第139話 溺愛
ベル達と別れ、屋敷を出る。
何度見ても巨大な屋敷で、いったい何人で生活しているのか気になる。
「執事は私一人です。ほかに先ほどお出迎えしましたメイドたちが五名。給仕係に庭師、墓守、屋敷の警備数名――ざっとロア家の皆様以外に二十名近くはこの屋敷におります」
「はあ~……」
途方もない数字に、俺の間抜けな声が漏れる。
それだけの数が居ればそりゃ屋敷もこれだけ大きいか。
いや、逆か。これだけ大きいからこそそれだけの従業員が必要なのか。
そこらへんは俺たち庶民にはよくわからない感覚だ。
強盗でも入ったら大変だもんなあ、警備も厳重そうだ。
――の割りには、警備と思われる人はそれほど多くない。
本人たちがそもそも英雄の血筋ということでそれが抑止力になっているのか。
あとは……。
俺は爺さんの腰の剣にもう一度視線をうつす。
匂うなあの剣は。
俺は爺さんに連れられ、中庭を抜け、屋敷の裏手へと回る。
「ここは奥様が好きで手入れされている庭園です。――まあもちろん、庭師の腕が良いからこそですが……おっと、他言は無用ですよ」
そういって白髪の紳士は目尻に皺を寄せて笑う。
言っていいのかよそれ……。
それにしても、物腰の柔らかな人だ。俺なんかにも丁寧に接してくれる。
庭園は真ん中に昼食でも取るためか小さなテーブルと数個の椅子が並べられ、その周りを色とりどりの草花が取り囲んでいる。
美しい木々も立ち並び、どれも綺麗に切りそろえられている。
「ここを抜け、もう少し言ったところに代々のロア家の祖先が眠る墓があります」
「……いいんですか、俺なんてただの同級生が墓参りなんて大それたこと……」
すると爺さんは「本来は駄目ですが……」と口にした後、続ける。
「ベル様があれほど奥様に懇願する手紙を送るのは始めてみました。いつもはただ黙って頷く、よく言えば聞き分けの良いお子様……悪く言えば自分の意見を言えないお子様でした。あれだけ必死に懇願したのはロンドール魔術学校への入学を希望した時と、あなたの墓地への立ち入りを懇願したときのみです」
「えっ……ベルが……?」
予想外の話に、俺は言葉を詰まらせる。
親子の関係なんてものは、その家それぞれであるもので。
親のいない俺にはさっぱりわからない。
ただ、この爺さんの話やベルと両親の会話を聞く限り、ベルは両親に反抗できるようなタイプではないように思える。
それでもベルがロンドールへ行くと決めたときほど必死に俺のために許可を取り付けてくれるとは……。
俺は不思議と胸の内が温かくなるのを感じる。
やっぱりエレナ、ベルはお前の子孫だぜ。
あとでたっぷり感謝しねえとな。
「あなたのことを信頼しているのでしょう。私はそれを見て嬉しくなりました。……余程ロンドールでの生活が楽しいんでしょうな。ドロシー様以外に友達ができたことをうれしく思います。――まあ知り合い程度ならリオル家のご子息なども繋がりはありましたが……」
「――安心してくださいよ。俺にとってもベルはいい友達だよ」
「ははは。安心しました。これで心残りなく死ねるというものです」
「おいおい、死ぬとか言わないでくださいよ……」
爺さんは笑いながら「冗談です」と言葉を添える。
ユーモアセンスがある執事なのか、ただの厄介な爺さんなのかわかんねえな……。
「墓地まではまだ少しあります。もう少し話しましょうか」
そういって爺さんはちらっとこちらを見る。
「ベル様とはどこでお知り合いに?」
俺はベルとの出会いに思いをはせる。
「そうっすね、ベルとは試験の時に知り合いましたね。ドロシーと先に知り合――というか因縁を持たれて、その後ベルと合流みたいな」
懐かしいな。
ドロシーには散々罵られたっけ……いや、今もだな。
ベルはずっと優しい。
爺さんは、ほうっと唸る。
「ドロシー様には感謝しないといけませんね。繋がりが増えることほどありがたいことはありません。彼女たちは小さい頃から……本当の姉妹のように仲良くしていましたからね。繋がりは大事です、この世界――社会を生きていくにはね。……もちろんベル様は引っ込み思案でもあるので他の人に比べもっと大事ですが」
この爺さんは相当ベルの理解者のようだ。
俺はその油断した気持ちでぽろっと初めて会った時のエピソードを漏らす。
「それで初めて会ったときにエレナ様と間違っちゃって……」
「ははは、顔が瓜二つですからな。屋敷にある肖像画そっくりに成長されたときは皆驚いたものです」
「でしょうね! ――それで、ついついびっくりして頭が混乱していたのか、手なんか握っちゃって……いやーありゃ焦りましたね」
