第19話 ここが宇宙

 油を引いた鉄板の上に、お玉ですくった生地をクレープみたいに薄く丸く伸ばしていく。その上にカツオの削り節と、瑞々しい千切りのキャベツの山盛り、たっぷりの紅生姜、焼きそばでも使ってたイカ天を砕いたもの、山が出来上がったから豚バラ肉かなって思ったら、すじコンニャクが流れ出る溶岩みたく盛られた。ポロポロってしてる。牛すじこんにゃくって関西でいうところのネギ焼きに入ってるイメージだけど、お好み焼きでもありだよね。食感も心地いいし甘辛いの好き。ラストに繋ぎの生地を高い位置から優しく加えて、間髪入れずに具材で山盛りになったそれをテコを使ってひっくり返すと、きつね色の生地がひょこって登場する。返すときに溢れちゃった具材はテコで集めて中へ押し戻すんだね。このまま、じゃわーって焼けていくのをずっと眺めていたかったけどそのすぐ側では、屋台で食べた焼きそばの細麺キャベツなしバーションが作られてた。ぷちぷちいって踊ってるイカとクルんってした大きな剥き海老も入ってる。ソースの量が特別すくないってわけじゃないけど、鉄板に広げて炒めることでカリッと香ばしい見た目になった。ソースの焦げた匂いが胃袋にダイレクトに突き刺さる。変なツバも出てきた。さっきまでこんもりしてたお好み焼きは、キャベツがしなしなになったからかすこし薄くなっている。隙間からぴょこぴょこ覗くこんにゃくがちょっとかわいい。つまみ食いしちゃいたくなる。はなさんはそれをテコでそっと持ち上げて焼きそばの上にのっけた。それから鉄板の端っこの方で卵を二つ割って、テコの角っこで叩いて崩して広げて、それの上にお好み焼きをのせる。ドロドロだった卵がお好み焼きの下敷きになって潰されてはみ出て透明から白っぽく変わって火が通っていくのがわかった。そのタイミングを見計らって、鉄板と卵の間にザッとテコが差し込まれ、勢いよくひっくり返された。雑に混ざった黄身と白身、焼きそばとイカと海老とキャベツとすじこんと生地とがいい感じに焼き上がっていた。まん丸のお好み焼きだ。

 ステンレスの容器を持ったはなさんは、ハケを使って黒々したソースを真ん中に垂らす。その上から、今度は焦げ茶色のソースをかけて、更にもう一種、赤みがかったソースをかけると汗を拭って微笑んだ。

「見てて」

 真新しいハケを使って三種のソースを円の描くようにしてゆっくり混ぜてまんべんなく広げていく。三色の微妙に違う色合いのソースがマーブル模様になってじんわりと馴染む。はみ出たソースが鉄板の上でじゅっとして匂いと湯気がもあもあ立つ。すごい。すごくお好み焼き感。

「ここが宇宙」

 ……は? どこ? 

 覗き込んだ。鉄板の熱気で顔が熱くなった。ソースがうねうね混ざってた。

 ハケの動きが止まった。小さな缶を取って上から振った。青のりが舞う。

「星だよ」

 え、なにが星?

「はい、宇宙焼きいっちょあがり! 熱いから気をつけてね!」

 ソースが宇宙で、その上にちりばめられた青のりが星ってこと……? 感性が独特すぎて、コメントが難しい……! たしかに宇宙っすねぇ、なんていつもの調子で気軽にいっていいものかどうかも怪しい。わかってないのにわかったふりをするのは誠実さに欠けるし。だからって、どこが宇宙なんすか? って言えるほど野暮でもないし私とはなさんの距離感も近くない。どうしよう、何が正解なの。

「あたしが切り分けようか?」

「え、あー、はい、お願いします」

 宇宙焼きについてコメントする機会を見失ってしまった。

「オッケー、まかせて。じゃいくわよ――コズミック・デストラクション!」

「……」

 丁寧に切り分けてくれたけど、その必殺技みたいなのなんなの。ってか、デストラクションってネル・ミラクルも言ってたんだけど、なんなのよもう、わかんないんだけど。やっぱりはなさんはちょっと普通の人よかズレてる。ほんとに宇宙人か未来人かもしれない。

「はい、取り皿これ使ってね」

「あッ、はい。いただきます!」

 と、とにかく、せっかく作ってもらったんだ! 冷めないうちに食べないともったいない。熱いものは熱いうちに! 小さいテコで皿にのっけて、割り箸を割った。弾力を確かめるみたいに撫でた。たまんない感触だ。

