第8話 おじさん、JKで実験する

 チヅルさんにとって三日ぶりの外出――この世界に来てからまともに外に出るのは初めてかもしれない。


 天気はこれ以上無いほどの快晴だった。

 紺碧の空には小さな雲がいくつか――カレン曰く「あの雲はね、鮎! あっちがお花! あれがクロワッサン! ……おとーさん、まだ着かない? カレンおなか空いちゃった!」――あるだけで、中天には昼の双子月シャーズがよく見えた。


「……月が二つ。本当にここ、地球じゃないんですね……」

「大きい方が女神の右手、小さい方が女神の左手、なんて呼ばれてるね。夜にはもう一組の月が見えるよ」


 チヅルさんはぽかんと口を開けて空を眺めていた。

 そうしていると、急にカレンと変わらないぐらい幼く見える。


「……おい、油断するな。まだ来訪者ビジター狩りの連中は諦めてないんだぞ」

「は、はい、すみません、エレナさん」


 誰よりも重武装のエレナは、ついでにピクニックセットも背負ってくれていた。

 流石にフルプレートアーマーは着込んでいないが、マントの下にはスケイルアーマーを着ているし、二刀を腰に吊っている。確か銘は『右頭ライトヘッド』と『左頭レフトヘッド』――三つの頭を持つ猛獣ケルベロスになぞらえたらしいけど……


 (その場合、真ん中の頭センターヘッドはエレナ自身ってことになるんじゃ?)


 ……絶対に口には出さないでおこう。

 僕は自分の鼻が惜しい。


「ああ、見えた。あそこが、魔法の練習場」

「……えっ。あ、あれ……ですか?」


 僕が示した先にあるのは。

 小さな山だった。

 正しくは丘といったほうがいいかもしれない――木々はなく、うっすらとした下生えに覆われた土地。


 その端が、ごっそり円状に削れている。


「……まさかとは思うんですけど、あの丸くなってるところって」

「前に領主様に頼まれて、大量の土砂を切り出したんだ。その跡地。

「土砂を、切り出した、って……ええと、ショベルカーとかダイナマイトとかで?」


 ショベル……カー? 馬車に犁をつけたようなもの?


「いえ、あの、すいません……魔法ですよね、当然」

「【大爆発エクスプロード】と【土操作ソイル・コントロール】っていう魔法を使うとね、ああいうことができるようになる」


 爆破で山肌を崩し、手頃な大きさに固めて馬車で運び出す。

 一日がかりの仕事だった。


「……誤解のないように言っておくが、いくら魔法使いでも、あんなことができるのはアルぐらいだからな。念の為」

「ですよね……」

「でなきゃ、この世界はとっくに穴だらけだ」


 エレナの注釈に、チヅルさんが安心したように頷く。

 そんなことないよ。本当に出来るんだって。基本的な理屈は同じだし。


「まず普通の魔法使いは【大爆発エクスプロード】の修得まで辿り着けないし、使えても一日一発がせいぜいだ。そして血の滲むような努力で憶えた魔法を、無償の土砂削り出し作業に使ったりはしない。分かるな、来訪者ビジター

「はい、分かります」


 ……あれ。ちょっと二人とも、なんで無視するのさ。ねえ。


 そんなことを言ってるうちに、件の“練習場”へ到着する。

 掘り起こしたのは一年ぐらい前だが、結構な熱で焼き固めたせいで未だにむき出しの赤土が広がっている。


「エレナおねーちゃん、敷物ここに広げて!」

「はいはい、分かったから走るなカレン。そこの石は運べるか?」

「できるよ! カレンも日々おねーさんになってるからね!」


 楽しそうにピクニックの準備を始めるエレナとカレン。

 僕とチヅルさんは、二人とは反対側の崖に向かった。

 これぐらい距離があれば、何かあっても僕とエレナで対処できるから。


「あの、それで……アルフレッドさん。天恵ギフトの調査って、具体的に何をするんです?」

「チヅルさんの『ステータス』を見せてもらうんだ。ええと、なんて言えばいいのかな、状態? 能力? そんなようなものなんだけど」

「分かります、ステータス。あの、現実で見るのは初めてですけど」


 こういうところが『チキュウ』出身者は理解が早いと言われる所以だ。

 どうやら彼らの持つゲームという文化は、僕らの世界に似た仕組みを再現したごっこ遊びのようだ。


 人間の状態ステータスの確認は【情報呼出レコード・コール】の魔法で行う。

 生き物は誰しも体内に霊素エーテルを保有している。その状態を言語化し、客観的に把握できるようにするのが、【情報呼出レコード・コール】。

 その表現方法は色々とある。水晶玉に浮かび上がらせる魔法もあれば、羊皮紙に焼き付けるもの、変わり種では亀の甲羅に刻むなんて言うのもある。


「魔法として肝になってくるのは、言語化の基礎になるライブラリーの部分だね。どれだけ豊富な情報をソースにするか、というところが示すステータスの精度と密接に関わってくるんだ。貧弱なライブラリーを使用しても、正しいステータスはほとんど分からない。肉眼でも分かるような情報だけさ。でも、僕が集積したライブラリーを使えば――」

「あ、あの、ええと……アルフレッドさん、その」


 困った顔のチヅルさん。

 どうやら悪い癖が出たみたいだ。

 僕は一つ咳払いをしてから、


「重要なことはね、チヅルさん。君の天恵ギフトと同じものを過去に所有していた来訪者ビジターがいるかどうか、ってことなんだ」


 もしライブラリーに情報があれば、天恵ギフトの詳細はすぐに分かる。

 そうでなければ、慎重に実験と検証を重ねていく必要がある。


「前置きが長くなったね。じゃあ始めよう」

「はい。よろしくお願いします」


 僕は【情報呼出レコード・コール】用の魔法陣を地面に描いていく。


 そうする理由は二つ。

 一つは、魔法の構成を陣として外部に展開することで使用者の負担が軽くなり、維持が楽になると共に暴走の危険が無くなるから。

 二つ目は、結果の表示に羊皮紙や水晶を使うのがもったいないから。別に僕は占い師や神官じゃないから、儀式の雰囲気を演出する必要はない。それに、素材だってタダじゃないし。


「じゃあチヅルさんはここに立ってて。位置がズレると結果に影響するから、じっとしててね」

「は、はい」


 チヅルさんは描き終えた魔法陣の中心に、僕は陣の外に。


「いい機会だから、魔法の起動方法についても軽く教えておこうか。何より大切なのはイメージ。結果を明確に想像するんだ」


 言いながら、僕は両の手のひらを魔法陣に向ける。

 魔法は構築済み。いわば組み上げた薪のようなもの。

 あとは火をつけるだけでいい。


「次に構成の理解。『どうやってその結果を導き出すか』を把握する。ここは知識と思考の領域。色々な構成に触れていくことで、未知の構成もいずれ理解できるようになるよ」


 イメージし、理解し、そして感じる。

 自身と――周囲に漂う霊素エーテルを。


 太い綱を震わせるような低い音と共に、陣が光を放ち始める。


「その次が霊素エーテルの吸収と再構成。ここが一番難しいんだ。感覚がものを言うからね。つまりそれが魔法使いと普通の人間を区別する分水嶺ってことなんだけど……」


 予定通りに発動した【情報呼出レコード・コール】によって、チヅルさんのステータスが魔法陣内の空白部分に描き出されていく。


 ……はずだった。


「――ん?」

「ど、どうしたんですか、アルフレッドさん?」


 何かがおかしい。

 魔法は確かに起動して、チヅルさんに作用している。


 はずなのに、魔法陣に反応がない。

 空白が全然埋まらない。


「なんだこれ……一体、何が――?」


 違和感。

 魔法使いにしか感じ取れない、霊素エーテルのざわめき。


 これは――


(……魔法が消費するはずの霊素エーテルが吸い取られていく――?)


 違う。それだけじゃない。

 魔法陣と結びついた僕自身からも――


 心臓を掴み取られて、食いちぎられそうな程の――凄まじい霊素エーテルの搾取!


