第66話 女戦士、緊張で手が震える
客席でカレンとアルフレッドの出番を待っている時間は、控えめに言って心地良いものではなかった。
樽で飲んだエールの影響を差し引いても、汗の量と脈拍の速さがすごいことになっている。
「あ、あの、“
「お! あ、ああ。来てたのか、オリガ」
「えッ、いや、割とさっきから隣に座っていたのですが……あの、だいぶ緊張されているようですね」
緊張? このあたしが?
国王陛下への謁見でもドラゴンとの一騎打ちでも、興奮しか覚えなかったあたしが?
「なんだか……王立学校での授業参観に来た母を思い出します。それがしが何かやらかさないか、ヒヤヒヤしていたそうで」
「……なるほど。あたしも、その気持ちは分かるな。お前が闇ギルドとの戦いに参加すると言い出した時は、そんな気分だった」
「そんなッ、ヒドいです“
やけに傷ついた顔をするオリガを適当にあしらいながら。
(でも、確かにそうなのかもな)
あたしは学校にも通っていないし、親もいないからよく分からないが。
カレンとアルフレッドなら必ず大丈夫だと思う一方で、何かやらかしたらどうフォローすればよいかと気を揉む。
自分自身や赤の他人のことだったら、こんなに期待と不安が入り交じることもない。
あの二人は――あたしにとって、特別なのだ。
(……そう思うと。出番を待っている時間も、悪くはない……気がする)
いや、でもやっぱり辛いな。
胃がキリキリしてきたし、手も震えてきたぞ。
「本当に大丈夫ですか? ……その、手に持ってるエールはやめておいた方がいいのでは?」
「バカ野郎、飲まなかったら余計に落ち着かないだろうが」
「むしろ飲み過ぎなのでは……さっきも大会で樽ごと飲まれてましたし」
違うぞ。それは断じて違う。うん。
こんなのは水と同じだ。
「――続きましては! 北方が生んだ天才美少女覆面ジャグラー! そして、その保護者! レイカ&ドルフの登場ですっ!」
……美少女? 覆面なのに?
という疑問はさておいて。
レイカとドルフ――奇妙な覆面とカラフルな衣装に身を包んだカレンとアルは、万雷の拍手と歓声に迎えられて、ステージに現れた。
(オイオイ、右手と右足が同時に出てるぞアル――ああっ、カレン! お前、客席に近寄りすぎるな、正体がバレるだろ!)
あの二人が魔法使い――規格外に優秀な魔法使いであることは、村の住民は当然知っているし、アルは下手すると外からやってきた観光客にも知られている可能性がある。
だから顔を隠し、口上も一切なし。
無言で芸だけを披露し、去っていく。
アルがこの話を引き受けるにあたって、マダム・カミラに出した条件がそれだった。
――道化姿のアルは背負っていた巨大なリュックを下ろすと、中からクラブを取り出す。
まずは自身がジャグリングしようとして――失敗する。
ここで、一度笑いが起きた。
(……あんなぺこぺこしてる道化師、見たことないぞ)
いくら見た目を取り繕っても、中身は弱気なおっさんだな。
もしかしたら村の住民は正体に気付いたかもしれないが――多分、逆に面白がるだろう。
『あのアルフレッド先生がステージに立つなんて、一体何をやらかすつもりだ!?』ってな。
もう一度挑戦しようとしたアルの手からクラブがすっぽぬけ――カレンの手に収まると。
(まずは一つ目を投げ――二つ目――まあカレンなら、これぐらいは楽勝か)
カレンはジャグリング用のクラブを危なげなく操り始める。
……いや待て、カレンはまだ七歳の子供だぞ?
しかも魔法を使いながら――これだけでも大したもんじゃないか。
(七歳だぞ? 七歳のあたしが
アルは新たなクラブを取り出し、カレンへと投げ渡す。
(三つ目――四つ目――五つ目!)
既に客席からは驚きの歓声が上がっている。
「すごいですよッ、“
「黙れバカ、正体は秘密だって言っただろ」
オリガの口を片手で塞ぎながらも、あたしは舞台から目を離さない。
続けてアルが取り出したのは――クマのぬいぐるみ。
受け取ったカレンは、これもジャグリングに組み込む。
クラブが五つに、ぬいぐるみが一つ。
魔法のようにぐるぐると宙を舞う――のように、というか実際に魔法を使っているんだが。
アルはどんどんアイテムを取り出して、カレンに投げ渡していく。
布のボール、植木鉢、瓶入りワイン、生ハムの原木、大きな水晶玉!
(オイオイ、一体いくつジャグリングさせるつもりだ!?)
