第81話 おじさん、不法侵入する

 アンドリュー・グリーンウッドという宮廷魔法士がいる。

 グリーンウッド村で最優秀の生徒だった彼は、王立魔法学校でも優秀な成績を残し、卒業後は王立魔法研究所の内定も決まっていた。

 だが、卒業間近になって、彼は突然冒険者への転身を決めた。


 曰く、「ダンジョンを生み出す神タルタロスの声を聞いた」とかなんとか。

 担当教官はもちろん友人や恋人、周囲の誰もが彼を止めたが、聞く耳を持たなかった。


 ダンジョン探索専門の冒険者としてまたたく間に名を馳せたアンドリューは、その功績を以て、改めて王立魔法研究所へと招かれた。

 こうして彼は少し遠回りをしてから宮廷魔法士となったが、例の妄想は「いつか迷宮神タルタロスが目を覚まし、ダンジョンから溢れ出したモンスターの大群によって世界を滅ぼされる日が来る」という状態まで成長していた。


 そういう訳で、アンドリュー・グリーンウッドという宮廷魔法士は常に考え続けている。

 どんなモンスターでも魔法でも打ち破れない究極の防壁を作るにはどうすればいいか。


「まあ、どんだけ完璧でも、内側から鍵を開ければ入れてまうんよなあ。ホンマ申し訳ないわ、マスター・グリーンウッド」


 フレデリカは悪びれもせず裏門――アンドリュー曰く『滅びの門』を開くと、僕を招き入れた。


「アンドリューには言わないでね。僕が殺される」

「言わんわ。ウチもまとめて殺されてまう」


 アンドリューは決して悪い人じゃない。

 ただ、防御に関するこだわりが強すぎるだけで。


 ……三年ぶりに足を踏み入れた王立魔法研究所は、あまり変わっていなかった。

 古い城塞の一部を利用した石造りの壁、擦り切れた絨毯、カビのようだけどカビじゃない怪しげな薬品の香りが常に漂う廊下。


 懐かしさで胸が苦しくなる。

 十六歳でやってきてから、日々のほとんどをここで過ごしたのだ。

 僕にとっての青春や成長のようなものの多くが、この場所に詰め込まれている。


 チトセとの思い出だって。


「……ねえ、アル兄さん。憶えとる? ウチが学生やった頃、宮廷魔法士になったら先輩として研究所を案内してくれるって」

「もちろん。ごめんよ、約束を果たせなくて」


 案内どころか、不法侵入を手伝わせてしまうなんて。


「ええねん。また兄さんに会えたんやから、それだけで充分や」


 フレデリカが笑う。

 口角から覗く八重歯も、昔と変わらない。


「……むしろウチの方こそ、ごめんやわ」

「どうして?」

「アル兄さんが一番しんどい時、ウチはそばにおらんかったやろ」


 あの事故が起きた時――チトセを失った時。


 僕は王立騎士団キングズ・オーダーに捕らえられた後、カレンはもちろん弁護士にすら会うことはできなかった。

 僕の実験は国家機密だったのだ。一般の人に話せることはなかったし、宮廷魔法士の仲間に連絡を取れば巻き添えにしてしまう恐れもあった。


 事故の調査は迅速に行われ、裁判も簡潔だった。

 結果は明白だと思われていたから。


 貴族院の招集で王都を訪れていたマリーアン様が事態に気付き、国王陛下を説得していなかったら、今のような保護観察に近い処罰が下ることもなかっただろう。


「……フレデリカは悪くないよ。あの時、事故のことを知っていたのは本当に一握りの人だけだったんだ」

「いいや。裁判の後だって、手を尽くせばアル兄さんを探し出せたかもしれへんのに、ウチはやらんかった」


 あの頃のフレデリカにそんな余裕はなかっただろう。

 入所してからずっとかかりっきりの研究が大詰めだったのだ。成果が出れば夢だった宮廷魔法士の座に手が届く、というタイミングだった。


 なのに彼女は、まるで秘めていた罪を告白するかのように。


「アンタが大切な人を亡くして自分のことを責め倒してるのは、フツーに想像できた。やのにウチは、自分のことしか考えてへんかった。アンタのこと、家族やと思ってたはずなのに」


 声を震わせ、俯いて。

 許しを乞うかのような姿を、僕は見ていられなかった。


「フレデリカ。もし君が、自分の夢を捨てて僕を助けてくれたら。僕は今よりもっと、自分を許せなかったと思う」


 僕はもう、たくさんの人達に助けられてきた。

 S級冒険者としての立場を捨てたエレナ、罪人を領地に呼び込んだマリーアン様、それ以外にも数え切れないほど。

 彼女達が僕のために犠牲にしてくれたもののことを思うと、やりきれない気持ちになる。


 自分には、そこまでしてもらう価値なんてない。

 そんな風に思う時もあった。


「でも。君が夢を叶えて、医療魔法で多くの人を救っていることを知って。僕は本当に嬉しいんだ。自分がやってきたことに意味があったって、そう思えるから」


 二人で徹夜のテスト対策をしたこと。

 思うように成績が上がらなくて、弱音を吐くフレデリカを励ましたこと。

 テストの打ち上げに、マーティンおじさんのおごりで豪遊したこと。


 そんなことが、巡り巡って誰かを救っているのだと思えるから。


「だから、ありがとう。立派な宮廷魔法士になってくれて」


 フレデリカの肩に手を添える。


 ……彼女は指先で涙を拭うと、また八重歯を見せてくれた。


「そういうとこ、ホンマ変わらんな。うちの好きなアル兄さんや」


 それからまた、颯爽と廊下を歩きだす。


「へへ。すまんな、兄さん。湿っぽい話してもうて」

「全然。聞けてよかった」

「いやー、こういうんはあとで酒でも飲みながらって思っとったんやけどなあ――あ、ホラ。もう着くで」


 気づけば、王立魔法研究所の狭く曲がりくねった廊下も終わりに近づいていた。


 これまで歩いてきたのは通称『新館』。建造物としては充分に古く、戦前に建てられてから数十年を経ている。

 だが、僕が目指していた『旧館』は築年数にして二百年を軽く越え、恐らくは王国最古の建造物の一つだ。


 王立大図書館――宮廷魔法士は単に『資料室』あるいは『旧館』と呼ぶ者がほとんどだ――これまでの王国の歴史、そして魔法研究の成果の数々が収められた、王立魔法研究所の中核とも言うべき施設。


「……これで良し、と。認証は終わったで」


 フレデリカが紋章――宮廷魔法士の証にして、アンドリュー・グリーンウッドが魔刻エンクレイブを施した『鍵』――をかざしたことで、幾重にも施された防衛魔法が解除されたのを確かめると。

 僕は、樫製の重い扉に手をかけた。


「よし。行こう」


 まずはここから、だ。

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