第9話 おじさん、冒険者に襲われる
「夜分にすみません! 開けてください、冒険者ギルドのグロリアです! アルフレッドさん!」
その夜は久々に雨が降っていた。
家にやってきたグロリアは、ギルドの制服の上に防水布のマントを羽織っていたけれど、すっかり雨が染みて濡れ鼠だった。
「あらまあ、どうしましたグロリア。お風呂使いますか? カレンちゃんとチヅルちゃんが出たあとになりますけど」
「良かった、二人とも無事なんですね!
ル・シエラがたしなめても、グロリアの興奮は収まらない。
エレナは食後のプラムリキュールのグラスを置いて、立ち上がった。
「連中が現れたのかグロリア! 双子の獣人の身柄は?」
「牢を破られました! 剣士と魔法使いの二人組――アルフレッドさんの情報通りでした! 詰めていたC級の皆さんと居合わせた方々が応戦してくださったんですが、突破されてしまって……」
冒険者のクラス分けは、そのまま実力の違いだ。
例え格上相手でも数で勝っていれば守りきれると思っていたが、甘かったらしい。
「今、ギルドでは追跡隊を組んでいるところです! 自分はまず皆さんにお伝えしようと――」
「よくやった、グロリア。だが……どうやら連中の方が上手だったようだ」
エレナは、ソファに立てかけてあった剣を掴みながら、玄関の外に視線を送る。
「後を尾けられたな。この雨だ、気配を消すのは簡単だったろう」
「そんな……すいません、自分、迂闊なことを」
「気にするな、お前は最善を尽くした。あとはあたし達に任せろ」
流石は“
この雨と闇でも、敵の接近を感じ取ったらしい。すごい嗅覚だ。
「まったく馬鹿な連中だ。ここをどこだと思ってる。堂々と乗り込んできて、生きて帰るつもりか」
「やめてくれ、僕らの家を地獄みたいに言うな」
「そういうことじゃなくて、ここはあたし達の縄張り、的な意味でだな――というかアルこそ、相当仕込んでただろ」
まあ……連中が現れて一週間が経つ。
準備する時間はあった。
「でも、エレナの筋トレほど入念じゃないよ」
「馬鹿言うな、あんなの準備運動だ。トレーニングの内に入らん」
でもそれは、
僕が用意した罠が果たして通用するか。
「あらあら。では“
「は、はい、ありがとうございます!」
「すまない、ル・シエラ。カレンとチヅルさんをお風呂からあげて、みんなで地下室に」
ル・シエラは頷き、それから意地の悪い顔をして、
「ところでアルちゃん。確認しておきますけど、もし彼らが襲ってきたらどうします?」
「そうならないようにするつもりだけど……絶対に守ってくれ。どんな手を使ってもいい」
「あらあら。腕が鳴りますわね」
小躍りしながら、グロリアと共にバスルームへ向かった。
「オイオイ、大丈夫なのかアル。背中から吹き飛ばされるのはごめんだぞ」
「信じよう。二十年前に比べればル・シエラもだいぶ丸くなっただろ」
「嫌なことを思い出させるな。余計不安になる」
エレナは心底嫌そうな顔でぼやくと、剣帯を結んで素早く支度する。
僕も防水布のローブを羽織り、埃を落としたばかりの杖を掴んだ。
「家の外に三人。魔法使いは距離を取ってるな、気配を感じない」
「定石通りだね。僕は後衛の魔法使いに対処する。エレナ、前衛は任せていい?」
「愚問だ。B級程度なら十人いようと捻り潰してやる」
とても強がりには聞こえないのが、エレナの恐ろしいところだ。
ドアを開けて飛び出していく彼女を横目に、僕は魔法を発動させた。
(【
生命体の存在を感知し、意識内に展開した地図上に表示する合成魔法。
元々は人探しや安全な旅のために開発した魔法だったけれど、戦場でこれほど有効な魔法もない。
まるで空から見下ろすように、相手の場所が分かる――
(――やっぱり、何か策を用意してきたか)
敵は確かに四人いた。
家を見下ろす丘の上に一人。
玄関前に二人。
そして風呂場付近に一人。
「すまないル・シエラ! そっちに一人――」
「――きゃあああぁぁぁぁぁッ」
僕の警告は、チヅルさんの悲鳴にかき消された。
続いて、激しい水音。
「くそっ」
向こうはきちんと状況を見ていたのだ。
風呂場に人がいることは、外からでも明かりや水音で分かる。
誰がいるにせよ――格好の標的だ。
僕は広くない廊下を走り抜け、脱衣場のドアをくぐる――
「――カレン! チヅルさんっ!」
「あら、アルちゃん。どうしたんです、そんなに慌てて」
出迎えてくれたのは。