 取り皿を持って、顔の近くまで寄せる。お好み焼きってこの断面がヤバいよね。ほらー、すじこんがぽろんって出てるしイカも海老も紅生姜も焼きそばも――たまらなくなってひとくち食べた。もう止まらなかった。青のりの磯っぽい香りが駆け抜けた直後、卵とソースと焼きそばがどっしりと口の中を満たしてくれる。キャベツは程よいしゃっきり感が残ってて、そこへイカと海老のぷりっとした食感、色んな味を吸い込んだイカ天のしゃくしゃくした快感を楽しんでるうちに、すじコンニャクの甘辛い味が混ざって、どこへ意識を向けていいのかわからなくなって、んふー! とかって言いながら夢中でひたすらに食べた。

 口の中が火事になりそうだったけど、気づけばあっという間に完食してしまっている自分にすこし呆れもしたけど、なんていうか宇宙的な美味しさだった。要するに一体感がすごい。具材の調和。宇宙焼きで世界は平和だった。

 調理の工程は一般的なお好み焼きと変わらないように思えたけど、なんなんだろう、はなさんが目の前で作ってくれたから補正がかかってるのかな。食べてたときの記憶がほとんどない。虜にされてしまった。

「ああぁ、めちゃめちゃ美味しかったす、ちょっと具体的な感想が出てこないくらいです。美味しかった」

「おそまつさまでした。いい顔で食べてもらえてあたしも嬉しい」

 またそんな顔して食ってたのか私。もっとこう、落ち着いていこうよ私。なんだか照れ臭くてお水を飲んでごまかした。

「宇宙焼きの意味も、はなさんが思ってることもなんか、ほんのすこしですけど触れられた気がします。ソースが混ざって、具が一緒になって、それでもちゃんと丸いことが大切な気がします」

「よかった。マヨネーズくれっていわれたらどうしようってドキドキしちゃった」

 なにそれ、ドキドキのポイントわかんないんだけど。

「あれって、宇宙の調和を乱すんだよね。諸悪の根元、それがマヨネーズ」

「初耳っす」

 初耳だし今後はなさん意外から聞くこともなさそうな持論だったけど妙に納得させられた。


 お腹も満たされて、宇宙焼きの意味もちょっとだけわかった。いや、わかった気がするからこのテンションのままでのれん作業に移ろう。もうこの場所でやってやろう。人様のお店だけど許可なんて必要ない。やるったらここでやるんだ!

 三つに割れたのれんを線でざっくり描いて、左の生地のいちばん端っこに小さめの文字で縦書きで、お好み焼きの文字。ここはなんの小細工もなしにスタンダードな明朝体。真ん中には、はなまるを縦書き。かわいい字体を意識して。右の生地には、大きな円をひとつ、利き手とは逆の手で筆ペンを使って描いた。円は整いすぎてちゃダメだと思ったから。それぞれの文字の大きさ、位置のバランスを何度も何度も組み替えてできたそれはごくシンプルなもので、はなさんの趣味には合わないかもしれないし、イラストらしいイラストは結局描くことがなかったけど私はすごく気に入った。これ以上はないと思った。

「はなさん、ちょっと見てもらってもいいすか?」

「どれー」

 リングノートごと差し出した。

 はなさんは洗い物で濡れていた手を布巾で拭いてから両手で受け取ってくれた。卒業証書授与、みたいでちょっとおかしかったけど私は目が合わせらんなくって俯いてる。

「環ちゃん」

「あ、はい」

「すごくいい。しっくりきた!」

「ほんとですか?」

「もちろん」

 え、いいのかな、大丈夫? なんか気を遣われてるんじゃないの。何度もダメだしするのも心苦しいとか思ってないかな。だってほら、こんなにシンプルだよ。さっきまであった自分の中の勢いも消えてしまって、認められたことを素直に受け止められない。

「ほんとに、ほんとですか?」

「えー? あたしがそんな無駄な配慮のできる人間だと思う?」

「思いません」

「でしょ。これがお店の入り口に掛かってるとか、すごくいい。お願いしてよかった」

 すこし落ち着いて、かみ砕いて言葉を飲み込んだ。すこし不安だけど、やっぱり嬉しかった。

「じゃ、じゃあ生地の色なんすけど――」

 ほんとは藍染めの白抜きの文字がいい。藍には防虫効果もあるって聞いたことがあるし、きっとのれんには持ってこいの素材だ。でもさすがに染め物となると即日出荷とはいかないだろし、今回は諦めようと思う。でもせめて色だけは藍色がいいな。

「あたしは藍色がいいね。リネンみたいな風合いだとよりいいかも」

「わ、私もそう思います! 藍色いいっすよね!」

「いいよねー」

 はなさんがにっこり笑って私も嬉しい気持ちでいっぱいだった。

 やっぱり店長のおでんは忘れていたけど、モヒカンは救われたと思うので謝る必要もないなって思った。

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