十章 御子さま殺人事件(解決)2
二人めの探偵は、ようやく、ハッとする。
「春蘭!」
「そうさ。この八十年、蘭のふりしてたのは、春蘭だったんだ!」
猛のこの言葉は、この日一番の驚がくをもたらした。水魚は言葉を失い、龍吾は、ぽかんと口をあける。
「春蘭って、でも、それじゃ、ここにいる春蘭は……」
「カトレアだよ。そうなんだろ? カトレア。以前、春蘭が話してた。まだタグの色で、自分たち三人が区別されてたころ。一度だけ、タグを交換して、三人がすりかわったことがあるって。なのに一日中、誰も気づかなかったって。あのときと同じことをしてたんだ。春蘭が蘭を。カトレアが春蘭を演じていた。だから、蘭のなかに御子はいなかった。当然だ。蘭じゃないんだからな。なんとなく、いつもの蘭と違うような気がしてた。それも、おれの思い違いじゃなかったんだ」
春蘭は片方の眉をあげ、上目遣いに猛を見る。そういう仕草は、春蘭の個性ではなかった。彼は、ため息を吐きだした。
「そうだよ。おれはカトレアだ。でも、その名前、好きじゃない。蓮って呼んでくれ」
みんなは困惑の目で、蓮と猛を見くらべる。
「蘭さんのふりって……そんな、それじゃ、ほんとの蘭さんは……」と、龍吾。
「ああ。八十年前から行方不明だったんだ。御子を宿したままかどうかは、わからない。蓮、おまえなら知ってるんじゃないか? 八十年前、何があったんだ?」
蓮はだまりこんで物思いに沈んでいる。
「蓮。まさか、おまえと春蘭で、蘭を殺したのか?」
猛の青ざめた顔を見て、蓮は苦笑した。
「おれが戻ってきたときには、もう蘭は死んでた。全身メッタ刺しで、頭も強打してたし、腹が裂かれて、御子は引きずりだされてた。顔も……けずりとられて……。かたわらで、春蘭が、ぼうぜんとしてた。おれが『おまえがやったのか?』と聞いたときには、春蘭は首をふった。ほんとのとこは、わからない。ただ、そのとき思ったんだ。今なら、春蘭を蘭にしてやれるって。
おれはもう、蘭になりたいとは思わない。けど、春蘭は、そうじゃなかった。胡蝶と同じ。命をかけてでも、蘭になりたいって思ってた。だから、おれは蘭の手から、春蘭の手へ、あのトレードマークの指輪をつけかえた。蘭の死体を遠くへ捨てて、言ってやったんだ。
『今日から、おまえが蘭だよ。おれが、おまえの代わりをしてやるから』って。
あのときの春蘭の嬉しそうな顔……あの笑顔を見るためなら、おれは何度だって同じことをするよ。だって、おれたち、兄弟だから……」
蓮の双眸から涙があふれてくる。
「後悔なんてしないと思ってた。知らなかったんだ。蘭が、おれたちのこと、ちょっとは気にしてくれてたんだって……」
一同はあまりに衝撃的な内容に、すぐには話しだすこともできない。
静寂のなかに、ただ蓮の嗚咽だけが響く。
「蘭さんが……殺されてた。八十年も前に……」
「私たちはそれを誰一人、気づかなかったというのか。もっとも大切な人の死を……」
龍吾や水魚は、悲痛な声をあげて頭をかかえる。
猛だけが、妙に冷静だ。
「蓮。おまえ、オリジナルのころから、いつも同じ時期になると消えるよな。胡蝶が死んだ日。二度め以降は、胡蝶のクローンは造ってないから、そのお芝居になるんだが。胡蝶の死から数年ないし数十年のあいだ。で、また、ふらっと帰ってくる。あのあいだ、何してるんだ?」
「旅してるんだよ」
「旅? 一人でか?」
「いや。雷牙と」
「雷牙って……なんか、疫神っぽい名前だな」
「オリジナルは疫神だった。まあ、なんていうか、御子の大ファンでさ。ずっと追っかけまわしてたんだってさ」と言って、蓮は泣き笑いする。
「おれのこと、御子とまちがえやがって」
「ストーカーか。疫神の……」
猛は頭痛をこらえるように、こめかみを押さえる。
「それ、言ってやるなよ。あいつ、すっげえピュアなんだから。それで間違われて、さらわれたんだけど。意気投合してさ。いっしょに旅してたんだ。
すごく楽しかった。自由気ままで。なんにも縛られなくて。けど……あいつ、死んだから。それで、あいつの髪を持って帰ってきたんだ。
研究所の女の子、たらしこんで、いつも、その時期が来ると、あいつのクローンを造ってもらうようにしてる。記憶複写すると、おれのしてることバレるから、複写はしてないんだけど。でも、やっぱり、あいつとおれ、気があうよ。いつも気ままな旅をして、あいつを看取ったら、帰ってくるんだ。次のリプレイの細工のためにね。けど……」
「けど、今回は戻ってみたら、そんな大事件になってたんだな?」
「ああ」
春蘭に話をきかないとな——と、猛は言った。言いながら、あごのさきをトントンと、こぶしでたたく。
「八十年前……八十年前。やっぱり、なんか、ひっかかる」
ひとりごとを言いながら、猛はけんめいに思案してる。
が、顔なしは急速に眠気を感じていた。
もうこれ以上、何も考えずに眠ってしまいたい。
これまで、何度も、そうしてきたように。
夢を見なければ。
今すぐ、そうしなければ。
これは確信だ。
でないと、恐ろしいことが起こる。
(顔なしは蘭と出会ってはいけない。殺してしまうから……)
二つのものが出会うとき、そこに発生する恐怖は、重力のように、この世界を押しつぶす。
視界が真っ赤に染まるほど大量の血が流れ、肉片が飛びちる。
涙も悲鳴も、懇願も、役には立たない。
ただ無情に、細切れにされていく。
(やめないと……もう眠らないと……あれが襲ってくる……)
意識の遠のく顔なしの前で、猛が叫んだ。
「そうだ! ストーカーだ! あのころ、春蘭を追っかけまわしてたストーカーがいた。けっきょく、あいつ、どうなったんだっけ?」
ふりおろされるナイフのきらめき。
それが肉に刺さる、するどい痛みを、顔なしは体に感じた。
(やめて。もうやめて。なにも思いだしたくない)
猛の問いに、龍吾が答える。
「たしか、崖から飛びおりて、自殺したんじゃなかったか?」
「そう。首の骨、折って、すごい死体だったんだよな。遺書はなかった。まさか、あいつが——」
そこへ、医療用のガウンをはおって、春蘭が帰ってきた。顔色は青ざめていたが、自分の足で歩けるほど回復している。
「……そうだよ。あの日、僕は見たんだ。蘭が散歩に行くところだった。窓から外を見てると、しばらくして、男が庭から走り去っていった。あ、あいつだ。白須だって、すぐにわかった。急いで、かけていくと、蘭は血みどろになって倒れてた。あとのことは……カトレアが話したとおりだよ」
「春蘭と蘭を……まちがえたんだな。あるいは、どうせ殺すなら、オリジナルが欲しかったのか」
猛の言葉を聞いて、水魚は泣きだした。菊子や龍吾……みんな。
誰もが大切に守ってきた、たった一人の人。
御子。
不老不死の彼の最期が、これほど、みじめで、あっけないものだったとは。
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