すまし顔でたたずむル・シエラと、上下逆さまの状態でバスタブに突っ込まれた女。
水着のような露出度の高い鎧に身を包んだ剣士で、名は確かジェヴォン。
「――ごぼごぼごぼごぼ!」
ジェヴォンが何かをわめき、湯船に泡があがるが。
ル・シエラが魔法で呼んだらしき小さな妖精――フェアリー達がジェヴォンの脚に取り憑いて、彼女を湯船に鎮めようとしている。
「……嘘でしょ? いくらなんでも速くない?」
「いえいえ、わたくしは何も。この女が勝手に足を滑らせて、窓から湯桶にドボンしたのです」
……一瞬、今までの厳重警戒が馬鹿らしくなったけど。
まあ被害がなかったなら、それに越したことはない。うん。
「と、とにかく良かった。カレン、チヅルさん、それにグロリア、怪我は無いかい?」
「それよりも早く出ていった方がよろしいですよ、アルちゃん――まだレディが使用中ですので」
言われて。
僕ははっとした――
「い、い、い、ぃやあああぁぁぁぁぁッ!」
またしても絹を裂くような、チヅルさんの悲鳴。
僕が、とっさに背を向けるのと。
開きっぱなしの窓から矢が飛び込んできたのは、ほぼ同時。
「――いけません! 皆さん、お風呂の外へ!」
床に突き立った矢に括られていた小瓶が、がしゃん、と音を立てて割れる。
中に詰められていた
(しまった、毒――いや、【
ジェヴォンと双子を先行させて僕らの位置関係を割り出し、
不意打ちで意識を奪ってしまえば、
レオンはその為に、家を見下ろす位置に陣取ったのだろう。
(僕に攻撃のタイミングを察知させないように、わざわざ
魔法発動に伴う
(クソ、【
わずかな迷い。
その隙に吸い込んでしまった毒霧が、僕の判断を鈍らせる――
「――しっかり! しっかりしてください、アルフレッドさん!」
ふにゅっと。
柔らかくて温かい何かに支えられて、僕はどうにか顔をあげた。
「――う、あ……チヅル、さん……?」
「はい、わたしです! 立てますか!?」
視界には一面、【
だというのに、チヅルさんはまるで眠る気配もなく。
(――そうか、彼女の、
僕が放った魔法を喰らいつくした、あの異様な力。
例え
僕はかろうじて魔法を遮断する【
チヅルさんに肩を支えられつつ、
「カレンを……カレンを、助けないと」
「大丈夫です、今、わたし抱えてます! アルフレッドさんも、早く!」
半ば引きずられるように、風呂の外へ。
またしても倒れそうになって、チヅルさんに頭を抱きかかえられる。
(……【
魔法を使うと、ようやく意識がはっきりしてきた。
自分の体内に取り込んだおかげで、毒の組成が分かりやすかったのが幸いした。
カレンにも同じ魔法を使う――大きな目がパチクリと瞬いて、僕を見上げた。
「……おとーさん? 泣いてる?」
「いや……ううん。大丈夫だよ。それよりカレン、痛いところはない? 気持ち悪かったりしない?」
「へーき。おとーさんが治してくれたんでしょ? なら、元気いっぱいだよ」
僕は思わずカレンを抱きしめる。
小さな身体。僕の最愛の娘。
(……本当に。危ないところだった)
迂闊だった。
確かに、双子の前にエレナが飛び出し、ジェヴォンが突入したのにレオンが何もしないなんて、おかしいとは思っていたのだ。
攻撃は同時に仕掛けるほど防御しにくい――というか、そもそもレオンが風呂場の窓と壁を吹き飛ばせば、ジェヴォンが足を滑らせることもなかっただろうに。
あの
チヅルさんとル・シエラがいなかったら。
……カレンはどうなっていたか。
「……ありがとう。ごめん、二人とも」
「そんな……ありがとうございます。助けに来てくれて」
濡れた髪を手で押さえながら、チヅルさんが微笑む。
「わたしの
「……おねーちゃん。チヅルおねーちゃん」
僕の腕の中からするりと抜け出したカレン。
何故かひそひそ声で、チヅルさんの肩をつつく。
「どうしたの、カレンちゃん」
「あのね、これはね、カレンが一人前のレディだから言うんだけどね……ハダカは隠した方がいいよ」
ああああ。
忘れてた、僕のバカ。
「あ、アルフレッドさん、み、見ないでくださいっ。あの、わた、わたし、はだ、裸は、その……はず、はずかしいです――」
「あっごめ、ご、ごめんチヅルさん。ル・シエラ! タオル! 早く!」
「すみませんアルちゃん、一枚しか持ち出せませんでしたので。カレンちゃんを拭き終わるまでしばしお待ちを」
呑気にやってる場合か! ていうか、わざとだろル・シエラ!
「あの! これ! ローブ! 僕の、使って! チヅルさん」
「えっ、あっ、は、はい! ありがとうございます!」
羽織っていたローブをチヅルさんにかぶせると、僕は慌てて背を向けた。
(何を慌ててるんだ僕は! 相手はまだ子供だぞ)
子供か? いや彼女は十代の後半で、多分僕がチトセと出会ったのもそれぐらいで、チヅルさんはチトセによく似ていて、それで――
いや待て。
子供だから別に裸を見てもいいという訳ではなくて、もちろんそこは倫理の問題というか、相手が誰であれ許可を得ずに裸を見るのはよくない。
……うん。そうだな。ダメだ。
「ダメだよおとーさん! 女の人のハダカを勝手に見るのは、めっ!」
「ああ、うん、そのとおりだカレン。ごめん、お父さん反省する」
誰かが入っている時に、突然お風呂に乱入してはいけない。
当たり前だ。
「あ、ええと、これは緊急事態ですし……その、お気になさらず」
「チヅルおねーちゃんも、ちゃんと怒って! ぷんぷんって!」
「あ、は、はい……ぷ、ぷんぷん?」
ああかわいい。
チヅルさんに便乗してぷんぷん怒るカレン、めちゃくちゃかわいい。
このまま額縁に入れて飾りたい。
……いやいや、待て、そんなこと言ってる場合じゃない!
とりあえず白壁と向かい合ったまま、僕は口を開く。
「……僕は、残りの魔法使いと決着をつけにいく。みんなは地下室で待ってて。終わったら、僕かエレナがカレンとチヅルさんの名前を呼ぶ。それまで絶対にドアを開けちゃダメだ」
何人かが頷いたのを、気配で感じる。
「……アルフレッドさん。わたし――」
「――手伝いたい、って言うなら、その気持ちだけもらっておくよ」
チヅルさんの言葉はまったく予想通りで、むしろ僕はそれを一番恐れていた。
「そんな、でも、魔法使いが相手なら、わたしだって!」
「そうだね、確かに君には魔法が効かないみたいだ。でも、あの矢が直接刺さっていたらどうだった? そこにもっとたちの悪い毒が塗られていたら? 医療魔法もかけられないんじゃ、僕には手の施しようがない。この村の医者にもね」
チヅルさんは言葉を失ったらしい。
ごめん。こんな畳み掛けるような言い方しかできなくて。
でも、今だけは、これだけは。
絶対に譲るわけにいかないんだ。
たった二週間だけだとしても……君の、保護者として。
「……気を悪くしないでくれ。助けてくれたことは、本当に感謝してる。もし身を護る力が欲しいなら、これからきっと身につけられる。でも――今は、カレンのそばにいてやってほしい。お願いだ、チヅルさん」
チヅルさんの返事を、じっと待つ。
やがて。
「……わかり、ました――アルフレッドさん。気をつけてください」
「ありがとう。戻ってきたら、また
振り返らずに、僕は家の裏口を目指す。
「おとーさん! 悪いやつ、やっつけてきて! ドーンって!」
「まかせろ、カレン」
「気をつけて、アルちゃん。敵の魔法使い、ニンゲンの割に知恵が回るようです」
「ああ。僕より間抜けだと良いんだけど」
ル・シエラの言葉に頷いてから、僕は家の裏口を飛び出し、丘の上を見据えた。
【
「――見つけた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます