第37話

 後宮近衛隊に囲まれて入室するメイラを見る目は、お世辞にも好意的なものだとは言えなかった。

 特に女官長のイザベラの視線は厳しい。

 挨拶もおざなりで、さっさと行けとばかりに手を振られて、数刻前に顔合わせをしたばかりの近衛隊の面々ですら顔をしかめるほどだ。

 しかしメイラは不快の色ひとつ浮かべずに従順に頷いて、指示されるがままに部屋に向かった。

 案内された部屋は、以前よりも手狭だった。

 離宮のコの字の端の部分にあたり、テラスに面している窓も小さい。東向きの出窓が天井付近まであるので日当たりはいいが、言い換えればそこだけしかいいところがない。家具も古く、装飾も若干すすけて見える。

 部屋のランクとしては明らかに低かった。女官長は憲兵の調査対象となっているメイラを、あからさまに端に追いやる気でいるらしい。

 メイラはシェリーメイの入れてくれた紅茶を飲みながら、慌ただしく荷物の整理をしているメイドたちをそれとなく眺めた。

 メイラ自身はこの部屋が不満だと思っているわけではないが、以前の部屋からついてくれているメイドたちはチラチラとこちらの顔色を窺っている。

 部屋は確かに狭くなった。

 しかし何故か、メイドの数は増えた。

 さらには、出窓の外には常時護衛と思しき女性騎士の頭が見える。テラスから見える位置にも複数。行動を見張られているととるべきか、守られているととるべきか、判断に迷うところだ。

 ゆっくりとカップを傾け、茶葉の甘い風味を楽しむ。

「まあ! 辛気臭い場所ねぇ」

 二杯目の紅茶を飲み終わったところで、あらかた部屋も片付き、さて夕刻まで何をしようかと思案していると、換気のために開けていた入り口の扉の向こうから聞き覚えのある声がした。

「……お約束もなく困ります」

「メイドごときが無礼な! 下がりなさい」

 バシン! と何かを叩きつけるような音がして、メイラは思わず椅子から腰を浮かせた。

「これは陛下の妻としてのお役目です。下がりなさい」

 また別の声。

 明らかに揉めているその様子にため息をつき、傍らのユリを見上げて小さく頷く。

 彼女はおしとやかに礼を取ってから、騒ぎの下へと向かった。

「ようこそいらっしゃいました、妾妃リーザさま。妾妃ロザリンドさま。メルシェイラさまがお会いになるそうです」

 いや、そんなに上から目線で言わなくても。

 丁寧だが聞き間違いようもなく慇懃なその口調に、思わず扇子を広げて口元を覆う。

「無礼な!」

 案の定激怒した御同輩たちが騒いでいるが、ため息をついたり慌てたりしているのはメイラだけで、そもそも部屋付きメイドたちは窓拭きの為に屋外にいたし、新規の傍付きメイドたちもまったくもって表情を変えない。

 プリプリしながら足音も荒く入室してきたのは、少しばかり視界の暴力だと感じる派手なドレスを身に着けた華やかな女性たちだった。確か三番目か四番目の側妃の取り巻きをしていて、『贈り物』に右往左往する様を嗤いながら高みの見物していた集団の中にいた気がする。

 陛下の正式な妻は三人。序列としてその下に側妃が七人。更にその下に妾妃が二十人いると聞いた。正式に紹介されたわけでもないので、すべての顔と名前を一致させることはできておらず、ユリがわざわざ名前を出してくれたのはそれを踏まえての事だろう。

 立ち上がったメイラを身長差を利用した物理的な上から目線で見下ろし、豊かな胸のふくらみをこれみよがしに誇示している。……すいませんね、ささやかな武器しか持ち合わせておりませんで。

