第39話

 眩暈と吐き気と動悸がひどい。

 メイラは口元を覆う扇子をぎゅっと握った。

 以前にもサスランと面会をしたことのある部屋は、決して小さいものではない。あの時も多いなと感じるほどの近衛騎士が立ち会っていたし、瞬きひとつない凝視に居心地悪いものを感じてはいたが。

 前回の騎士たちは全員女性で、適度な距離を開けての警備だった。サスランやひれ伏す商人たちを冷静に観察できたし、思案に裂く気持ちの余裕もあった。

 しかし今は……

「……ねぇユリ」

「はい、メルシェイラさま」

 備え付けのソファーでくつろぐ気にもなれず、扇子の陰で再びため息を漏らす。

「遠いわね」

「……ウェイド・サスラン補佐官。近くへ」

 返事をしたのはユリだったが、顔が判別できても表情まではうかがえない距離にいたサスランを呼んだのは近衛騎士だった。男性の。……男性の!!

 大変なことなので、心の中で二回言ってみました。

 ここは後宮内なので、騎士といっても女性のはずなのだ。前回の面会がもみ消されたという理由もあるのかもしれないが、男性がいるのはどう考えてもおかしい。

 事件の調査ということで後宮に入ることが許されているのは憲兵師団の士官のみのはずで、目前で整然と並ぶ近衛騎士とは服装からして違う。

 もちろん憲兵も武装しているが、彼らの装束はどちらかというと後宮近衛の女性騎士のものに近い。武装しているとはいえサーコートに軽鎧、剣も細剣や長剣が多い。

 対して今メイラの視界の八割以上を占めている男性近衛騎士の装束は、ガチガチの武装なのだ。今すぐ戦場に行っても十分に戦えるだろう。頬あてのついた兜、重そうに黒光りした鎧。揃いの武骨な重槍を手に仁王立ちしている。

 青の宮で陛下の傍についていた近衛騎士たちでももっと軽装だった。

 考えるまでもなく、示威行為なのだろう。

 後宮の住人にもだが、その者と面会しようとしている者に対しても。

 そんな重装備の近衛騎士の間に後宮近衛の女性騎士が立っているわけだが、ものすごく居心地が悪そうだった。

 わかる。すごくよくわかる。メイラだって今すぐにこの場から立ち去りたい。

 しかし今更尻尾を撒いて逃げかえるわけにもいかず、再三にわたりこぼれそうになる溜息を呑み込んだ。

 緊張した様子のサスランが、隊長らしき近衛騎士の指示する場所まで進み出て、両膝をつく。

 顔は上げない。声も出さない。

 この場での彼はもっとも下位者であり、上位者が声を掛けるまでは身動き一つ許されないのだ。

「サスラン」

 名前を呼んでから、何と声を掛けるべきか考えていなかったことに気づく。

 ぴくりとも動かないその肩を見下ろして、ものすごく申し訳ない気分になってきた。

 だって所詮は平民修道女の小娘なのだ。

 偉そうにふんぞり返って他人様に命令するような者ではないし、そんな柄でもない。

 広い部屋中にひしめき合っている、名も知らぬ近衛騎士たちの視線を痛いほどに浴びながら、なんだか涙が出そうになってきた。

「……変わりはない?」

 しかも、返事がない。

 サスランは跪いたまま身動き一つせず、顔すら上げない。

 無視されているのか、返答する価値もないと思われてしまったのかと不安になったが、ぐっと奥歯を食いしばって視線が泳ぐのを堪えた。

「顔を上げよ。直答を許す」

 傍らでルシエラ・マイン一等女官が凛と声を張った。

 そんな大層な、と思ってしまったのはいつまでも平民心情が抜けないメイラだけで、近衛騎士たちも付き添いの女官たちも、メイドのユリも、控えているサスランですらおかしいとは思わなかったようだ。

 サスランの栗色の頭がほんの少し上げられた。

 しかしそれでも視線はこちらを向かない。

「はい、妾妃さま。おかげをもちまして、大過なく過ごさせていただいております」

 いや、ずいぶんと顔色が悪い。……メイラも似たようなものだろうが。

「街の様子はどう?」

 そうだ、エルブランの街は疫病にさらされ、大勢が苦しんでいるのだ。

 忘れていたわけではないが、己の事でいっぱいいっぱいで思い返すことも少なかった事実に申し訳なくなってくる。

「はい、妾妃さま。一昨日皇帝陛下より温情を賜り、メメトスの治療師の派遣が許されました。水不足のほうも、かねてより要望を出しておりました追加の水オーブの配置が叶い、魔法士五名が来て下さることになりました。今のところは恙なく、街も民も災禍を耐え凌げると思われます」

 メイラはぱちりと瞬きをひとつした。

 そしてそのあとは大きく目を見開き、あまりにも予想外の返答にしばし無言になる。

 陛下が? 何故……と思うと同時に、理由はすぐに察することができた。

 メイラが言ったのだ。陛下にではない。ネメシス憲兵師団長閣下に。

 エルブランの水不足と疫病のことを。何とかしてやりたいと無い知恵を絞ったのだと。

 尋問の過程で閣下に告げた事だが、陛下はそれを隣で聞いておられた。

 まさか、たったそれだけこのことで?

