりを入れた。百瀬さんは、「是非どうぞ」と笑顔で答えてくれた。
信号が間もなく変わる。・・・・・4、3、2、1・・・・・・。青に変わると同時に私はアクセルを思いきり踏み込んだ。 回転数が上がっていくごとに澄んだエンジン音を奏でつつ、スムーズに吹き上がりながら、グングンとアルシオーネは車速を上げていった。あっという間に制限速度に達したので私は足を緩めた。胸のすくような加速感だった。
「結構速いんですねこの車・・・・。ちなみに何か手を加えてあったりするんですか?」
私は百瀬さんに訊ねた。
「流石鋭いですね、篠塚さん。息子が言うにはエンジンをオーバーホールついでにエンジンのフルバランス取りやらコンピューターセッティングの変更やら、マフラーもワンオフで型を起こして新規製作してたみたいです。なので、もしかしたら少しパワーアップしてるかもしれませんね。」
と答えてくれた。なるほど、確かにそこまでやっていたから吹き上がりが存外軽く感じたのかもしれないな、と私は思った。
バイパスを暫くひた走り、交差点に差し掛かると、私はそのまま榛名山の方へと車を進めた。
榛名山へ向かう道の途中には、伊香保温泉がある。伊香保温泉は同じ群馬の草津と並ぶ名湯として知られていて、その歴史は1900年前とも、1300年前からあったとも言われ、明治時代には数々の文豪や著名人も訪れている日本屈指の温泉街だ。
伊香保の温泉街を通りがかると、百瀬さんはどこか物憂げな表情を浮かべながら、街並みを眺めていた。 そして、こう話をしてきた。
「・・・・ここ、昔よく息子と来たんですよ。たまに外に出たがっていた時とか、ドライブに行きたがっていた時とか・・・。ここまで車できて、峠を駆け抜けて、景色を眺めて、旅館に泊まって温泉入って・・・・・。すいません、またしんみりさせてしまって。」
「いえいえ、こちらこそなんだかすいません・・・。」
少し古傷をえぐってしまったようで申し訳がない気がしたが、星奈君の残したこのアルシオーネをもっと解き放つべく私はアルシオーネを前へ前へと進めた。
徐々に勾配とコーナーのRがきつくなり、木々をすり抜けるように道が張り巡らされた峠道に差し掛かってきた。私はアルシオーネと対話するようにドライブを続けた。いくつものカーブ、いくつもの急勾配をアルシオーネはいなすように駆け抜けていった。過剰な速さというより、力強さもありながら、どこまでもスムーズに優しく走り抜けていく様は、まるで優しさの中にも熱意のある星奈君の人柄と何処か重なって見えてきた。犬は飼い主に似るなんてよく言うが、もしかしたら星奈君の残したこのアルシオーネもそうなのかもしれない。長らくカバーを被ってくすぶっていたアルシオーネは走れば走るほどどんどん元気を増していっていた。元気に走るアルシオーネの調子と合わせて私も思わずペース高めでアルシオーネのドライブを続けてしまった。ハッと我に戻って百瀬さんに話しかけた。
「ハッ・・・!?百瀬さん、すいません思わず夢中になってしまって・・・。」
一瞬どう言われてしまうんだろう・・・と思った私だったが、百瀬さんは涙をホロっと流しながらも、心から嬉しそうな笑顔を浮かべてこう言った。
「いえいえ・・・・。アルシオーネ《息子》が喜んでます。」と。
その笑顔を見て、私は少しホッとしたような気がした。
榛名湖湖畔横の駐車場に着いた頃には、もうすっかり日が落ちそうになってきていて空には、星が浮かんできていた。 百瀬さんが買ってきてくれたコーヒーを啜りながら、話に聞き入っていた。
「今日、凛子さんにこのアルシオーネを運転してもらって本当によかったです・・・。こうして地元を抜けて、伊香保を抜けて、榛名湖を抜けて・・・・・・。どんどん元気に調子が良くなってきていて、まるで息子とアルシオーネがもっと走ってくれ、もっと走ってくれって言ってくれているようで。・・・なんだか今まで走らせなかったことが申し訳なくなってきたくらいです。これからは、どんどん走らせてやろうと思います。息子がこの世に残してくれた
百瀬さんは力強くそう言った。まるで、昼の時とは別人に思えるくらいに生きる力を感じた。
その後、私は百瀬さんに運転を交代してもらい、自宅まで送って行ってもらった。その後、掃除をサボってすっかり遅く帰ってきた私が両親から大目玉を喰らったのは言うまでもない。
数日後、百瀬さんから「ドライブで海まで来ちゃいましたよ~!」と海とアルシオーネがツーショットになった写真が送られてきた。あれからというものの、週末になるたびにアルシオーネでロングツーリングを楽しんでいるらしい。アルシオーネは、スバル星団の中の一番星『アルキオネ』から取られたんだそうだが、きっとこの思いの詰まった「
続く。|
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