5

 出かける準備をするべく部屋に戻ると、ふわりと華やかな香りに包まれた。

「……まあ」

 扉を開けた瞬間、視界を奪うのは壁に窓に溢れんばかりに飾られた、美しい花々。

 それを陛下からの贈り物だと認識するより先に、唖然というより愕然とした。

「陛下より、船旅中に渡せなかった分をとの御命令です。昨晩は用意が間に合わず、遅くなりまして申し訳ございません」

 かっちりと女官としての礼をとってみせるルシエラの言葉は、一応聞こえてはいたのだが、耳を素通りしてどこかへ消えてしまった。

 メイラも女だから花は好きだし、それが陛下から贈られたものともなれば心から嬉しい。しかし、いま彼女が立ち尽くしているのは、その感動が有無を言わせぬ感じで吹き飛んでしまったからだ。

 視界に映る室内の様子が、あまりにも常識の範疇からかけ離れすぎていて。

「……これは、ルシエラが?」

「はい、御方さま。陛下の御指示通りの色の花を、ご指示通りの本数、可能な限り揃えました」

 それでは、いつものように天災ルシエラのせいではなく、原因は陛下か。

 危うく叱責しそうになった口を閉ざし、額に手を当てた。

「これだけの花を用意するのは大変だったでしょう」

「さすがに帝都ほどの流通がなく、街中の花屋を回りました」

 も、もしかして買い占めたりは……してないよね?!

「時季的にそろわない花もあり、陛下の御指示通りとは参りませんでしたが」

 気持ちだけでうれしいのだと、ルシエラに言っても仕方がないのだろう。

「……何か、お気に障りましたか? 嫌いな花でも?」

「いいえ、嬉しいわ」

 そう、嬉しい。とっても嬉しい。……こんなに沢山贈られても困るなどと、言ってはいけないのだろう。

 ルシエラが至極満足そうに頷いた。

「花については、一か月先まで事細かにご指示いただいております」

「そ、そう」

「まことご寵愛深く、喜ばしい事です。……ただ」

 今晩も明日も明後日も、部屋中を花で埋められるのかと遠い目をしていると、不意に傍らの女官が声のトーンを落とし、背中に氷でも入れられたような気がした。

 ただ、何? なに? 何なの?!

 もったいぶって言い淀まないでほしい。なんでも言いたいことを言うのがルシエラではないのか?

 ぷるぷるしながら目を見開いていると、すうっと細くなった氷の色をした彼女の双眸が、壮絶な流し目を作りメイラを襲った。

「身辺にはくれぐれもお気をつけ下さい。……ご寵愛が深い分、ご悋気もかなりのものかと」

 ガツン、と頭を強打された気がした。

 猊下たちの事を言っているのだと思うが、片方は育ての親のようなもので、もう片方は自称祖父だ。もちろんそんなことは公言できないので、扇子でさっと顔の半分を隠す。

「……散歩に行かれるそうで?」

「ルシエラも一緒にどうかしら」

 どうして浮気の言い訳をしている気分になっているのだろう。

 殺傷能力すらありそうな流し目に、扇子を楯にして耐えていると、やがて何かを納得したようすでひとつ頷き、ルシエラはもう一度恭しく礼をとった。

「はい、喜んで。警護の用意がございますので、失礼いたします」

 言いたいことだけ言ってさっさと退室していく一等女官を見送って、なんとか誤魔化せたかとため息をついた。

 とはいえ、昨夜のことを秘密にしておくのはどうかと思うのだ。

 自称祖父についてはともかく、御神の骨については情報を共有しておくべきだろう。

 あれが人間にとってどんなに恐ろしいものであるか、周知しておいた方がいい。

 ハーデス公爵家はともかくとして、中央神殿とこの国の憲兵たちとの間でどの程度意思疎通できているか不明な限り、知っているはず、わかっているはずだと楽観するわけにはいかない。

「温かい服装をということでしたので、昨晩公爵閣下から用意するよう申し使っておりました中厚手のコートとストールが早速役に立ちそうです」

 ぼんやりと思案に耽っていたメイラを現実に引き戻したのは、ユリだった。

 はっとして彼女を見上げた瞬間、視界に飛び込んできたのは大量の花、花、花……

「……用意も急がなければならないのだけれど、この花はどうするの?」

 世の貴族の女性たちは、花を贈られたらどうするのだろう。

 一般的にはそのまま飾っておいたり、精々ドライフラワーにしたり押し花にしたりするのだろうが、この量では……まさか、ジャムにしたりするのだろうか。いやいや、中には食べると害になる花もあるというし。

「気に入られたのでしたら、髪とドレスに飾られますか?」

 有害なものと無害なものと仕分けして、無害なものならジャムもいいかもしれないと妄想していると、実に貴婦人らしいが消費は微々たるものだろう解決策が出てきた。

 食べる事にしか頭が行かなかったメイラは少し赤面し、「そうね」と当たり障りなく答える。

 さりげなく聞いてみると、次の花と入れ替えで、どうやら廃棄処分になるらしい。もったいない。

「これは陛下より御方さまへの贈り物ですので、滅多な扱いはできません」

 メイラが利用する分にはかまわないのだが、よもや不埒ものが転売などして金銭に変えたりすれば大事になるとのこと。そういう事にならない為にも、一気に処分してしまうのが貴族の習いなのだそうだ。

