第31話 私の仲間
体は疲れてる。でもまだまだ動ける気がした。熱はないけど念のために風邪薬と栄養ドリンクを飲んでからお好み焼き屋はなまるに向かう。一応、気持ちの上では全快してるつもりだけど相変わらず目の下のクマは酷いし髪もちょっとモサってしてるし、また帰れっていわれたらどうしよう。いや、帰らないけど! 意地でも働くけど!
「おはようございます!」
「おはよう……って、環ちゃん! なんか老けてる!」
「あ、はい。いろいろあって老け込んでますけど、そこそこ元気っす!」
「そうなの、熱は?」
カウンター越しにおでこを触られた。なんとなく油でねちょっとしてるし、鉄板の熱もあるから精度に欠ける気がしたけど、はなさんはにっこり笑ってOKだねっていってくれた。私は最敬礼で看病してくれたことへお礼をする。添い寝にはびっくりしたけど、やっぱり側についててくれたのは心強かったしご飯も美味しかった、なにより訪ねて来てくれたことが嬉しい気持ちだったんだ。
「さぁ環ちゃん、覚悟しなさい。今夜は商店街おじさん連中のプチ忘年会が入ってるから忙しくなるわよ!」
「余裕っす。セクハラされたらぶん殴ってやります!」
「許可します!」
はなさんにちょっかい出したら粉々にして生地にしてやるぜ。
ほどなくして、わらわらと集まってきた商店街の店主さんたちの微セクハラを鉄拳で受け止めながら給仕をこなした。ビールってさ、なんか炭酸飲料みたいな感じなのになんであんなに何杯も飲めちゃうんだろう。お腹が爆発しないのかなって不思議だった。水だってそんなに飲めなくない? 謎すぎてすこし不気味。
あとね、やっぱりすじ肉料理は大人気だった。みんな何かしら注文してたね。それと、試作段階だった焼きそばパンは、小さめのバターロールに挟んでテイクアウト専用として展開することに決まったんだ。当初ははなまるで販売しようとしたんだけど、はなさんひとりでは手が回らないこともあるし、やっぱりパンのことはパン屋さんがいちばん詳しいからお任せすることにしたみたい。寿司屋さんとラーメン屋さんは、牛すじこんにゃくを使った料理を試行錯誤してるみたいだけど、現時点ではそのまま食うのがいちばんうめぇって、やる気があんのかないのかわかんない感じになってる。みんな酔っ払いだから発言が無責任すぎたけどだいぶ楽しそうだった。
「あたしはお酒飲めないからよくわからないけどさ、こういう場所からアイディアとかって出てきたりするんだろうね」
はなさんが鉄板の焦げかすを擦り取りながら言った。
「優しすぎですよ。どう考えても明日には忘れてますよこの人たち」
「あー、たしかにね」
小さく笑ってから、宇宙焼きをひっくり返した。お好み焼きメニューもいろいろあるんだけど、やっぱりいちばん人気があるのはこれだね。食べるまでは宇宙感が理解不能なこともあって、お品書きのとこに詳細を書き記しておいたのがよかったのかもしれない。あーいや、どうだろ、お品書きとか関係ないかも。はなさん味の実力だよね。それを気に入ってくれた人が、私の知らないとこで口コミサイトやSNSで紹介してくれてるのかも。だったら嬉しいな。
閉店時間もとっくに過ぎちゃったからベロベロに酔っ払ったおじさんたちを追い出して、急いで店じまいに取りかかった。のれんをしまって、かわりに本日休業のフダをぶら下げる。明日はお休みなんだって。ってか早くしないと、はなさんが終電に間に合わない。できたら駅までの道のりで歩きながらでもいいから絵を見てもらいたいし。さっさと後片付けしちゃお。いそげいそげ。
「このあとデートでもあるの? さき帰ってもいいんだよ」
「え、ないっすよそんなの。だいたい相手もいませんし寂しいもんっす」
「ふーん。ま、狙ってる人はいそうだけどね」
にんまり微笑まれた。
「そんなの実感したことないですけどね」
