第75話 おじさん、妹と再会する

「アル兄さん! もう大丈夫やで。検診終わって、みんな部屋に戻ったから」

「……よかった。ありがとう、フレデリカ」


 僕は、恐る恐る扉を開くと――隙間から廊下の様子を伺った。

 うん。

 もう誰も、下着一枚のあられもない姿でキャーキャー叫びながら僕を追ってきていない。


 怯える僕を見て、フレデリカは呆れ顔だった。


「しっかし相変わらずやなぁ、アル兄さんは。フツー、見ず知らずの女を助けるのに冒険者六人まとめて叩きのめす? 一緒に逃げるとか、他の方法あったやろ」

「さっさと終わらせるのが一番だと思って」

「その余裕、流石は“世界最強の魔法使いオールマイティ”の貫禄やね。で、全男子憧れのシチュエーションやけど、あんだけの娼婦からお誘いもらって、カラダ保つ? 精力剤でも処方したろか? 最近そういう仕事多くてな、詳しくなったで」


 いたずらっぽく笑い、肘でつついてくる。


「冗談はやめてくれ。僕には過ぎた歓迎だよ」

「そういうところも変わらへんなあ。“魔王キング・ウィザード”らしく、もっと豪快にいったらええのに」


 別に、自分で名乗ったわけじゃないんだ。渾名に合わせる義務もない。


「……また会えてホンマに嬉しいわ。アル兄さん」

「僕もだよ、フレデリカ」


 彼女に会うのも、三年ぶりだろうか。


 当時のフレデリカは学園を経て王立魔法研究所に入り、宮廷魔法士の候補生として実績を積んでいる最中だった。

 三年が経って、髪はだいぶ伸び――魔法使いは研究が進むほど身だしなみに疎くなる――、首には二匹の蛇と杖の紋章が刻まれたペンダントを下げるようになっていた。


「おめでとう。宮廷魔法士になったんだね」

「ありがと。でも、十六歳なんて破格の早さで宮廷魔法士になった兄さんはまだしも、後輩のユーリィにも遅れを取ってもうたんやで。アイツはもう“魔王の再来ネクスト・キング”とか呼ばれ始めとるし。自分が情けないわ」


 そんなことない。


「医療魔法の研究は、成果が出るのに時間がかかるだろ。それに君は、こうして分け隔てなく、たくさんの人達に研究の成果を共有してる。最高の宮廷魔法士だよ」


 外傷を癒やす治癒魔法はある程度の効果が確定された分野だけど、病や内的要因による疾患に対して有効な医療魔法というのは、まだまだ未開拓だ。

 疫病で生まれ故郷を失くしたフレデリカは、学生時代からずっとこの分野の専門家になることを志してきた。


「褒めすぎやで、兄さん。ウチはただの魔法使いで、慈善家やない。色街は衛生状態も良くないし、病気が発生しやすいエリアやから、ちょうどええサンプルが採れると思っただけや」

「調査名目なら研究所の予算を使える。患者に負担をかけることもないし、新しい病が生まれても早めに対応できる。でしょ?」


 僕が付け加えると、フレデリカは降参の合図に両手を上げてみせた。


「……こうして兄さんに褒めてもらうのも、久しぶりやね」


 そう言って、懐かしそうに目を細める。


 フレデリカがまだ学生だった頃、試験の時期になる度、マーティンおじさんに家まで連れて行かれたっけ。

 「ええもん食わせたるから、フレデリカの勉強見たってほしいんじゃ」って。


 ……おじさんは頼れるリーダーだったけど、教師としては全然ダメな人だった。


 研究所に招かれた僕の配属先を、モルガン師匠の工房アトリエとマーティンおじさんの工房アトリエのどちらにするかで揉めた時、当時の幹部のほとんどはモルガン師匠を推した。


(稀代の才能を新人クラッシャーに預けるなんてもってのほか! とか言って)


