第60話 おじさん、身体で報酬を払う

 夢を見ていた。


 僕は、家でカレンと遊んでいて。

 不意にドアの呼び鈴が鳴った。


 こんな夜に誰だろう、と僕は不思議に思うが。

 カレンはそれを待ち望んでいたかのように、駆け出した。

 僕は慌ててカレンを追う。


 はしゃぐカレンを宥めながら、扉を開くと。


 そこにチトセが立っていた。

 あの頃よりも少しだけ年をとって、美しくなったチトセ。


 僕は言葉もない。


 ただ思う。

 ああ、そうか、そうだった――


 事故なんてなかった。悲劇なんて起きなかった。

 僕の大切な人は誰も欠けること無く、幸せに暮らしているんだ。


 そうだ、そうだったんだ。

 僕はどうして、あんなに悲しい日々を過ごしていたんだろう。


 でも。

 僕はどこかで気付いていた。


 これが夢で――目を覚ましたら、全てが消えてしまうのだと。

 分かっていて、それでも彼女に手を伸ばして。


「――先輩」


 少しでも触れていたくて。

 今、この瞬間だけでも、抱きしめておきたくて。


「やだっ、あっ、アル先輩、ったら……そこは、恥ずかしい、ですよぅ」


 ……先輩?


 僕は目を覚ました。

 そして――言葉を無くした。


「いいですよぉ、もっとぎゅってしてもっ」


 僕の布団の中から、ユーリィが顔を出した。

 やたらと露出の多い――例の女神の衣装をまとっていて。

 何故か僕の腕の中にいて。


「……言いたいことはたくさんあるんだけど、ごめん、とりあえず出てってくれる?」

「え~っ、ちょっと、なんですかそのリアクション! 流石のユーリィもちょっと傷つきますよ!?」


 傷ついたのは僕のプライバシーだよ。

 そもそも、なんで人の部屋に勝手に入ってきてるんだ。

 ル・シエラを買収でもしたの? お菓子で釣ったとか?


「薄々気付いてましたけど、先輩ってホント巨乳好きですよねっ! あのデズデラを裸にした時だってちょっと照れてたくせに! ユーリィ気付いてましたからねっ、このおっぱい星人っ」


 なんで起き抜けに、自分の趣味について罵倒されなきゃいけないのか。

 というか、今その話、関係ある?


 大体、一緒に寝てたはずのカレンはどこに……


「あれ……ていうか、ユーリィ、今、何時?」

「えっ!? こんなギリギリセクシーな服を着たユーリィがいつの間にかベッドに潜り込んでいたのに!? 最初の質問それですかっ!?」


 よく考えたら僕、いつものパジャマじゃなくて外出用のシャツのままだし、なんかおかしいな……


 あ。そうか。


(昨日、徹夜でエレナとユーリィの看護をして、そのままベッドで寝落ちしたんだ)


 ちょっと待て。

 じゃあ今日の星祭スターフェスは……


 一瞬にして、血の気が引いた。

 慌てて部屋の窓から顔を出す。


 太陽は既に中天を過ぎて、暑さも少し落ち着きを見せていた。

 木々を揺らす風にのって、二日目を迎えた祭の喧騒が聞こえてくる。

 屋台の呼び込み、旅芸人達の歌、はしゃぐ子供と追いかける親の声――


「まずい、本部に行かないと――」

「大丈夫ですよっ、アル先輩! 村の皆さんが寝かせておいてやれって」

「――えっ?」


 寝汗でくしゃくしゃになったシャツを脱ぐ途中で、僕は手を止めた。


「目を覚ましたらお客さんとして祭を楽しんでほしいって、アガタ司祭が言ってましたよ」

「いや、でも、まだやることが」

「『実行委員としては十二分に働いてもらいましたから。あとは家族サービスの方もがんばってくださいね』だそうですよ?」


 それはまた、アガタ司祭らしい心遣いというか。

 でもなんか尻切れトンボの中途半端感が否めないというか。


 と僕が戸惑っているうちに。

 いつの間にかすり寄ってきたユーリィが、脱ぎかけのシャツの隙間から僕の背中に触れてきた。


「ちょっ、手っ、つめたっ! なに、ユーリィ?」

「なに? じゃないですよぅっ★ ユーリィ、昨日はすっごいすっごいがんばったんですよっ」


 すねた子供みたいに口を尖らせるユーリィ。


「たまにはユーリィも報われてもいいと思いません? アル先輩っ」


 ……んんん、ええと、つまり、


「昨日の『報酬』じゃ足りなかった、ってこと?」

「アル先輩も、ちゃ~んとお礼したい! って言ってましたよねぇ。ユーリィのお願い、聞いてほしいな~★」


 どうしてだろう。

 言っていることは筋が通っているのに、ユーリィの笑顔に闇を感じる。


(……ユーリィのお願い? お願い……ってなんだっけ……)


 ……僕は記憶の底から何かを引っ張り出してくると、頷いた。


「……うん。分かった、そうだね、ユーリィが正しい」

「わ~いっ★ え~と、そしたらですねぇ、まずは――」

「僕も覚悟を決めるよ、うん」


 それ以上ユーリィには何も言わせずに、シャツを脱ぐ。


「えっ、えっ、あっ、いきなりですか? えっ、ちょ、そんな、アル先輩ってば――ユーリィはずかし……あっ――」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「おっ、先生! ようやく起きたのかい――って、なんだ、そのカッコ! いつものローブはどうしたんだよ!」

「ごめんロバート、言いたいことは分かるから、口に出さないでくれ……」

「旦那、旦那、旦那! 元気になってよか――ちょ、わ、あっははは! やだもうセクシーすぎるよアルフレッドの旦那! ちょっとみんな、こっちおいで! 今なら旦那のおっぱいがタダで見られるよ!」

「やめてアインお願いホント、面白いのは分かってるつもりだから……」

「きゃー! すごいすごい! アルフレッド先生、思い切ったわねぇ!」

「メリッサ声大きいよ、ちょ、触らない! 近いよメリッサ!」


 ……なぁ、ユーリィ。


「なんですか、エレナさん?」

「……あたし達は何を見せられてるんだ?」


 星祭スターフェス二日目。

 いつもとは一味違う喧騒と活気に満ちた、村の目抜き通り。


 その真ん中で、アルは村人たちにイジり倒されていた。


 理由は明白。アルの服装だ。


 古代神話に由来する祭の正装――つまり女神アンナスルに恋をした人間アーティルをイメージした服装は、なんというか。

 正直、露出が多かった。


 一枚布を右肩にかけて、腰を紐で縛ったような簡素な作りで、確かに当時の人間はこれで良かったんだろうが……


 現代では、片胸も脚も丸出しのファッションはだいぶ過激だ。


「オイ、ユーリィ。これがお前の『報酬』なのか? 羞恥プレイとはまたマニアックな」

「ちっ、違いますよっ! アル先輩が、その、『そういえばユーリィ、例の衣装を着て祭に行きたいって言ってたよね?』とかなんとか言い出して」


 やっぱりお前が原因じゃないか。


「違いますってば! ユーリィは二人っきりでお祭りデートしたかっただけで、衣装もユーリィが着たかっただけなのに~っ」


 アルの奴、本当に、興味のないことに関する記憶も理解も提案も適当だからな。

 一体何をどう考えたら、カレンとの約束までの間、あたしとユーリィとチヅルを一度に連れ回そうなんてアイデアが出てくるんだ?


 お前は良心とデリカシーを母親の腹の中に置き忘れてきたのか?

 一緒に回ろうと声をかけたときのオリガの顔見たか? アイツが本当に『傷がまた痛み始めたから』断ったと思うのか?


 と、まあこのように、アルと上手に付き合っていくなら、自分の希望はちゃんときっちり伝えないといけない。


「手遅れなアドバイス、ありがとうございます……」


 礼には及ばん。

 手遅れなのはあたしも一緒だ。


(確かにあたしも『祭に付き合え』としか言ってないが……こういう時は二人っきりと相場が決まってるだろうが! 馬鹿め!)


 オリガの面倒を見る時に約束を取り付けたつもりだったが、アルを甘く見ていた。

 あたしの戦略的なミスだな、これは。


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