第21話 おじさん、女子風呂をつくる

 結局、ストーン・バッファローの行列――降り注ぐ【火球ファイアボール】にも列を乱さない筋金入りのおっとり加減――に道を阻まれた僕達は、予定していた宿場に辿り着くことが出来なかった。

 

 日が落ちる前に街道を離れ、野営の準備を始める。

 双子の月が空に浮かぶ頃には、夕食の準備もすっかり整っていた。


「さあ皆さん、わたくし達鉄壁騎士団アイアン・ウォールズの炊事班が誇る美食を、ぜひご堪能くださいな」


 美味しそうな匂いが立ち上る大鍋を前にして、フランソワーズさんは優雅に頭を垂れた。


 今夜のメニューは保存用の乾パン、そして芋と鹿肉の野草のシチュー。

 カレンは、湯気を立てる木皿におそるおそるスプーンを差し入れると、一口。


「……む! むむむむ!」

「ど、どうしたのカレンちゃん、大丈夫? 熱かった?」

「これ! とろ~ってしてほくほく~ってして、ほわ~ってなる! すごい! これすごいよフランソワーズおねーさん!」


 大きな目をキラキラ輝かせながら、カレンは皿をひっくり返す勢いでシチューを平らげていく。

 いつもだったら行儀が悪いと注意するところだけど、あいにく僕も同じような状態だった。


 すごい。鉄壁騎士団アイアン・ウォールズの炊事班、ホントにすごい。


「まあまあ、お喜びいただけて光栄ですわ。おかわりもございますから、ご遠慮無く」

「むぐ! ふぐふぐふぐほご!」

「……あなたは少し落ち着きなさいな、エレナさん」


 昔、ジェファーソン様から「騎士団の実力は炊事班の腕前で決まる」という話を聞いた時はジョークだと思っていたけれど、今、僕はそれが真実だったと実感している。

 つまり、他のメンバーにシチューをよそっている炊事担当のエミリアさん――実家はレストランをやっているらしい――こそが、親衛隊の影のリーダーなのだ。


「どうだ、ジェヴォン嬢。ラーヴェルート家と鉄壁騎士団アイアン・ウォールズが誇る『戦場シチュー』の味は」

「……ヤベェ。これ、マジでヤベェ! おいお前達、残すんじゃねェぞ!」

「ミド、おかわり~!」

「おいズルいぞ、ファドも! ファドもだ!」


 まるで砂漠から生還したばかりのような必死さで、ジェヴォンと獣人の双子はシチューをかきこんでいた。

 その様子を眺めて、マリーアン様は目を細める。


「食事の時は、年相応になるものだな」

「……主に変わって平素のご無礼をお詫びいたします、マリーアン・テレボワ・ラーヴェルート伯爵」


 膝をつこうとするレオンを、マリーアン様が止めた。


「ジェヴォン嬢は気を張っておられるのだろう。お父上を亡くし、お母上も危ういお立場。手勢もなく、降って湧いた来訪者ビジターを当てにするしかないほどの窮地だ。膝を折って諦めぬだけでも、見上げた胆力だ」

「お心遣い、いたみいります」


 マリーアン様が頭を振ると、プラチナ色の豊かな髪が揺れる。


「いや、似たような経験があってな。我の時も、そなたのように支えてくれる者がいたのだ」


 いつの間にか、マリーアン様の黄金の瞳が僕を捉えていた。

 僕は慌てて皿を下ろし、口元を指で拭う。


「……時にレオン殿。少々立ち入ったことを訊いてもよろしいか?」

「私にお答えできることであれば、なんなりと」

「そなた、ジェヴォン嬢のことをどう思っておる?」


 いまいち意図の分からない質問。マリーアン様らしくもない。

 レオンも何かを探るような顔で、


「……あの方は、亡きジャック様の忘れ形見にして、私が身を捧げるべきご当主ですが」

「隠さずともよい。見ていれば分かる」


 ……本当に何の話をしてるんだ、マリーアン様は?


 と思っていたら。


「な、なななななな、な、なに、何をおっしゃっているのか、さっぱりですな」

「やれやれ。魔法使いというのはカタブツか鈍感しかおらんのか」


 ものすごい勢いでレオンが赤面しはじめた。

 まるでリンゴか、校舎裏で告白している子供みたいな――


(あ。え。あー、そういうこと? え?)


