五章 月と花、品種改良 3—2
それから春蘭は、いつもの生活に戻った。
従順に。何を言われても、おとなしく。何を要求されても、なすがままに。
ただひとつだけ違うのは、所員の目を盗んで、何度も自殺をはかること。
飛びおりは二十回くらいした。
自室を一階におろされ、春蘭の身分証では屋上へ出られなくなった。
手術室や医療器具の保管庫から、メスを盗んで、胸を刺した。手首や動脈も切った。
そこへも出入りできなくされた。
シーツを浴室のカーテンレールに結び、首をつった。シーツや、ふとんカバーを外されてしまった。ベルトやヒモ類も没収された。
しかたないので、カベに何度も頭を打ちつけた。死ねなかった。舌をかみきると、また生えてきた。
ついに、春蘭は拘束衣を着せられ、舌をかまないよう、口に器具をはめられた。
一日じゅう監視つきで、ベッドの上から、ぼんやり外をながめた。
死ねないことが、こんなに、つらいことだとは思わなかった。
猛がやってきたのは、そんな生活が、どのくらい続いてからだったろうか。
猛は監視員を外に出した。二人きりになると、言った。
「おれが……こばんだからか?」
猛は春蘭をあわれんで、気を変えてくれたんだろうか?
今なら抱いてくれるだろうか。
それなら、もう死なない……だろうか?
なんだか近ごろは、なぜ死にたいかではなく、『死』のために死にたいような気がするが。
死ぬことじたいが目的になってしまったような……。
猛はベッドの枕元に腰かけた。春蘭の目をのぞきこんでくる。
「なあ、春蘭。おまえが、もう自殺しないと誓ってくれるなら、抱いてやるよ。
けど、ほんとに、それが、おまえの望みなのか? おまえにとって本物になるって、そんなことでいいのか?」
よく、わからない。
最初から方法が間違ってたことくらい、自分でも知っている。
けれど、ほかに、どうしようがあったのか。それが、わからない。
けっきょく、いけないのは出遅れてしまったことだ。
もっと早く、カトレアみたいに、自分の感情を赤裸々に解放しとけばよかった。他人に気に入られようとはせずに。
あるいは胡蝶のように、きぜんと信念をつらぬく。激しさと、はかなさをあわせもつ華麗な生をかけぬけて。
でも、誰かにやられてしまったあとでは、それもできない。
同じじゃ、三人いる意味がない。
三体も造らなくてよかったんだって言われてしまう。いらないのは、春蘭だったってことに……。
春蘭がマドの外をながめていると、猛は言った。
「おまえたちは、ほんと、三人とも蘭にそっくりだよ。
胡蝶の気高さ。頑固さ。こうと決めたら、一歩もひかない。
カトレアの気ままな無邪気さ。ときどき無謀になって、大胆に走る。
春蘭、おまえの複雑な繊細さ。ほんとは、けっこう狡猾なくせに、優美な仕草で、それをおおいかくす。エモノに忍びよる豹みたいだ。
ずいぶん、研究員、食い散らしたな」
あれは、ガマンして……ほんとは、イヤだった……。
猛は春蘭の目の動きから、心の内を察した。
「おまえは被害者のつもりかもしれないけど。おまえに見つめられて、そっと手をかけられたら、堕ちない男いないよ。
おまえが、こんなふうになって、『春蘭が、おかしくなった』って、後追い自殺しかねない連中が相当数いた。
こっちはビックリだ。いつのまに、研究所が、こんなことになってたんだって。
でも、それは、さみしがりやだからなんだよな?
知ってるよ。おまえたちは三人とも、強烈な甘えん坊だって。しょうがないよ。蘭が、そうなんだから」
猛は続ける。
「まぎれもなく、おまえらは蘭だよ。蘭の一面を、それぞれ誇張した形だけど。おまえたちは三人で一人の蘭だった。だから、みんなに笑っててほしかった。みんなに幸せでいてほしかった」
三人で一人……僕たちは、三人で一人……。
春蘭がうめくと、猛がハッとした。
「話したいのか? 春蘭」
うなずく。
猛は春蘭の口をふさぐ器具をはずしてくれた。
「……本当? 僕たちが三人で一人だって」
「おれは、そう思うよ」
「じゃあ……一人もいらなかったわけじゃない? 三人とも生まれてきて、よかった?」
「もちろんだろ。三つ子みたいで、可愛かったよ」
「でも、御子は……気味が悪いって。実験に必要なのは一人だから、一体で充分だったって」
「ああ、あれな」
猛は苦笑いを浮かべる。
「あれは、妬いたんだよ。蘭のやつ。おまえらが想像以上に自分にそっくりだったから。しかも、まだ十代で初々しくて、おれや水魚の愛情が移ってしまうんじゃないかと思ったんだ。事実、菊子や森田は、すでにおまえたちに感情移入してた。おれだって、やっぱり、蘭と同じ顔のおまえら見ちまうと、ほっとけないよ——あ、これは、蘭にはナイショな。また妬くから。言ったろ。蘭も、すごい甘えん坊なんだって」
同じ……御子と春蘭たちは同じ。
同じように感じ、同じように考える。
本物と偽物の境界線は、思っていた以上に、あやふやなのだと、春蘭は知った。
とつぜん、蘭に親近感が持てた。
蘭とも胸襟をひらいて話せば、いつか理解しあえるんじゃないかと思った。
胡蝶やカトレアのように、蘭のことも、自分の一部のように感じられるのではないかと。
「もう自殺なんてしないよな? 春蘭」
春蘭は、うなずいた。
さっきから急に、その理由が消えてしまった。なぜ、あんなに『死』に取り憑かれてたのか、自分でも、わからない。
すると、拘束衣がきゅうくつに感じられた。
「猛さん。僕、外を歩いてみたいです。ベッドに縛られてるのは、もうたくさん」
「まず蘭を説得しなきゃだけど。おまえを村のなかくらいなら、自由に歩けるようにしてやるよ。じつは御子さまには双子の弟がいましたってことにしたらいいと思うんだ」
「弟……兄弟」
「蘭が飢えてるのは家族愛だから。そこんとこ突けば、ゆるしてくれるさ。甘えるのは得意だろ?」
猛は拘束衣をぬがしてくれた。
春蘭は思いきり伸びをした。
窓をあけると、清々しい風が、ふきぬけた。
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