カレンは渡された全てを受け止め、一定のペースで捌き続けていくが――
ついに、一つのクラブがあらぬ方向へと飛んでいった。
(マズい!)
と客席の誰もが思った時。
予想だにしないスピード――これも魔法を使ったのだろう――でクラブをキャッチしたのは、アルだった。
……おいしい所を持っていく奴だな、まったく。
アルはそのまま、器用にクラブを操ってジャグリングを始める。
冒頭のヘタレぶりはどこへやら。
(お前も出来たのかよ!)
心のなかでツッコんだ時には、あたしも緊張を忘れて、すっかりただの観客になっていた。
アルがちょいちょいと手招きする度、カレンは自分のアイテムをパスして――
やがて二人揃って華麗なジャグリングを始める。
信じられないほど息の合った演技。
そんな二人の姿が、やけに眩しく見えて。
どういう訳か、あたしはちょっとだけ泣きそうになった。
――その後も、火をつけた松明、重ねた椅子の上で、動物の背中に乗って、などなど、こっそりと魔法を駆使したパフォーマンスは続き。
全てが終わってカレンとアルが頭を下げた時には、テントが張り裂けそうなぐらいの拍手と歓声が降り注いだ。
程なく、サーカス全体のグランドフィナーレもつつがなく終わり。
あたしとオリガは楽屋へと向かった。
「――本当にすごかったねっ、カレンちゃんっ!!」
舞台袖にいたチヅルは、あたし以上に感極まっていたのだろう。
カレンを力いっぱい抱きしめて、何度も褒め称えていたようだった。
「えっへへへ! ありがとー、チヅルおねーちゃん! みんな、よろこんでくれてたよね!」
「うん! うんうんうん!」
「カレン、良い魔法使いになれた?」
チヅルが力いっぱい、何度も頷く。
アルもまた、カレンの頭を優しく撫でながら、
「君は本当にすごいよ、カレン。観客も、自分自身も、サーカスも、全員が幸せになる魔法が使えたんだ。偉かったね」
「……えへへ」
大輪のひまわりが咲くように、カレンが笑う。
そんな三人を見ていると――自然、アルと目が合った。
「……すまん。手間をかけさせたな、アル。あたしがフルネラリを潰したせいで」
「怪我の功名ってヤツだよ。……ありがとう、エレナ」
よく見れば、アルもすっかり目の周りが赤くなっている。
多分、ステージを降りてからずっと泣きそうなのだろう。
(カレンが生まれてから、本当に涙もろくなったよな、アルは)
まったく困ったもんだ。
もうやめろ、ホラ、あたしにも伝染るだろうが。
「エレナおねーちゃん! おねーちゃんも見てくれた? カレン、がんばったよっ!」
「ああ、すごかったぞ、カレン。お前ならプロのジャグラーとしてやっていけるんじゃないか?」
「ダメだよ、カレンは魔法使いになるの! 優しくて強くてかっこいい、おとーさんみたいな魔法使い!」
……あーあ。
お前、カレン、もう、不意打ちはやめろって。
アルの涙腺が完全に崩壊しちゃっただろ。
あたしはチヅルに目線を送る――なるべく早くアルを泣き止ませてくれ。
返答は、力強い首肯。
お前はアルの母親か。……うん。まあちょっとそういうとこあるな。
「オリガおねーちゃんも! 見た? 見た見た?」
「うん。それがしもビックリしたよ。カレン殿、本当に初めてやったの?」
「あのね、カミラおねーさんに教えてもらったの! 何が起きても慌てず騒がず、堂々としてなさい、それがパフォーマーよ、って――」
不意に。
テントの外――遥か遠くから爆発音が聞こえてきた。
「あっ! 花火! ユーリィおねーちゃんの! もうはじまっちゃった!?」
「そうでした! 急ぎましょう、カレン殿!」
駆け出すカレンとオリガの後を追って、あたし達は楽屋のテントを出る。
「……おお。すごいな」
夏の夜空には、もう数え切れないほどの光が広がっていた。
腹まで響く轟音に合わせて弾ける、色鮮やかな輝き達。
サーカス帰りの観客に混ざって、あたし達はそれを見上げる。
「うわー! うわー! きれー! ねえ、おとーさん見て! あれ――あっ、あっちのやつ! イルカさん! カレンがつくったの!」
「ホントだ、ちゃんとに動いてるね。ユーリィもいい仕事してるな……ホラ、あっちはチヅルさんのだ」
「わあ、良かった、うまく発動して――チキュウの花火そっくりですっ!」
アルとカレン、チヅルの三人は、花火が一発上がる度、一緒になってはしゃいでいる。
あたしはそんな三人の後ろ姿を眺めながら――
この光景を、ずっと見ていたいと思っていた。
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