 普通に従者って言ってなかったっけ? んん?


「どうしたんですか、アルフレッドさん。あの二人がどうかしました?」

「あ、チヅルさん。ええと、あのね、あのー……えーと……あれだ。レオンとジェヴォンって、どんな関係だと思う?」


 我ながら意味不明な質問をしてしまった。

 でも、チヅルさんは乾パンをかじりながら、真剣に考えてくれる。


「……主従関係に阻まれた身分違いの恋、って感じですよね」

「えっ、え、やっぱりそうなの? 見てて分かった?」

「いえ、あの、別に確信があった訳ではなくて、なんか、二人で話してる時の感じとかが、ちょっとそんな雰囲気だなって……ただの勘ですけど」


 えー。すごい。チヅルさんすごい。

 あれ? これ逆に僕がダメなの? なんで気付いてなかったの馬鹿なのってレベルなの?


「え、でもさ、ホラ、ジェヴォンはまだ十四歳の子供でしょ? で、レオンは……何歳か知らないけど、まあいい大人に見えるし。仲が良いのは、普通に親子っていうか、兄弟? みたいな感じかなって……あれ、チヅルさん?」

「……別に年齢は関係ないんじゃないですか?」


 気のせいかな、なんか急にチヅルさんの目が冷たくなった気がする。

 そしてマリーアン様がまだこちらを見ていたことに、僕は今更気付いた。


「……相変わらず鈍感だな、先生は」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「さて、空腹も癒やされたところで……一つお願いがあるのだが、アルフレッド先生」

「言うと思いましたよ。ホント好きですね、マリーアン様は」

「話が早くて助かるぞ! 流石は、我が最も尊敬する師だ! ぜひとも我が親衛隊に永久就職していただきたい!」


 らしからぬほどテンションを上げるマリーアン様と、同じく楽しそうにはしゃぐ親衛隊の人達の前に、断る理由もなく。


 僕は魔法で露天風呂を作った。

 もちろんそんな大げさなものではなくて、【石壁ストーン・ウォール】と【発火イグナイト】を組み合わせた即席のものだ。

 せっかく川の近くにキャンプを張れたのだし、一日の疲れは残さないに限る。


「おおおお、素晴らしいっ! 素晴らしいぞアルフレッド先生! いざゆかん、鉄壁騎士達ウォールズよ!」

「いやー、マジ助かるッス、アルフレッドさん!」

「慣れっことは言え~、お風呂に入れないとやっぱり匂いがね~、気になりますよね~」

「汗はかくし鎧は蒸れるし、その上髪も痛むからな。まこと、恩に着るぞ、魔法使い殿」

「ちょっと皆さん――マリーアン様も。はしゃぐのはよいですけれど、服を脱ぐのはもう少しお待ちなさいな。まだアルフレッドさんが見ていらっしゃるのですよ?」


 フランさんの言葉に、マリーアン様と七名の親衛隊――鎧の留め金を外している者もいれば、早々に下着までたどり着いた者もいる――全員の視線が僕へと注がれた。


「あっ、と、えー。その、僕はそこで火の番してるんで、皆さん、お先にどうぞ」


 僕はそそくさと、目隠し用の壁で囲った炉に向かうが。


「ふむ。待てフラン。そもそも先生を差し置いて先に入るというのは礼を失するとは思わぬか?」

「なるほど。おっしゃる通りですわ、マリーアン様。……では、ここはアルフレッドさんの功をねぎらうため、わたくし共が素肌でおもてなしする、というのはいかがでしょう?」

「あら~、素敵なアイデアですねぇ~、道中ともにするのですから~、お互いの事をよく知っておいた方がいいかもしれませんねぇ~」


 はい?


「いやいやいやいや、またまた、冗談が過ぎますよ皆さん――」

「おいフラン! 黙って聞いていれば、貴様、一体何を言い出すんだ! 欲求不満でおかしくなったのか?」

「あなたが黙っていたことがありまして、エレナ? そもそも、昼間の迎撃もこのお風呂も、全てはアルフレッドさんのおかげ。わたくし達としては、精一杯のお礼を、と思っているだけですわ」

「娘の前で父親にいかがわしい誘いをかけるなと言ってるんだ、“毒紫トリカブト”め!」


 あっという間に猛烈な口喧嘩に突入するフランさんとエレナ。


 ……ちょっと親衛隊の皆さん、笑ってないで止めてください。

 もしもどっちか手を上げたら、確実に血を見ることになりますからね!?


「……おとーさん、おねーちゃん達とお風呂はいる? カレンと入らない?」

「えっと、違うよ。みんな冗談を言ってるだけなんだ。それよりカレン、せっかくだからみんなと一緒に入るといいよ、水も燃料も限られてるから、ね、ホラ、チヅルさんも」

「……鼻の下、伸びてますよ、アルフレッドさん」


 えっ嘘、ホントに?

 思わず口元を隠した僕を見て、チヅルさんはおかしそうに笑った。


「嘘です。……カレンちゃん、お風呂に入れてしまうので、タオルと着替えの準備はお願いしますね」


 ……なんか、段々チヅルさんにも勝てなくなってないか、僕。

 嬉しいようなもどかしいような気持ちで、荷物から着替えを取り出していく。


「……あれ、そういえばユーリィ、君はいいの?」

「えーとぉ、ユーリィはぁ、そのぉ……あとで、こっそり先輩と二人っきりで入りたいなっ★ なーんて」


 いいからさっさと入って。男性分の薪が無くなっちゃうから。


「え~っ、ひどいひど~いっ!」

「お前もつまらない小細工をしてないで早く入れ、ユーリィ。風呂が沸騰する前にな」


 わーきゃーと騒ぐユーリィとタオルと着替えをエレナに預けて、風呂を温めるための炉の前に腰を下ろす。

 目隠し用の石壁に囲まれた空間で、揺らめく炎を見つめていると、つかの間の安らぎを感じられるような――


「どういうことですか! アルフレッド殿!」


 気がしたけど、そんなことはなかった。

 やってきたレオンは、憤懣やるかたないといった様子で、


「おのれ伯爵殿! いくら貴族とは言え、天下にその名を轟かせる“世界最強の魔法使いオールマイティー”に風呂係をやらせるとは!」

「えーと、悪いねレオン、そう思うなら火の維持、変わってもらっていい?」


 ぶつくさ言いながら薪を焚べ始めるレオン。

 これぐらい温厚じゃないと、ジェヴォンの世話係は務まらないんだろうなぁ。


「マン・イーター討伐といい、風呂の準備といい、一番の功労者はアルフレッド殿でしょう。それを差し置いて一番風呂に浸かるとは、伯爵殿は一体どういうご了見なのでしょう!」

「いやまあ、そういうのはお互い様だからね。ていうか君も『戦場シチュー』堪能してたじゃないか」


 大体、レオンもどうしてそこまで僕を持ち上げてくれるんだ。

 いい加減噂を信じ続けるのはやめて欲しい。


「それは、確かにそうですが……せめて、親衛隊から選りすぐった美女が三名ほど、アルフレッド殿のお背中を流すぐらいのことはあってもよいのではないかと」


 それはありがたいけど、やめてくれ。

 そんな姿、カレンに見せられないだろ。


「では致し方ありません、かくなる上は私がアルフレッド殿のお背中をながしてさしあげ」

「もっとやめてくれ」


 そもそも僕は、一人でゆっくり湯に浸かるのが好きなんだ。

 もちろんカレンとお風呂に入るのは楽しいけど、あの子は入浴中に一瞬たりともじっとしていないので結構疲れるんです……溺れないように気を配ったり、頭を洗ったり歌を唄ったり、やることもたくさんあるし。


 正直、今チヅルさんやエレナ、それに親衛隊のみんなが一緒に入ってくれるだけでも、充分労われている。

 ありがとうみんな、助かります。


 石壁越しに聞こえる楽しそうなカレンの声に、僕は耳を傾ける。


「――おっふろっおっふろっ、たーのしーいなー」

「おいガキンチョ、なんだそりゃ! いいか、見てろよ! 歌っつうのはなァ、こうやって歌うんだよォ――」


 いつもの荒っぽい言い回しとは一転、驚くほどの美声でジェヴォンが歌いはじめた。

 これは――鉱山の作業歌か?


「……リリー家と鉱山は切っても切れない関係にあります。先代のジャック様はジェヴォン様を連れてよく視察に行ってらっしゃいました。その時に憶えられたのでしょう」

「わあ、すごい! おねーちゃん上手! カレンもカレンも!」

「おう、ついてこいガキンチョ!」


 ジェヴォンの歌に合わせてカレンが声を上げ、誰かが手を叩き、誰かが岩を叩き、また別の誰かが口笛を重ね、いつの間にか賑やかな旋律が生まれていく。

 僕も、いつの間にか足でリズムを取っていた。


「……いい歌声だね。歌手としてやっていけるよ」

「主に代わって感謝いたします、アルフレッド殿」


 誰かが指笛を鳴らし、誰かが拍手する。


「やるじゃないッスか、ジェヴォン嬢! こうなったらウチも故郷の歌、披露しちゃうッスよ!」

「よせよせ、ソフィの歌は聞くに耐えん。むしろ某が秘伝の詩を吟じてみせよう」

「カスミちゃんのお家の歌も独特よねえ~。も~、なんだかお酒が欲しくなってきちゃった~」

「いいアイデアね、ジュリア。アルフレッドさん、聞こえていらっしゃいますか? よろしければ、わたくしの荷物からワイン袋を一つ持ってきていただきたいのですけれど」

「フラン、この無礼者! このような場合は、そなたがワイン袋だけを土産に先生をお誘いするのが礼儀であろう!」

「おいマリーアン、お前もか!? フランに行かせるぐらいならあたしが行くぞ!!」


 みんなのぼせてない? 言ってることめちゃくちゃになってきたよ?


「ははは……ねぇ、のぼせる前に上がろっか、カレンちゃん?」

「……ねえ、チヅルおねーちゃん」

「どうしたの?」

「カレン、おねーちゃんみたいにおっぱい大きくなるかな?」


 誰かが何かを――いや、誰もが何かを吹き出した音がした。

 もちろん僕も吹き出した。盛大に。


「どうしました、アルフレッド殿?」

「……いや、なんでもない」


 平然としているのは、炉の炎を保つことに夢中だったレオンだけだ。


「な、や、えっ、ど、な、どうしたのカレンちゃん!?」

「カレンね、もう七歳でしょ? でもね、なんか全然おっきくなってる気がしないの。早くチヅルおねーちゃんとかエレナおねーちゃんみたいなおねーさんになりたいのに、全然、おっきくならなくて。おとーさんはいっつもかわいいねって言うし……カレンは早くおねーさんになって、立派な魔法使いになりたいのに」


 ……この話、僕は聞いちゃいけないような気がする。

 レオンに無言で詫びると、炉の傍を離れようとするが、


「ちょっとカレンちゃん、聞き捨てなりませんよっ! おっぱいが大きければ大人だなんて誰が決めたんですっ? このユーリィ・カレラを見てくださいっ! おっぱいのサイズと魔法使いとしての格はまったく別ですからっ★」


 そういうことじゃないだろユーリィ。大声で何を宣言してるんだ。


「あー……まあその、なんだ。こういうのは親から受け継ぐものが多いって言うし……いや、あたしは親の顔知らないけど……なあ、マリーアン?」

「そ、そうだとも、カレン殿の母君は実に豊満と言うか、その、我が母君と並ぶほどスタイルの良い方で……なあ、フラン?」

「ええ、そうですとも、わたくしも騎士団に入るまでは胸の大きさこそ正義と考えておりましたけれど、戦場に出てみますとこれが存外邪魔なもので」


 そういうことじゃないから。もう三人とも黙ってて。誰か止めて。


「……えっとね。カレンちゃん。魔法の練習のことは、お父さんに聞いてみるのがいいと思う。きちんと気持ちを伝えたら、アルフレッドさんは受け取ってくれる人だよ」

「……うん」


 ……ようやく炉の前を立ち去れるよ。ありがとう、チヅルさん。


「あと、その、お、おっぱいのことは……多分、心配いらないと思う。チトセおばさん、すごい大きかったし……」


 ごめん。こっちは聞かなかったことにする。

 君も炉から離れよう、レオン。

 大丈夫、薪を入れるのは魔法でもできるから。

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