 しかし、主に胸回りの部分で圧のあるその二人よりも、彼女たちの背後に立つユリの笑顔のほうが恐ろしかった。

 己のメイドが明らかに腹を立てている理由は、すぐにわかった。

 入り口付近に控えるシェリーメイの頬が赤く腫れていたからだ。

 叩かれたのだと気づいた瞬間、メイラの頭の中がすっと冷えた。

 姿かたちだけはそこそこ整っているふたりの妾妃たちを、困ったお客さんから仮想敵に修正する。

「まあ、お久しぶりでございます。随分とお急ぎのようですが、急を要する御用でも?」

 扇子で口元を覆ったまま、静かに口を開いた。

 席をすすめもしなかったし、礼儀としての挨拶もしなかった。つまりは最低でも同格、あるいは相手を格下だとみなしたわけである。

 即座にそれを察した二人がまなじりを吊り上げるが、メイラはひるまない。

 先に無礼な電撃訪問を仕掛けてきたのはあちらのほうなのだ。その上、シェリーメイの顔をぶつなんて。

 彼女たちがほんの少し怯んだのはわかった。まさか反抗してくるとは思わなかったのだろう。

「……憲兵から取り調べを受けたのでしょう? よく戻ってこれたものね」

 メイラは扇子で口元を覆ったまま目だけに笑みを浮かべた。

 まどろっこしい。

 喧嘩は相手が身構える前に先制攻撃が勝利の秘訣なのだ。子供相手には無敵な拳骨を繰り出してやろうか。

 しかしここはメイラが育った街ではなく、彼女はもはや平民の修道女ではない。

 もちろんだが物理攻撃は下策。最も彼女たちにダメージとなるものは何だろう。

「側妃が三人廃され、妾妃も半数以上暇を出され……あなたもてっきり妾妃の位を返上したとばかり思っていたのよ」

「……ふふ」

 メイラは彼女たちがここに来た事情を察して失笑した。

 おそらくだが、妾妃たちのなかから新たな側妃が立つと考えたのだろう。大勢の妾妃の中でマウントを取ることで、己がその席に滑り込もうとしたに違いない。

 弱そうな者から己の派閥に組み込もうとしているのだろうが、メイラをターゲットに選んだことがそもそもの間違いだ。

「……何がおかしいの」

「ごめんなさい。あまりにもその……」

 メイラはふっと噴き出した。

 クスクス笑っているうちに妾妃たちの顔が真っ赤に染まっていき、扇子を握る手元からギリギリと軋む音が聞こえてくる。

「……ご忠告致しますわ。今は静かに情勢を伺うべきです」

 彼女たちは、もっと周囲をよく見るべきだ。

 大勢の妃たちが罷免されたのに、どうして己は無事だと考えるのか。今の一挙一動が見られているのだという自覚に欠ける。

「お茶会にお誘いしようと思っていたのだけれど、不要なようね?」

「それはご親切に。ですが戻ったばかりで荷ほどきも終わっておりませんし、体調も優れませんので今回はご遠慮させていただきます」

 バキリ、と扇子が折れる音がした。その音にぎょっとするのとほぼ同時に、いつの間にか目の前にユリと新規の傍付きメイドが立っていた。

 いや、まさかそれを投げたりしないはず。仮にも淑女なのだから。……確かに、折った勢いのまま投げつけられそうな気はしたけれども。

「あの側妃リンダさまが泣きながら荷物をおまとめになっていたぐらいだもの、憲兵の取り調べは厳しいのでしょう?」

「粗雑な平民の男が多いと聞きますわ。メイドの噂ですと、机に押さえつけられて尋問されたとか」

「まあ、恐れ多くも陛下のご寵愛をうけた妃に対しても? 平民の男が?」

「お役目だとかで不遜なふるまいをしていると聞きますわ」

「密室でそのような者どもと同じ空気を吸うなど……!」

「きっとメルシェイラ様も恐ろしい目にお遭いになったのね」

「平民の男とふたりっきりにされて?」

「机に押し付けられて?」

「まあ! なんて恐ろしい!!」

 メイラが何も言っていないのに勝手に話は進む。

 どうやら平民の憲兵と密室で不適切な行いをしたのではと言いたいのだろうが、馬鹿々々しい。どんな物語を読んでいるのか知らないが、妄想過多だ。

 それにしても、ネメシス閣下が言っていた大鉈とはこのことか。さすがに三十人の妻は多いと思っていたが、一気に半分にまで減らしたのか。

 これで何が起こるのかというと、つまりは女たちの仁義なき戦いだ。

 決してキャットファイトなどという生易しいものではない。後宮に残った妾妃、あるいは側妃たちによる命を掛けての椅子取りゲームだ。

 すでにもう始まっているらしい遊戯に、しかしメイラは参加するつもりはなかった。

 もしどこかに与するとするなら第二皇妃の派閥一択。父からの命令もあったし、閣下からの指示にも沿う。

 考えるべきは有象無象に巻き込まれることではなく、いかにその波風をいなして第二皇妃に近づくかだが……

「わたくしなら、憲兵の取り調べを受けるなど耐えられないわ!!」

「そのような辱めを受ける謂れなどないから大丈夫よ」

「男性とふたりっきりで話すなど、妾妃としての慎みに欠けるのではなくて?」

「そうですわね。けれどもハ―デス公の養女とはいえ身分卑しき生まれなのでしょう? 矜持なども持ち合わせていないのよ」

 わざわざメイラの部屋まで来て、これ見よがしな嫌味話をしているふたりの妾妃にあきれた目を向ける。

 あまりにも程度の低い彼女たちの行動を見ていると、反撃するのも馬鹿らしくなってきた。

 対応するのも面倒だと顔に出ていたのかもしれない。控えていた新規の傍付きメイドに促され、先ほどまで座っていた背もたれ椅子に腰を下ろした。

「お湯を温めなおしましょう」

 つくづくメイドとは技能職なのだと思う。この状況下でシェリーメイはいつのまにか入り口からテーブルの脇まで移動してきていた。

 音もたてずに静かにポットの蓋を持ち上げ、水差しから水を足し、超小型の魔道コンロの温度を調整して。

 彼女の色白の頬はやはり赤くなっていたが、それ以外は普段と何ら変わりない美しい所作だった。

「リブリス産の茶葉を」

「はい、メルシェイラさま」

 彼女はどちらかというと物静かなタイプだが、その声はふわふわと可憐だ。

「頬が赤いわね。腫れてくる前に冷やした方がいいわ」

「いえ、羽虫に止まられただけですので」

 メイラは少し目を大きくして、おそらく二十代半ばだろうに成人前後にも見える童顔なメイドを見上げた。

「殺虫効果のあるハーブを炊きますね」

 押しつけがましくはない。いつも通りの可愛らしく歌うような声だ。

 目じりの泣き黒子が特徴的な瞳を、やわらかな笑みでほころばせて。

「メルシェイラさまにさわりがあっては大変ですもの」

 それは、羽虫は退治しますという宣言でしょうか。

 メイラは反射的に引きつった微笑みを返した。

 ……彼女を怒らせるのはやめようと心に誓った。

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