 身体の力が抜けていく。

 指先から灰になっていくような、途方もない虚脱感。

 泥のような眠気。


 それに身を委ねれば、二度と目が醒めないという確信。


(――ぐ、)


 僕は。

 発動しかけていた魔法を強制的に中断した。


 反動は激しいノイズとなって精神をかき乱す――


 ハンマーで顎をぶち抜かれたような衝撃と痛み。

 眼の前に流星群。


「――が、は、う、ぐ……」

「あ、アルフレッドさん! 大丈夫ですか!?」


 気付いたら膝をついていた。

 チヅルさんが支えてくれたおかげで、何とか意識を保つことができたけど。

 まだ視界がチカチカする。


「う、うん、大丈夫、平気」

「そんな、ひ、酷い顔色ですよ……?」

「大したことない……バックファイアと霊素エーテルの欠乏が出てるだけ。少し休めば治るから」


 知覚・情報系魔法の暴走は、精神に影響する。

 王立魔法研究所には、肉体には傷一つ無いまま正気や自我を失い、命を落とした者がたくさんいた。


 遅れてやってきた吐き気が収まるまで、しばらく深呼吸を繰り返し。

 

「……驚いたな。まさか【情報呼出レコード・コール】を受け付けない天恵ギフトなんて」


 魔法陣の、本来ステータスが表示される領域には文字とも思えない記号が羅列されていた。

 とても意味があるようには見えない。


「これ……も、文字化けしてます、よね?」

「モジバケ?」

「あ、分からないですよね。ええと、なんて言ったらいいか……バグってる、じゃなくて、データがおかしくなってる、っていうか」


 『チキュウ』での、正しく情報が表示されない時の言い回しか。


 しかし、これじゃ調べようがない。

 何しろ、過去の記録に当たるための手がかりが無いんだから。


「あの、珍しいことなんでしょうか……?」

「多分、前例が無いと思う。というか、もし過去にいても前例を作りようがないと思う」


 調べ始めた段階で研究者が死んでいる可能性が高い。

 もう一つの可能性として、魔法を使わずに実証実験を行ったものがいたかもしれないが……少なくとも王立魔法研究所のライブラリーに記録は無かったはずだ。


「そんな、じゃあ……わたし、何の役にも立たないですね。来訪者ビジターのくせに」


 チヅルさんが悲しそうに目を伏せる。

 僕は頭を振った。


「いやいや。そう決めつけるのはまだ早いよ、チヅルさん」

「でも、何も分からないんじゃ制御もできないし、暴走を抑えることも」

「そんなことない。今回の調査では、普通の魔法じゃ調べられない、ってことが分かったじゃないか。次はまた違う方法を試せばいい。だろ?」


 魔法使いにとって、それは当たり前のことだ。

 そもそも魔法というあやふやな概念を技術として体系化するまでに、どれだけの失敗と間違いがあっただろう。

 僕は王立魔法研究所の文献をあさり続けた時、先人達の忍耐に感激したものだった。


「……次、ですか?」

「次がダメならその次。その次がダメならまた次。……大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。きっと答えは見つかるさ」


 僕はそう言って、笑ってみせたけれど。


 チヅルさんは、どこか驚いたような、ボーッとした表情のまま、こちらを見上げていた。


 ……あれ。なんか呆れられてる?


「いや。というかチヅルさん、ちょっと顔が赤いね? 大丈夫、身体に違和感はない?」

「えっ、は、あ、はい……なんかちょっと、熱いような感じがします。頭がボーッとして、心臓がドキドキしてます」

「それは……まずいな、もしかしたら、霊素エーテル中毒かも」


 生物には元々、体内に霊素エーテルを取り込み、消費し、排出する機能がある。

 この吸収と排出のバランスが崩れた時に起きるのが中毒症状だ。

 軽いものなら風邪のような症状で済むが、重篤な場合は命にかかわることもある。


「ごめん、ちょっとおでこ触るよ」

「ひゃっ……あ、アルフレッドさん、何をっ」

「じっとして。熱を測りたいんだ。今、チヅルさんの身体は大量の霊素エーテルを取り込んでる。魔法使いなら自分で魔法を使って消費できるんだけど……もしかしたら強制的に排出させないといけないかも」


 不穏な言葉に、チヅルさんが警戒の表情を見せる。


「えっ、きょ、強制的に……?」

「自分で吐き出すか、他の魔法使いに吸い出してもらうか。本当は霊素エーテル吸収剤があるといいんだけど、在庫が切れてて」

「す、吸い出す、って、ま、まさか、くくく、口から、ですか?」

「人体では一番径が広いから、効率がいいんだ。……うん、微熱。次、口を開けて、喉の奥を見せて。うん。手首も貸して。あとは」


 僕は用意してきたバッグの中から、聴診器を取り出す。


「肺の状況も確認しておきたいんだけど――」

「聴診器って、まさか……あの、だ、大丈夫! 全然、全然元気ですから!」


 顔を真赤にしたチヅルさんが、服の裾を抑えながらぶんぶんと首を振る。

 その様子を見て、僕はようやく状況を把握した。


「あー、ごめん。ベタベタ触られるのは嫌だよね」

「そうではなく! そうではないですけど……今は、なんか、アルフレッドさんが近いと、ちょっと、その……あの、はい」

「でも、これから熱が上がる可能性もある。今日の実験はここで切り上げて、一旦家に帰ろう。自分で歩けるかい?」

「大丈夫です、それぐらいは全然――っとと」


 よろめいたチヅルさんを、今度は僕が支える。


「無理しないで。少し休もう」

「……ありがとう、ございます」


 僕は羽織っていたマントを地面に敷くと、チヅルさんを横たわらせた。

 こちらを気にしているエレナに手を振って、無事を知らせておく。


「……それにしても、こういう結果は予想外だったな。もしかして自分に向けられた霊素エーテルに反応するのかな? 森で僕が魔法を使ったときは何も起きなかったし……」

「自分に向けられた……じゃあ、他の魔法をかけられても同じことが?」

「起きるかもしれない。医療魔法で試してみたいところだけど、あの吸収力に対抗する方法を先に見つけないと危険だな。ちょっと防御魔法系のレポートをひっくり返してみるか」


 つぶやきながら、僕は記憶の中に留めてあった情報を探っていく。


「……アルフレッドさんって、本当に、魔法が好きなんですね」


 その間、チヅルさんはずっと僕の横顔を見ていたらしい。

 それに気づいたのは、声をかけられてからだった。


「そりゃあ、だって面白いでしょう? イメージ一つで世界を塗り替えられるんだ、わくわくしない方がおかしいよ」


 僕の言葉に、チヅルさんは何故かおかしそうに笑った。

 ……笑うと、チトセより少し幼い印象になるってことも、その時はじめて気付いた。


「ごめん、無神経だったね。チヅルさんにとっては一大事なのに」

「いえ。アルフレッドさん、すごく楽しそうだから、わたしも気が軽くなったっていうか……あの、訊いてもいいですか?」

「もちろん。質問は大歓迎だよ」


 言いながら、僕は改めてマントに腰を下ろした。


「……アルフレッドさんは、王立魔法研究所で働いてたんですよね、魔法の研究をしてたって」

「カレンが言ってた?」

「はい。その、どうしてやめたんですか? こんなに好きなのに」


 その質問は予想してなかった。


 正直、はっきりと誰かに話したことはなかった。

 僕自身が避けていたというのもあるけれど、多分みんな気を使ってくれていたんだろう。

 過去の話を、仕事の話を、研究の話をすれば――チトセの死に結びついてしまうから。


「……ずっと、何かの役に立ってるって思ってた。僕が楽しんで研究したことが誰かの為になって、世の中を少しでもよくしてるって」


 言葉が出てきたことに、自分でも驚いていた。

 チヅルさんの瞳が――あの黒い瞳が、僕に注がれていたからだろうか。


「でも、分からなくなったんだ。研究を続けていくことで、自分にとって大切な人を幸せにできるのか。他の誰かじゃなくて……僕の大切な家族を、幸せにできるのか」


 だから、研究所をやめた。

 カレンだけでも幸せにしたくて。

 たくさんのものを無くしたあの子に、少しでも幸せというものを感じてほしくて。


「……ごめんなさい、立ち入ったこと聞いて」

「いや、こちらこそ、なんか変な話しちゃったな」


 僕は笑って、それから立ち上がった。

 エレナの鞄から、サンドイッチとジンジャーエールでも取ってこよう。お腹が満たされれば、チヅルさんの体調も少しは良くなるかもしれない。


「あの、アルフレッドさん」

「ん?」

「わたし、すごいと思います。本当に好きなことを仕事にして……でも、それよりも家族を選んだこと」


 まっすぐな称賛。

 面映ゆくて、僕は首を振った。


「チヅルさんも見つけられると良いね。この世界で、自分の好きな生き方を」

「わたしにも……見つけられるんでしょうか」

「この実験が、そのための第一歩だよ。見つかるさ、きっとね」


 根拠はない。ただ、そうであってほしいと思う。

 何か意味があってこの世界を訪れたのなら、それがチヅルさんにとって良いものであるように、と。



 来訪者ビジター狩りが動いたのは、それから三日後だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る