第194話 冷静
驚くほど、冷静だった。
ついさっきまで、目の前で捉えられたユフィの姿に俺は動揺していたというのに。
この魔術が退行した時代。危機という危機のない世界。
俺たちが生きた千年前は常に死と隣り合わせで、必然的に強い魔術師達が生き残った。魔神達の進行により多くの仲間たちが死んだが、俺達はそれを魔神の討伐という形で仇をうつと、仲間たちの死をバネにより一層心を震わせた。
そう、死とは隣り合わせで、危険とは常にそこにあるものだった。
……しかし、この時代は違う。
みな精一杯自由に生きる権利があり、そしてそれを許容できるだけの寛容で溢れていた。それこそが俺達が命を懸けてまで手に入れた平和だ。
――心の奥ではわかっていた。
アビスの連中や、それ以外にも悪人はこの時代にもいる。
だが、クロは言わずもがな、ドロシーやベルも人並み以上の魔術を扱える。命の危機が訪れることは無いと、心のどこかで思っていた。
アビスの連中と戦うのはあくまで俺やクロ、特殊騎士の連中だ。
この学校の中だけは、ある種の聖域として安心して暮らしていけると思っていた。
……だが違った。
この男は、アビスに触発された、魔神信仰者。アビスと言う存在が、自分たちの日常までも浸食しようとしているのだ。
そしてこいつはとうとう、一番やってはいけねえことをした。
一般人の……それも俺の幼馴染を人質にするという、最もやってはいけねえことを。
もう躊躇う必要はねえ。
悪は悪。情けはいらない。今までだってそうだったろ?
「肉片一つも残さない? くっくっく……あっはっは!! 面白い、面白い冗談だ! そんな下らない妄想に縋る程追い詰めてしまったか、悪かったな、これは!」
そう言って、オースティンはケラケラと笑う。
身体を仰け反らせ、暗闇に笑いがこだまする。
「――――はぁ。笑わせてもらったよ。君は強い、だが、所詮その程度さ。人質一人いた程度で動けなくなるような軟弱な魔術師だ。あまり強がるな、お前の身の内に募る焦燥感が透けて見えるぞ?」
「…………」
「君の強さは認めよう、ギルフォード・エウラ。私の"ミスト・ダーク"下での的確な攻撃。……洗練された魔力探知。近距離での戦闘能力。……まあ、私が油断したのが全ての原因だが……一度阻まれた壁にまた正面から突っ込むほど私も愚かではない。助けたいなら大人しく死んでくれ」
「……言い残す言葉はそれで最後か?」
俺の発言に、予想外だったのかオースティンはピクリと頬を引きつらせる。
「……そんな言葉を発せる余裕は残してたか……生意気なガキだ」
そう言い、オースティンはナイフを持った手を高く掲げる。
「私に逆らおうなどと言う気が二度と起きないように、この娘の顔をずたずたにしてやろう。まだまだ所詮はガキな貴様に、力だけではどうすることも出来ない世界があるということを教えてやる。……すまないな、ユフィ・シュトローム。君の幼馴染が言う事を聞かないんだ、責めるなら彼を責めることだ!」
掲げられたナイフに、ユフィの顔が一気に青ざめる。
「ギ、ギル!!!」
「人生経験の差だよ、ギルフォード・エウラ!」
「オースティン、てめえ!!! どこまで――」
「ははは! まずは右半分からだ!」
ザンッ!!
――っと、オースティン・メイアンの右腕が振り下ろされる。
誰もが息を飲み、ユフィは目を固く瞑り背ける。
リンデの顔が強張り、目を見開いて怒号を上げる。
だが、俺だけは冷静だった。
怒りという感情は通り越し、沈んだ心はもはやその程度では揺れなかった。
ただ一つだけの事実。
それは、俺とオースティン・メイアンの間には天と地ほどの魔術の差があるとうことだ。
そしてこの場を乗り切るのは至極単純だ。ただユフィを傷つけずにこの
「はは―――――あっ?」
「え?」
ピシャッと、ユフィの頬に赤い液体がべったりと張り付く。
振り下ろしたはずのオースティンの腕はユフィに届くことは無く、ナイフを握ったままの腕が宙を舞う。
それは放物線を描いて舞い、噴き出した鮮血が弧を描く。
その光景を唖然とした表情でオースティンが眺める。
「な…………は? 私の……腕……?」
ドサッと地面に落ちたのは、肘から綺麗に切り落とされたオースティン・メイアンの右腕だった。
「ッ……ぐうおおおおおああああああ!!!!」
オースティンは険しい表情を浮かべ、口をあんぐりと開け大声で叫ぶ。
ユフィをぞんざいに投げ出し、左腕で必死に右腕の傷口を抑え込む。
「ふーふーふー……はぁ、はぁ……!!! くそっ、くそっ!! 何が……!!」
俺の右手から、魔術反応が走る。
「まだ始まったばかりだぞ、オースティン。立てよ。人生経験の差、見せてくれるんだろ?」
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