 まあ、選ばれたモルガン師匠が優れた教師だったかというと……多分、当時の幹部達は消去法で選んだんだと思う。

 そもそも研究所は教育機関じゃないんだから、当たり前の話なんだけど。


「――なあ、アル兄さん。思い出話なら一晩でも続けられるんやけど……まずは重要なことから教えてもらえる?」

「どうして僕が王都にいるか、ってこと?」


 昼が長い夏の王都にも、ようやく夜がやってきた。

 色街と蜜月館には、笑いと嬌声が満ちる時間帯。


 館主――レディ・シモーヌの計らいで空けてもらった一室で、僕とフレデリカはテーブルを挟んで向かい合っていた。


「どうやって、は聞かないわ。アル兄さんほどの魔法使いがその気になったら、どこでも行けるやろうし」


 それは買いかぶりすぎだよ、と僕は笑ったが。


「笑い事ちゃうで、兄さん。アンタは国王陛下直々の命令で、あの辺境に封じられた大罪人なんや。王都にいるのがバレたら、王権反逆罪で即処刑なんやで!」

「それは村を出る前に考えたし、友人にも忠告されたよ」

「じゃあ……なんで?」


 フレデリカに伝えるべきなのか、僕は迷った。

 マーティンおじさんの現状を――闇ギルドに加担して来訪者ビジターの手引をしているという事実を。


 でも、黙っていることもできない。

 僕が知っているフレデリカは、除け者にされるのが一番嫌いだから。


「マーティンおじさんに会ったんだ。自力で僕の居場所を探し当てたらしい」

「ハァ!? あんのバカ親父、何やっとんねん! アル兄さんに迷惑ばっかかけよって、アホこじらせすぎて頭おかしくなったんか!?」


 なんという切れ味。

 こんな風に罵られるのだけは御免被りたい。


「おじさんが教えてくれた。霊素再構築エーテル・リコンストラクションをもう一度研究し直せば、チトセを――あの事故で亡くなった人達を取り戻せるかもしれないって」

「……なんやて?」


 人間は、あまりに驚き過ぎるか、怒り過ぎると言葉を失うらしい。

 今のフレデリカは両方のようだった。


「……バカ親父、超長期のフィールドワークとか抜かしよったけど……そんな与太話を追いかけて三年も過ごしとったんか」

「おじさんは言ってた。あの街に残る超高濃度の霊素エーテルを再構築できれば可能性はあるって。研究成果と僕が保護してる来訪者ビジターを差し出せば闇ギルドの協力を取り付ける、とも」

「やみ――闇ギルドぉ!?」


 フレデリカは長い髪に手を突っ込むと、ぐしゃぐしゃにする。

 それから深い溜め息をついて――ようやく気持ちを落ち着けたようだった。


「……アル兄さんは、その話を信じたん?」

「素直に信じたかったよ。でも、闇ギルドとの取引を持ち出されたら、裏を取らないのはリスクが高すぎる」


 だからわざわざ危険を犯して、王都までやってきたんだ。

 王立魔法研究所に保管されている事故調査報告書の原本、そして霊素再構築エーテル・リコンストラクションの研究資料を確かめるために。


「なるほど。裏取るのはええな、まっとうな考えや。で、これなんとかなるわ、ってなったらどうするん? その、手元の来訪者ビジターを差し出すのん?」


 試すような質問。

 僕は迷わず、首を振った。


「マーティンおじさんは僕を甘く見てる。闇ギルドの支援がなくたって、研究する方法はあるさ」

「……悪い顔しとるで、アル兄さん。“魔王キング・ウィザード”って感じや」

「魔法使いはみんな一緒だろ。特に宮廷魔法士は――求めるものの為なら、すべてを許す人間の集まりだ」


 例え、恩人に後ろ足で砂をかける結果になったとしても。

 

 フレデリカはケラケラと笑う。


「確かに。……アル兄さん、変わったんやなあ」

「え、僕、そんなに迂闊だった?」

「ちゃうちゃう。なんていうか……事故の直後やったら、脇目もふらずに食いついとったやろ、その話。相手が闇ギルドだろうと、取引の条件が何だろうと」


 ああ……確かに。

 どうしてだろう、と考えて。


「……最近、僕の村に来訪者ビジターがやってきたんだ。チトセの姪が」

「ちょ、もう驚かせんといてや……ものすごい確率やで、そんなん! 兄妹が同時に現れたケースは聞いたことあるけど、十年以上経ってから近親者が来るなんて――奇跡やん!」


 僕は頷いた。

 あの出会いは奇跡だった。


「彼女と出会って、話をして。トラブルも少しはあったけど……おかげで僕は変われたんだと思う。カレンとも、チトセの話ができるようになったんだ」


 奇跡は、僕を変えてくれた――僕達を。


「……そか。よかったね、兄さん」

「うん」


 フレデリカは目尻の涙を拭って、それから少し鼻をすする。

 ……相変わらず大げさなんだから。


「ウチも会ってみたいわ。その姪っ子ちゃん」

「紹介するよ。いつか、必ず」

「楽しみにしとくわ」


 そう言って、彼女は立ち上がった。

 青みがかった美しい髪をレースのリボンでまとめながら、


「王立魔法研究所の資料室やったな? さっさと用事済ませて、飲みに行こうや。三年ぶりの再会やもん、一晩ぐらいは付き合ってもらわんとね」

「うん、て、えっ、ちょ、フレデリカ? まさか君もついてくるつもりじゃ」


 返事はウインク一つ。


「さっきは『アル兄さんならどこでも行ける』ゆうたけど、研究所だけは別や。てかそもそも、どういうプランなん?」

「防犯担当はまだアンドリューだろ? 彼の設計思想とトラップ対策は大体憶えてるよ」

「じゃあマスター・グリーンウッドの偏執狂ぶりも知っとるやろ? この三年でどんだけ身分証明用の暗号魔法が複雑になったと思う? 流石の兄さんも腰抜かすで」


 アンドリュー・グリーンウッド――いつも迷宮ダンジョンからモンスターが溢れ出して街に攻め込んでくる可能性に怯えていたっけ。

 有史以来、一度も起きていない災害だけど。


「それは……そうかもしれないけど、でもフレデリカを巻き込む訳にはいかないよ。僕を手引したのがバレたら、君だってタダじゃ済まない」


 フレデリカに何かあれば、孤児院の家族だけじゃなく、多くの人に累が及ぶ。

 彼女は数少ない先進医療魔法の担い手なんだ。


「そこでアンタが責任感じるのは筋違いやで、アル兄さん。そもそもウチを巻き込んだんは、あのマーティン・ヴィゴいうバカ魔法使いや。しこたましばき倒して悪党どもと手ェ切らせるから、手伝ってや」


 バッサリと言い切ると、フレデリカは革製のドクターバッグを担いだ。

 白衣の裾を翻しながら、颯爽と踵を返す。


「ホラ、ぼさっとせんと! さっさと行くで、アル兄さん!」

「いや、え、待って、まだ話は終わってないって!」

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