「妾妃さまと陛下には最大級の感謝を。おかげで大勢が救われます」

「……そう」

 声が震えそうになった。

 ぎゅっと扇子を握りしめ、その震えを必死で飲み込む。

「皆が無事ならよいのです」

 もちろん感謝の気持ちでいっぱいだったのだが、それ以上に、恐れ多さに慄いていた。

 小娘のたわごとのような一言を聞き、陛下が動かれたのだという事実に。

 ほんの触りにすぎない内容だった。エルブランのことを話していたのは数分にも満たなかった。それなのに……

 メイラは滲みそうになる涙をこらえた。

 今の季節、この国で疫病にさらされている街はエルブランだけではない。水不足の方はどこも慢性的に陥っている悩みだ。

 国からの援助など、望んで叶うものではなかった。

 白魔法の、特に治療に特化したメメトスの民を招聘するのは、更に容易いことではない。

 もちろんお金もかかるし、それ以上に伝手がいる。こんなにもスピーディに事が進んだのは、間違いなく陛下からの直接の依頼があったからだろう。

 たとえ治療師が来てくれたとしても、疫病そのものがなくなるわけではない。

 しかし、被害は確実に減る。メイラのなんちゃって民間療法よりよっぽど効果的に。

「最小限で抑えられそうなのね?」

「確実とはまだ言い切れませんが、おそらくは」

 今の季節の病気は拡散しやすい。一つの街で流行したということは、近隣の街も危ういという事。病を根絶させるのが難しい以上、大流行の前に抑え込めるのは大きな成果だ。

 メイラは深く頷いた。扇子の奥で吐いた息が熱い事を今更ながらに気づいた。

 恥も外聞もなく子供のように泣いてしまいそうだった。

「……前回妾妃さまから頂いたリストのものをご用意致しました。それから、いくらか事情をお伺いしましたので、勝手ながらそのほかの物も持参しております」

 相変わらず視線は下げられたままだし、それなりに距離があるので、嗚咽がこぼれそうなメイラの様子に気づいたわけではないだろうが、サスランの声は柔らかかった。

「ご入用のものがございましたら、なんでも仰ってください。エルブランの商人たちから、身代を賭してでもご用意しますとの伝言を預かって参りました」

「……そんなことを言っては駄目よ、と返事しておいて」

「彼らの家族も、従業員も、ほとんどがエルブランにおります。陛下と妾妃さまの温情がなければ、悲惨な状況に陥っていた可能性が高い。皆、感謝しているのです」

「そうね。では感謝は陛下に」

「もちろんでございます」

 陛下に礼状を書くべきだろうか。それともそれは無粋だろうか。直接会ってお礼を言いたい。感謝のハグとキスを贈りたい。

 メイラは陛下のクジャク石のような双眸が優しい笑みを浮かべる様子を思い浮かべた。

 簡単にお礼を言うこともお会いすることも叶わない、文字通り雲の上の御方。その事がこれまで以上に身につまされる。

「第二皇妃殿下への贈り物についてですが、オアシスでとれる珍しい果物と口当たりの良いジュレを用意致しました。それだけでは少し貧相かもしれませんので、第二皇妃殿下のお色である白を用いたガラスの器も。毒味の必要があるので、ネメシス憲兵師団長閣下に直接お渡ししておきましたが、よろしかったでしょうか」

 直接?

 感情を制御しながらうんうんと首を上下させて聞いていたのだが、あふれんばかりの感謝と感激は、あの外見だけは凡庸な方の目を思い出したところで水が差された。

「……ネメシス憲兵師団長閣下にお会いしたの?」

「はい。荷物の確認に立ち会われて」

「そう」

 まさかすべての持ち込み品を直接確認しているわけはないだろうから、メイラの荷物だから見に来たと考えるべきだろう。

 疑われているのだろうか。それとも、なにがしかの心配があってのことだろうか。

 少し考えるだけでも諸々の恐ろしい想像ができてしまい、別の意味で震えが来た。

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