第29話 夢の絵
食事&添い寝付の介抱のおかげでぐっすり眠ってしまった。っていうか寝落ちだった。
私が起きたときには、はなさんはすでに出かけたあとみたいで、テーブルの上には電子レンジで作るご飯のパックとおじやの作り方が書かれたメモ紙が置いてあった。やっぱり下手くそ――癖のある文字だったから読むのに難儀したけど、要は鍋焼きうどんに使った出汁と同じのが冷蔵庫にあるから、それに余った具材とご飯を入れて最後に溶き卵をぶち込んだら美味しいってことらしい。たしかに美味しそう。食欲は無限にある。
体温計を脇に入れてからスマホを見た。まだ朝の七時すぎ。はなさんは買い出しとかで忙しいかもだからお礼のメッセージを送っておいた。店長はまだ寝てるだろうけど、無理やり起こしてでも声が聞きたい――そんな気持ちで通話ボタンを押した。耳のそばでコール音がプルプル鳴ってる。ちょっとだけ緊張していた。
『は、はい。レコードショップUFOです』
間違って店の固定電話にかけてしまった。
「おはようございます、三輪です」
『……てめぇ、こんな時間にこっちに電話してくんじゃねぇよ。寝起きの階段マジでつれぇんだからな』
「ごめんなさい」
『……おい、やめろよ。あんましおらしいと調子狂うだろぉが。つーか熱は?』
体温計を確認してみた。
「三十八度一分でした」
『寝てろ。今日中に治せ』
「はい、治します。あの、昨日、はなさんとこ手伝ってくれたみたいで。ありがとうございました」
『いいよそれくらい。つーか、マジであいつねぇから。俺に無理やり頭巾被らせようとしやがって。いま思い出しても腹立たしい』
ちょっと笑っちゃった。
「頭巾したんすか?」
『するわけねぇだろ。モヒカン労働者としてのアイデンティティを主張して断固拒否した』
へへ。やっぱそうじゃないとね。
「店長には、マウンテンバイクのヘルメット被ってもらわないとですから。そっちが先なんで」
『後も先もねぇよ。俺はなにも被らねぇ』
「なんでちょっとかっこいい風なんすか、バカなんすか」
『うるせぇ、黙って寝てろ。明日来れたらこい』
「はい。ご迷惑おかけします」
『まぁーそういうときもある』
「はい、すみせん。あんまりないようにします。おやすみなさい」
『おやすみ』
短いやりとりが終わった。スマホの画面がびっちょりと汗で濡れてる。
昨夜は、はなさんと接近戦しまくったわりにダイナマイトはほとんど無反応だったけど、今こうして店長と通話しただけでジンジン熱くなるんだからわけがわからない。
はなさんが記憶喪失であることを店長に話すのはやめておいた。
でも手がかりがほしい気持ちはある。お好み焼き屋さんとして営業していれば、そのうち知り合いの人が訪ねてくれるかもしれないけど、待ってるだけっていうのもなんだか歯痒いだろうし。もし宇宙人だったら、思い出さないままに一生を終えてしまうかもしれない。それはあんまりだと思う。
おでこのひんやりシートがでろでろになっちゃってたので貼り替えた。こういうのってたぶん常温保管でもいいと思うんだけど、冷蔵庫の中の玉子を置く場所に保管しちゃうあたりがはなさんっぽい。
カーテンを乱暴にバシャッと開くと家の前の道にうっすら雪が積もってた。きらきら光ってて眩しくって、窓を開けると空気が止まったみたいに冷たくって、だいぶ外に出てみたい。雪に興味津々なのである。
「あぁーダメ」
寝て治さないと。幸いにも昨日よかはずっと体も楽だし、はなさんの字を読解できる程度には頭も回ってるし。きっともうすこしで治るはずだから。そんな予感がする。
汗をかるく拭いて、おじやを作って完食してから薬を飲んで、もう一度布団に潜った。カーテンを閉めてたって雪に反射した陽の光が差し込んでくる。日光が起きろ起きろって怒鳴ってるし、社会の渦みたいな概念が昼間に眠ることを叱りつけてくる錯覚っていうか、確信に近い強迫観念に囚われかけたけど全部無視した。店長直伝のやつだ。
*
夢を見た。
なんでかわからないけど、私と店長とはなさんと、おばあちゃんとおじいちゃんとでお花見をしていた。場所は星見ヶ丘公園のてっぺんのいつもの場所。私もみんなも楽しそうにしてたけど、はなさんだけは大きなスポーツバッグを持ってて、なんで? みたいな困った顔をしてて、笑い方もぎこちなくって、たまに目線をそらして寂しそうな横顔をしてた。おにぎりを頬張りながら、どうしたんですか? って訊くと、何も覚えてないの、って口から絞り出すみたいにしてはなさんは答えた。私は胸がぎゅぅって締め付けられて、みんなも寂しそうな顔になって桜も風で散って曇ってきて肌寒くて。でも店長が、なに言ってんだ。お前は俺たちの家族だろうが、って怒鳴るみたいにして言って、おばあちゃんとおじいちゃんが夫婦なのはわかるけど、私と店長とはなさんはどういう血縁関係にあるんだろーって私は理解が追いつかなかった。人類愛的なやつなのかな。でも、それを聞いたはなさんは、見たことないくらいくしゃくしゃの笑顔で嬉しそうに頷いて、そうだった! って言った。はなさんがそういうなら、そうなんだろうなって私はなんとなく納得して、今度はサンドイッチを両手に持ってかわりばんこで食べてる。たまごとコロッケのやつ。さっきまで漂っていた雲はどっかいって、春のぼーっとした温い空気が顔中に張り付いて呑気で幸せな気持ちで。視線を戻すといつの間にか店長とはなさんに挟まれた位置に知らない人がいた。愛らしくって変な声の人だった。人っていうか獣っぽい。モモンガを大きくした感じで、きゅるきゅるーって喋ってる。もしかしたらこの獣がネル・ミラクルなのかなって思ったけど、にこにこ微笑むばかりだし、言葉の意味をよくわからないしうまく意思疎通することができなかった。なんとなく自分の服の中を覗くと、ダイナマイトはもうそこになくて、やたらとなだらかな見慣れた谷間があって、喜ばしいんだけどなんとなく寂しい気持ちで、でもほっとしたような。そんな夢――。
目を覚ますと日が暮れてしまっていて、部屋が薄暗かった。汗でびちゃびちゃだったけど熱は下がってる。ここまで濡れてるともう拭いてどうにかなる感じでもなかったから、かんかんに熱いシャワーを浴びて、着替えてから、暖房を最強にして髪を乾かした。それから昨日買っておいたゼリー飲料を一気に飲んで、さらに服を着込んでからリングノートを広げた。いまさっき見た夢の絵を描くために。描かなきゃいけないってそれだけしか頭になかった。
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