三章 新時代 3—1
3
《夢 近未来8》
興奮さめやらぬ男たちにせがまれて、もう一度、ふるさとを歌った。
そのあと、みんなで声をあわせて歌い、これ以上は安売りになると感じた猛が、蘭からマイクをとりあげる。
「御子さまはこれからも来てくださる。みんなのこともちゃんと考えて、よりよい国造りを進めていくおつもりだ。みんなの力を貸してくれ。御子さまの目指す争いのない世界を、おれたちの手で創ろう」
おひろめは大成功。
ステージをおりた蘭は、つめよる村人にかこまれた。一人ずつ握手する。おれも、おれもと、みんながよってくる。手をにぎりたいのもあるんだろうが、蘭の顔を近くで見たかったのかもしれない。
蘭の微笑は男たちの期待を裏切らなかった。目の前で蘭に見つめられ、手をにぎった男たちは、全員、魂を吸われたようになった。
「押さないで。一人も残さず、みんなと握手しますから」
二百人全員と握手するのは骨が折れた。
だが、それだけの価値はあった。
蘭の美貌はこの時代では充分、宗教として通用する。くわえて、洗練されたゼイタクな服。豪華な装身具。それらの象徴する富と力。
そのさきに、もたらされる希望。
この人となら、本当に争いのない世界を造れるかもしれないという、その象徴性だ。
彼らは蘭の上に、これから来る美しい世界を夢見たのだ。
(僕の民。僕の王国か……)
一人ずつ手をにぎりながら、ワンボックスカーに向かう。
とつぜん、蘭はものすごい力で肩をつかまれた。
やっぱり、僕を神聖視する人だけじゃないんだな。なかにはストーカーっぽいのもいるのか……。
と、思ったが、男の顔を見て驚愕した。年をとり、ずいぶん変わっていたが、見間違えはしない。
「三村さん!」
「蘭! やっぱり、蘭や」
それはパンデミック前、家族とともに残ることをえらんだ友人の三村だ。
以前はチンピラみたいな和柄のシャツを好んで着ていた。今はすりきれたジャンバーに、その名残りがあるだけだ。
「蘭。猛。おまえら、生きとったんや。よかった。ほんま、よかった」
三村は泣いてる。昔から見かけによらず、情にもろい男だった。
「そういう、あなたこそ、よく生きて……」
「かーくんは? かーくんはどこにおるんや? あいつだけ留守番かいな。昔から、たよりなかったもんなあ」
三村は笑うのだが、蘭たちは笑えない。猛と顔を見あわせる。
「かーくんは、遠くに行ってしまいました」
三村はショックをかくせない。
「死んだんか……ええやつやったのに」
勘違いしてるが、今はまわりの耳目がある。
「三村、こっち来いよ。つもる話もあるしな。あっちでゆっくり話そう」
猛が三村を車の場所までつれていく。
蘭は残りのノルマを果たすあいだ、おあずけをくらった犬の気分だ。
今日は大事な日だとわかってるので、愛想をたやさないよう努めるのに苦労した。
やっと物欲しそうな男たちと、全員、握手し終わった。たぶん、そしらぬふりして、何度も手をにぎりにきたヤツもけっこういた。
ようやく、ワンボックスカーに乗りこむ。
「一時間もかかっちゃった。握手のしすぎで手がしびれます。それにしても、鮭児くん。ひさしぶりですね。ときに、そっちのかたは?」
車内には、猛と三村のほか、二十代の青年がいた。昔の三村に少し似ている。
「あ、おれの甥っ子や」
「どうも、永井康太です。お話はかねがね、叔父貴から聞いてます」
「ああ……鮭児くんの甥とは思えない礼儀正しさ」
「言うたな。蘭。ええんか。おまえの本性、バラすで。でっかいネコかぶっとるくせに」
「やめてくださいよ。僕は真人間になったんです」
「あこぎな言いかたすんなや」
笑い声が車内にひびく。
蘭たちは手をとりあって再会を喜んだ。
「正直、あなたはもうダメだって思ってました」
「おれも、なんべんも死ぬ思うたわ。けど、おまえらが最後、出雲あたりにおるようなこと言うとったろ。もしや思うて、ここまで来た。まだ、ちっこかった、こいつの手、引きながら」
三村は父母のことは話さない。きっと、ダメだったのだ。
「関西で、こっち方面、逃げてきたやつ、けっこうおるで。大阪は人、集まっとるせいやろな。パンデミックのあと。ひんぱんに薬屋が来て、生き残りのやつら、どんどん、さらっていきよった。近所のダチとか、中学んときの同級生とか、こいつのオトンとか。途中までいっしょやってんけど。みんな、やつらにやられてしもた。おれら、逃げきれただけで奇跡やで」
京都はどうでしたかと聞きたかったが、やめておいた。聞いても、きっと悲しくなるだけだ。
「にしても、おまえら、変わらんなあ。いや、猛は、ある意味、変わったで。疫神かと思うたわ。ほんで近よれへんようにしとったんやけどな」
「よく間違われる」
「いっそ、疫神です、言うたらええねん。名前、猛やし、猛虎やな。疫神猛虎」
「よせよ。阪神タイガースみたいだろ」
「猛虎打線復活や!」
笑いあったあと、三村は真顔になる。
「蘭なんか、ほんまに、おれとタメか? 会うたころと変わってへんぞ」
「そうなんですよね。体質っていうか。まあ、その話はおいおいに」
「それよりな」と、猛が話をそらす。
蘭の体質については、まだ話すべきじゃない。そのせいで三村が事件に巻きこまれる可能性もあるからだ。
「ちょうどよかった。王は王。でも、この村にも、まとめ役が必要だ。おれと蘭の友人なら、誰も文句なしで納得するだろ。おまえ、なれよ」
「メンドウなこと言いよるな」
「絶対的信頼おけるやつが代表でいてくれるのは、こっちもありがたい。いずれ、この村の人間だけで自衛できるように、武器も渡したいしな」
「なんや。撤退するんかいな」
「そうじゃない。もっと手を広げるためさ。これだけ人数が増えれば、大量の塩が必要になる。本格的に塩田作って、管理するやつらを海浜部に起きたい。塩作りにはマキや炭が必要だ。すると、それに専念する炭焼き村もいる。あと、いろんな道具のために鉄がいるよな。斐伊川は古来より良質の砂鉄がとれる場所なんだ。砂鉄を集める隊も組織しなきゃならないし」
へえッと、三村は感嘆の声をあげる。
「ほんまに、やる気なんやな。国、造るんや」
「おれは守れない約束はしないよ」
「せやったな。おまえは、いっぺん言うたことは、かならず守る男やった。しゃあない。おれも力貸すわ。もめごと起きひんようにすればええんやろ? おれにできんのは、そんぐらいやけどな」
「助かる!」
「そういや、再会したら、また遊ぼ言うとったな。デッカい遊びになんで」
かたく手をにぎりあった。
「ほななあ。猛。また今度。蘭、今夜、おまえの顔、思いながらマスかくわ」
「やめてください! 寒いッ」
「ジョークやって。ジョーク。そない怒らんでもええやんか」
三村と別れ、蘭たちは不二村に帰った。
このあとの二、三十年が、パンデミック後の蘭にとって、もっとも幸福な時期だった。
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