第115話 一閃

 俺の視界の隅を駆け抜けた黒い影。


 それはクロの前に佇んでいた。

 いつ間にか居たのは


「なっ――」


 キャスパーらしき、と言ったのはその風貌故だ。


 黒く炭化した肉体。

 もはや原型を思い描くことができない程の黒い物体。


 しかし、剥き出しの牙と長い爪‥‥‥そして2つの黄色い眼がキャスパーだと俺に判断させた。


 ――この姿でなお動けるのは、吸血鬼しかいない。


 割れたのはクロの2本の爪。

 カランと音を立て、地面に落ちる。


 俺の"メナス・レイ"から抜け出した、は、クロに斬りかかり、咄嗟にガードしたクロの爪が不意打ちに耐え切れず、真ん中からパキっと割れのだ。


 クロの胸には4本の傷跡――。


 鮮血が飛び散る。


「クロ‥‥‥!!」


 冗談だろ‥‥‥あの中メナスから抜け出してきたのか!?


 俺の"メナス"はゆっくりとその光が消えていく。

 一気に襲い掛かる脱力感。


「ゴホッ‥‥‥!!」


 口から血を流し、クロは胸の傷を抑えながらその場に倒れこむ。


 キャスパーの炭化した皮膚は急速に元の姿を取り戻し、青白い皮膚が戻ってくる。


 しかし、クロの不意を突き致命傷を与えたのにもかかわらず、その顔に笑顔はない。


 キャスパーはクロを切り裂いた爪を振り抜き、血を払う。


「あぁ‥‥‥死ぬかと思ったよ、さすがにね‥‥‥。吸血鬼であることに感謝したのは久しぶりだよ」


 キャスパーはゆらりと身体を揺らす。


 さすがにダメージは残っているようで、さっきまでと比べて身体はかなり重そうだ。


「人の英雄‥‥‥舐めていた訳ではなかったが‥‥‥。流石だよ」


「‥‥‥そりゃどうも」


 くそ、不味い状況だ‥‥‥。


 クロの覚醒は完全に解けている。もう限界だ。


 ――そして、俺の魔力も体力も、もう‥‥‥。


 キャスパーは地面に伏すクロを見下ろす。


「あぁ、クローディア‥‥‥君は良くやったさ。‥‥‥もう終わりにしよう――いや‥‥‥私にとっては続けるという事にほかならないか‥‥‥」


「‥‥‥キャス‥‥‥パあぁ‥‥‥!」


 キャスパーを睨みつけるクロ。


 しかし、深刻なダメージに動くことができない。


「せめて、ディアナと共に安らかに眠ってくれ‥‥‥。吸血鬼にとって死とはどんな物なのだろうな‥‥‥。少なくとも、私の死は安らかにとはいかないだろう‥‥‥」


 キャスパーはちらと俺を見る。


「あの少年は、殺さないさ。が気にかけているからな」


 そう言いながら、キャスパーの腕が振り上げられる。

 鋭利な爪が、月光を反射し煌めく。


 魔術を――。

 しかし、高威力の魔術を出せるほど魔力は残っていない。


「‥‥‥クロ!!」


 俺は転がるようにして、クロの前に躍り出る。


 何が出来るかわかんねえけど、むざむざ殺させるわけにはいかねえ‥‥‥!


 俺を前にして、ピタッとキャスパーの腕が止まる。


「‥‥‥死にたいのか、人間」


「前に言っただろ‥‥‥友達が殺されるのを黙って見てられる訳ねえだろ‥‥‥!」


「そうか‥‥‥。君もまたか。――君を理解しているなら‥‥‥君がそういう行動をして殺されるのも、理解してくれるだろう」


 くそ、どうする‥‥‥!?


 とその時、クロの割れて、落ちた爪が目に入る。


 俺の魔術では殺せないが‥‥‥あれなら‥‥‥。


 しかし、そんな時間など残されていない。


「くっ‥‥‥!!」


「さらばだ」


 "ブレイク"で何とか凌げるか‥‥‥!?


 キャスパーの爪が、俺の眼前に付きつけられる。


 ――刹那、一筋の閃光が、俺とキャスパーの間を走る。


 それはまるで落雷のように、激しい轟音を立て、土煙とともに地面を揺らす。


「なっ――」


「ぐおっ‥‥‥!」


 キャスパーの伸ばしたはずの腕が、手首から完全に切り落とされ、血が迸る。


 キャスパーは咄嗟に切り落とされた手を拾い上げ、自分の腕に押し付ける。


 その顔には少しの焦りが見える。


「何者だ‥‥‥!」


 焦げ茶色をした髪に、無精ひげ。

 どこか余裕に溢れた顔をした男。


 知り合いではない‥‥‥だが、どこか懐かしさを感じる男だった。


 男の手には一振りの剣が握られている。

 振り下ろされた剣は地面に深々と突き刺さり、その一撃の威力を物語っている。


 何処からともなく現れたその剣士は、不意にキャスパーに一太刀を入れたのだ。


 俺はその背中に、かつての仲間‥‥‥ジークの面影を見た。


 剣聖とよばれた、六英雄の1人。俺と共に世界を救うため魔神と戦った、非魔術師の剣士。


 ――だが、反応してる場合じゃねえ。


 この隙‥‥‥この剣士が作った一瞬の隙を利用するしか勝ち目はねえ‥‥‥!


 俺は咄嗟にクロの切り落とされた爪を拾い上げ、握りしめる。


 これなら――――吸血鬼の身体にも致命傷を与えられる。


「キャスパー!!」


「そんなもので‥‥‥!」


 キャスパーもそれに抵抗しようと動き出す――が、刹那、ジークに似た剣士は持っている剣を縦横無尽に振り抜く。


 剣筋の残像が、はっきりと見える。


 同時に、キャスパーの体に無数の線が走る。普通ならバラバラ死体になってもおかしくない。


 だが、吸血鬼。その傷も一瞬にして塞がり始める。


 ――しかし、そのほんの一瞬。その一瞬あれば十分だ。


 俺は最後の魔力を練る。


「"光縛"」


 発動した2本だけの"光縛"。


 地面から飛び出した光の鎖は、キャスパーの右手と左手に絡みつくと、上半身を剥き出しにする。


「ギルフォードオォォォ!!!」


 キャスパーが、初めて咆える。


 俺は手に持ったクロの爪を、勢いに任せてキャスパーの心臓に突き立てる。


 爪は心臓を貫き、キャスパーの背中まで突き抜ける。


「終わりだ‥‥‥キャスパー!!」


「ガハッ‥‥‥!」


 キャスパーの口から、血が溢れる。


 静寂が訪れる。


 サラサラと砂になるように、光の鎖は宙に消える。


 キャスパーはよろよろとよろめきながら、胸に突き刺さったそれを見ると、そっと触れる。


 手に付着した自分の血をマジマジと眺め、唖然とした表情を浮かべる。


 目の色が青に戻り、伸びきっていた爪や牙が縮んでいく。


 体の変化が覚醒前に戻る中で‥‥‥。


 突き立てられたクロの爪による傷が、修復する気配は――ない。

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