床のモップがけ、カウンターの拭き掃除、調味料と紙ナプキンの補充も終わった。紙ナプキンってオリジナルのロゴとか入ってるやつもあるよね。あれって高いのかな、でもせっかくロゴ入れても使い終わったあとにくしゃくしゃにされる物だしなぁ、なんてことをぼんやり考えてたらキッチンの後片付けも終わったみたいで二人して着替えて、もう一度火の元の確認をして店をあとにした。
外はやっぱり寒いけど、店内の熱気で火照った体が風で冷やされていくのが気持ちいい。力が抜けていくのがわかる。はなさんは大きな背伸びをしてから歩き出した。私も横に並んで真似してみた。大きなあくびが出て慌てて引っ込める。
「はなさんに見てほしい絵があって。これなんすけど」
クリアファイルに綴じた絵を差し出した。鉄板を磨いてるはなさんの横顔を描いたやつ。
「ついに完成したの? すごいね! あたしってこんなだったのかぁ。美人すぎだね。わはは」
実際は生で見る方がずっと綺麗だし色っぽいんだよ。
絵には上半身しか描かれてないけど、腰回りとかお尻と長い脚にぐっと力を入れて鉄板を磨いてる姿は性的ですらあるんだよね。本人には内緒だけど。
「いいなーこの絵ー、お見合い写真に使いたーい。お見合いする機会があればだけどー!」
はなさんはそんなこと言いながら、絵を両手で掲げてアーケードの中をくるくる回ってた。黒いダウンジャケットがふわってなって、中のセーターは薄手で体のラインがよくわかってお尻も――ああぁぁもう、そんな無防備にくるくる回ってたらしょうもない男に目つけられるって!
「ちょっとはなさん! 夜の野獣がめっちゃいるんで! 往来なんで!? 恥ずかしいじゃないっすか!」
「あはは、ごめんごめーん。はしゃいじゃった。はーい、お返ししまーす」
クリアファイルを受け取って、今度はリングノートの方を渡した。こっちは私の夢の絵。
他人の夢の絵なんて見せられても困惑するかもしれないし気分を悪くさせるかもしれない。おじいちゃんはもう亡くなってるし、ネル・ミラクルなんて100%想像で夢の中の存在でしかないし。でも、はなさんの記憶をすこしだけ刺激できるような予感がしてる。その結果、余計に混乱させるかもしれない。けどはなさんの記憶を取り戻したいって言ってたから。なにかすこしでも進展があれば。私にはこんなことくらいしかできないし、これすらも的外れなのかもしれないけれど。
「環ちゃん、これって」
しばらく見つめてから顔を上げた。
「どうして環ちゃんがオーナー夫妻のことを……?」
いちから説明した。でも、おばあちゃんや亡くなったおじいちゃんのことを知ったのはほんとにバイト中の偶然だし、その二人がはなさんを保護してくれた人であることも偶然。それが夢に出てきたのも、絵に描いたのも全部が偶然なんだけど、なにか運命じみたものを感じないでもなかった。うまく出来すぎてる。誰かに大きな流れへと誘導されてるような、すこしだけ不可解で不透明な感覚がある。
「ねぇー環ちゃーん! この絵もとってもいいー!」
はなさんはまた絵を掲げてくるくる回りながら、駅とは逆方向に竹とんぼみたいに飛んでった。嬉しそうで、ちょっと寂しそうで、でもやっぱり笑ってるように見えた。
「ねぇ環ちゃーん! このでっかいモモンガみたいなのはなにー? すごいかわいいー!」
そんな大きな声でやめてよもう。ほんとシラフなのに酔った大人のオンナ感はんぱないんだけど。
「それはーッ! ネル・ミラクルっていう未来の宇宙からきたヤツですー! 私の仲間ー!」
年末の気配がするやたらごみごみした駅前のアーケード。そのど真ん中で叫んだ。
はなさんのくるくるが停止した。
ネル・ミラクル――って、声に出さずに口だけでいって小さく笑う。それから今度は逆回転でくるくるしだした。
放っておけなくって、オレンジ号を立て掛けてから私もくるくる回って追いかけてみた。恥ずかしいけどなんかちょっと楽しかった。もう終電はいってしまったと思う。
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