 メイラでなくとも、ごく普通の感性の持ち主なら、美しいままの花が捨て置かれていれば惜しむだろう。中には家に持って帰って飾ったり、食うに困っているなら金銭に変えようとする者もいるはずだ。

 平民としての感覚だと、それが悪い事だとは思わない。有効利用してもらうほうが、花も嬉しいだろう。

 しかし貴族の考えることは違っていて、贈られた気持ちを他人に踏みにじられる屈辱的行為らしい。最悪、送り主の気持ちを無下にし侮辱していると取られかねないのだとか。

 かといって、せっかくの贈り物を捨てるとなると、それはどうかと思うのは貴族も平民も同じなのだろう。

 故に、貴族たちの間で贈り物といったら、少量の菓子や精々一抱えの花束で、それ以外だと高価な貴金属類になりがちなのだ。

 メイラは高価な贈り物は申し訳ないので花が良いと言ったのだが、毎日捨てる事になるとは考えてもいなかった。

 これはもう一度、陛下に適量というものを申し上げなくては。

 例えば花一輪とまではいわずとも、花束ひとつぐらいであれば萎れてくるまで大切に飾っておけるのだ。

 とはいえ、陛下と直接お会いできるのは相当先のことだし、手紙などで不快にさせずに伝えることなど出来る気がしない。

「……せっかくですもの、有効利用しましょう」

 どうにもならないことを思い悩むのはやめにして、するべきことに意識を向けることにした。

 要するに、着替え、化粧直し、髪の結いなおしである。

「はい、御方さま。ドレスのお色を考えますと、髪に飾るのはあのお色の花がよろしいかと」

「任せるわ」

 いつものことだが、装いに関しては有能なメイドたちに一任している。

 その場その場に相応しい装いなど、修道女として育ったメイラにわかるわけがなく、それならば信頼してお任せにした方が良い。

 メイラの好みはあくまでもシンプル地味系だが、ユリに任せればそこに清楚さが、シェリーメイに任せれば可憐さが、フランに任せれば華やかさが加味される。

 今回のドレスはすみれ色で、黒いレースが内側からのアクセントになっていた。マーメイドラインだがゆったり目の仕立てで、裾の部分が大きく波打つようなデザインだ。

 地味な色身だが目立つドレス、というなんともいえないチョイス。

 選んだのはユリだからか、きっちりと襟首まで詰まっていて、どこも肌が露出していない。

 両側の髪をタイトに編み込み、ベールのついた小さな帽子をかぶってしまえば、どこからどう見ても既婚者の装いだ。

 付け髪をふわりと編んで左肩に流し、丁度頬に掛かるあたりに生花が飾られる。

 花を萎れさせずに飾りに使う技術はさすがというしかなく、彼女の手に掛かれば、首を落とされた花ですら半日は生き生きと美しさを保つのだ。

 仕上げの化粧を施されていると、ノックの音と共にシェリーメイが広蓋を手に掲げ入ってきた。

 真っ白なシルクに覆われているのは、陛下から拝領した大切な玉髪飾りと、フィンガーレスのグローブだ。

 玉髪飾りを刺してもらい、グローブの輪の部分に中指を通せば、完全武装している気分になって安心する。

 防寒の手袋はその上からだ。フィンガーレスのグローブは、グローブと言っても細いレースの編み込みとビーズで構成された繊細な作りなので、重ね付けしてもかさばらない。

 最後に、恐ろしく手触りが良く軽い、青みがかった灰色のコートを肩にかけられた。騎士のサーコートのように長いのに、やぼったくも不格好にも見えない。むしろ、マーメイドラインなので目立つお尻の部分が隠せて良い感じだ。

 そしてコートを着て初めて、このドレスが上着を着ても映えるように選ばれたのだと気づいた。丁度コートの下から、美しく波打つドレスの裾がのぞくのだ。

「お風邪を召してはなりません。ショールを」

 更にその上から毛皮の襟巻で肩と胸元を覆われて。

「……厳冬期じゃないのよ」

 室内ではさすがに暑く、外そうとしたら、「なりません」と久々に言われた。

「外はかなり冷えております。まだお身体の調子が完全にもどっているわけではありませんので、むしろ汗をかくぐらいのほうがよいのです」

 汗をかけば、ドレスやグローブを汚してしまいそうで嫌ななのだが。

 コンコンコン

 せっかくの化粧も崩れてしまうと抗議していると、再び扉がノックされた。

 お迎えが来たのかと視線を向け、そのまま凝視してしまった。

「失礼いたします」

 騎士服を着たその人物は、驚くべきことにルシエラだった。

 女性騎士というよりは、男装の麗人然としたそのいで立ちに、二度見を決め込んだのはメイラだけではない。

「……どうしたの、その格好」

 誰も質問しないので聞いてみたが、返ってきたのはひんやりとした微笑みだけだった。

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