「――はあ?」
すると、爺さんの動きが急に止まる。
空気が変わった。
こちらを振り返らず、ただじっとその場で微動だにしない。
「えっと……お爺さん……?」
「なんと……」
「?」
「なんと無礼な!!! べ、ベル様の初めてをお奪い取るとは!!! 正気ですか!? 正気でしょうとも、正気じゃなければそんなことはできませぬ!!」
激しく激昂した爺さんは俺と顔が数センチのところですごい剣幕を浮かべる。
「友人のふりをした狼とは貴様のことか!! 怪しいと思っておったのだ!!!」
爺さんはぶち切れた様子で腰の細剣に手を伸ばす。
「災いの種はここで摘む!! ベルお嬢様も理解して下さるでしょう!! 不要な繋がりはいずれ混線を生む!! 覚悟!!」
「さっきと言ってること違いますけど!? ちょちょちょストップ!! 待て待て!! 初めてを奪い取るってなんだよ! 誤解だよ!!」
「何が誤解ですか!! ベル様の……うう、ベル様の手を握りあまつさえそのまま接吻を……知れ者が!!! こんなことがあるから私は少しだけ反対していたのですよ、ロンドール行きは!」
「はあ!?」
「ベル様は純真なお方! その心に付け込み悪事を働く貴様はまさに外道!! ここで切り捨てても誰も文句は言うまい!」
そういって爺さんは刃の中ほどまで剣を抜く。
その眼光は鋭く、殺意に満ち溢れている。
何だこの爺さん……ベルのこと溺愛しすぎだろ!!
最初からおかしかったけど冗談じゃなかったのかよ!!
「いや、まじでストップ! 本当にストップ!! なんもしてないから! 最初にほんのちょっと手に触れただけでそれ以外してないから! 接吻ってなんだよ!!」
俺の必死の訴えに、やっと爺さんの動きが緩やかになる。
だが、まだ腰の剣から手は離さない。
「……本当でしょうなあ? ベル様に聞けばわかることですぞ……?」
俺は必死で頭を縦に振る。
勘違いで切り捨てられたらたまったもんじゃねえ……!
俺だって黙ってやられるわけにはいかないから殺しちまうぞ!?
それにこの爺さん……只者ではないのはわかる……!
「本当本当! ベルとはただの友達だから!!」
俺の必死の説得に、懐疑的な視線を投げつける爺さんこと、シャル爺。
俺は少しのけ反りながら両手を上げ、爺さんは腰の剣に手を触れたまましばらく動かない。
――少したって、やっと爺さんは剣を鞘にしまう。
カチャンと音が鳴る。
爺さんは深くため息を付き、軽く咳払いをする。
「ゴホン――そうでしたか。客人を疑ってしまい申し訳ありません。罰は甘んじて受ける所存です。なんなりと」
そういって爺さんは非礼を詫びてくる。
「いや、その俺も悪かったんでおあいこということで……」
ここで何か罰がどうとかベルに迷惑懸ける未来しかみえない。
俺は穏便に済ますことを選択した。
この爺さんの前でベル関連の話題はご法度だな……。
「そういって貰えると助かります。いやあ本当に申し訳ない。わからないかもしれませんが実は私はベル様を特に溺愛しておりまして……」
「見りゃわかるよ!!」
思わず俺の鋭い突っ込みが光る。
「ま、まあ、手のかかる子ほど可愛く見えるっていいますからね」
あの引っ込み思案なら顕著だっただろうなあ。
しかし、爺さんは意外にもそれに同意せず、ただ黙って俺の言葉を聞き流した。
「でも安心しました。ベル様も無事学校生活を送れておるのですね」
「ああ、元気にやってるよ。俺も助けてもらいっぱなしだ」
「助けて――? 一体何を助けて――」
「勘ぐるのはやめろジジイ!!」
とうとうジジイと言ってしまったが、もうこの人はジジイと言ってもいい気がする。
「ま、まあそうですな。この家を出る前は心配でしたが、いい環境のようです。……ただ、あの学校でも問題は一つありますが……」
「え?」
「おっと、そろそろ墓地です。心の準備はいいでしょうか?」
「あ、あぁ」
結局それ以上は話が聞けなかった。
だがそれよりも。
とうとう、墓地につく。
木々が鬱蒼と生い茂る森のような風景の中、鉄の柵と石の壁に阻まれた区画。
石造りの階段があり、その先に鉄の門がある。
そこには、くたびれた三角帽子をかぶったひどく猫背の男が昼間なのにランタンを持ち佇んでいる。
「彼は墓守のジャウォック。まあ無口ですが、腕は確かな魔術師です。さあ、行きましょう」
俺は爺さんに続いて石段の一段目に足をかける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます