第33話

 あれよあれよという間に部屋にテーブルと椅子が運ばれてきた。

 もともとあったソファー類を移動させなくても置けるほどに室内は広く、メイラはずっと陛下の膝の上で固まったまま、食卓が整えられていくのを見ていた。

 黒大理石張りのテーブルを運んできたのは、近衛騎士に劣らぬ体格の侍従服を着た男たちだ。さすがプロと言いたくなる手際よさで、さっさと運び入れてさっと去っていく。

 簡単そうに見えるが、そうではないだろう。

 脚は透かし彫りが施されてはいるが頑丈そうな金属製だし、分厚い天板は大理石。ちょっとぶつけただけで傷がつきそうなうえに、かなりの重量がありそうだ。

 揃いの椅子を運ぶのにも二人がかり。きっとメイラなど一人で引くこともできまい。

 目算でもかなり座面が高そうなその椅子に、どうすれば不格好ではなく座れるだろう。子供のようによじ登る羽目にならなければいいのだが。

 いつまでたっても一脚しか運ばれてこないのにものすごく嫌な予感がしたが、あえて考えないようにした。

 きっと陛下はお一人で食べられるのだ。

 その証拠にほら、食事の用意も一人分のみ。メイラの為にセッティングされる気配はない。

 陛下にはお腹がすいたと言ったが、そんなことはない。あと丸一日ぐらい大丈夫。水さえもらえれば三日、いやもっと耐える自信すらある。

 ええ、ええ、問題ないですとも。陛下はどうかごゆっくりお食事を楽しまれてください。

 メイラは押し寄せてくる現実から目を背け、テキパキとプロの仕事をみせる侍従やメイドたちの動きをぼうっと見ていた。もはや焦点はどこにもあっておらず、死んだ魚の目のようだったと思う。

 しかしそんな現実逃避も長くは続かなかった。

 ものの十分ほどで準備が整い、陛下はメイラを片手で子供を抱くように持ち上げたのだ。

 いくら彼女が小柄だとはいえ、普通に大人の女性並みの重量はある。……いやちょっとだけ盛った。だが、こんな風に軽々と抱きかかえられるほど軽いわけではないはずだ。

 陛下はそんな事などまったく知らぬげに、メイラを片手で抱えたまますたすたと椅子まで歩いた。

 侍従のひとりが椅子の背に両手を置き、満面の笑顔でこちらを見ている。

 正視できずに逸らせた視線の先でも、腕にトーションを掛けた給仕役がにっこりと微笑む。

 有無を言わせぬ有能さを醸し出している侍従たちの視線は、気のせいでもなんでもなく陛下ではなくメイラを凝視していた。

 勘弁してほしい。

 なんとかこの状況を脱したいと助けを求めて視線を彷徨わせたが、誰もかれも引くほどの笑顔でただ見つめ返してくるだけだ。

 頼みの綱のアナベルやユリといえば、少し離れた位置で忙しそうに立ち働いていてこちらを向いてくれない。

 そうこうしているうちに陛下は彼女を抱えたまま椅子に座った。

 恐れていた通り、メイラはその太腿の上に丁寧に置かれた。

 目の前には皿。鶏肉のグリルに温野菜。雑穀パンは籠に盛られ、サラダは小皿に美しく盛り付けられている。

 一人分には明らかに多いが、ごく一般的な皿数で、野菜たっぷりの健康に良さそうなメニューだった。

 この巨大な国を治める皇帝陛下は、きっと常に豪華なフルコースを食しているものだとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 お尻の下に感じるのは、筋肉質の太腿。

 どんなに抗おうとも離れない、頑強そうな二の腕。

 まあたしかに、イメージの中にあるような栄養過多な食事をとり続けていたら、この体形を維持することは難しいだろう。

「今日は昼もろくに食べておらぬ。そなたはどうであった?」

「け、軽食を少し」

「そなたはもっと食べたほうが良い」

 いったい何故、陛下はメイラの膝上にナフキンを置くのだろう。

「厨房長の焼く肉は美味だ。柔らかくて塩加減も丁度良い」

 な、なぜメイラを膝に乗せたままカトラリーを握るのだ。

「……あ、あの」

 口元には、フォークに刺された温野菜。

 背中に感じるのは、がっしりとした体格の男性の体温。太い腕に囲われて逃げ場がない。

 ひくり、と頬が引きつった。

「なんだ、野菜は嫌いか? えぐみもなく甘いが」

 違う、そうではない。

「好き嫌いは良くないぞ」

 断じて違う。

 メイラは周囲からの凝視を浴びて顔から血の気を失せさせながら、長々と逡巡した後唇を開いた。

 すかさずバターの匂いのする野菜が押し付けられるが入らず、改めて大きく開ける。

 陛下は三十人いる妃たちの全員をこんな風に扱っているのだろうか。だとすればお疲れなのも頷ける。閨での相手だけではなく、まるで大切に想われているかのように扱って頂けるのであれば、妃たちが夢見るように陛下を語る意味がわかる。

 ただし、三十人もいるのだから大変なはずだ。目の下の隈もそのせいか。

 気を使わせているのであれば、大変申し訳ない。

「ひ、一人で食べたいのですが……」

「遠慮するな。鶏肉はどうだ」

 陛下の所作は美しい。カトラリーを操る指は武人らしいものなに、動きは滑らかで無駄がない。

 陛下は素早くナイフを操り肉を切る。小口大に切り分けたものを、フォークで攫ってメイラの口元まで運ぶ。それは彼女の一口には大きめなので噛み切り飲み込むまでに多少の時間を要し、その間に陛下もご自身の分を切り分けて食べている。

 むしろ陛下の食事の速度のほうが早いぐらいで、せっせと運ばれてくる食べ物をこなすのに必至で口を動かさなければならなかった。

 武人らしい筋肉の張った太い腕が、メイラの身体をはさんでいる。

 ちょこんとその太腿の上にお尻を置き、恐れ多くも手ずから食事をふるまわれて、居心地が悪いなんてものではなかった。

 緩やかに囲われたその隙間は、座りが悪く身をよじろうとするとギュッと締まる。

 時間がたつにつれ、幼子のように膝に乗っている……というよりも、拘束されているような気がしてきた。

 いったいいつまでこの状態が続くのだろう……遠い目をしてそう思ったところで、目前の皿が下げられデザートのフルーツが運ばれてきた。ブドウだ。

 陛下の食卓に並ぶものはさすがの高級品で、メイラが見たこともないような大きさの傷ひとつない緑ブドウだった。

 一度フィンガーボールで指先を清めてから、陛下はブドウを摘まみ器用にその皮をむき始める。

 まさかと思って硬直していると、案の定唇に汁気の多い芳醇な香りの果実が押し付けられた。

「……っう」

 さすがに遠慮しようとしたところ、わずかに開いた口からねじ込まれた。指ごと。

 まさか玉体を噛むわけにもいかず、もはや味もわからないものを咥内に迎え入れる。

 太い指が、するりと舌の脇を撫でた。

 驚愕のあまりぽかんと口をあけてしまい、危うくブドウを噛みもせず飲み込んでしまうところだった。

 あっさり抜けていった指を目で追っていると、果汁の滴るそれを陛下がペロリと舐めた。

「……美味か?」

 何が? 陛下の指が?

「美味しいです」

 よもや不味いというわけにもいかず、ぼんやりとした声でそう答えてから、指なわけではなくブドウのことだろうと思いいたる。

「はじめて食べました。どこの産でしょうか?」

「亡き母の化粧地で作られたものだ。毎年送ってきてくれる」

「甘いです」

「気にったのならそなたに贈ろう」

 陛下はずっとご機嫌なままで、今のお言葉にも笑みが混じっている。

 メイラは強いて己の中のふわふわとした感情に蓋をした。そうでなければ、わけもわからぬ言葉を叫びながら部屋中を駆け回っていたかもしれない。

 なにしろ、恋人などいたためしがないのでこういう経験は皆無だし、乳飲み子の頃ですら大人の膝の上に乗せられた記憶がないのだ。今の状況が圧倒的な非現実感となって、もはや混乱の極致だった。

「腹はふくれたか? どれ」

 先ほどまで優雅にカトラリーを操っていた手が、問答無用に腹を撫でる。

 女性としての慎みが盛大に警報を鳴らしていたが、咄嗟には反応できなかった。

 陛下は大きな手で円を描くように、ぽっこりと膨らんだ胃の上をさする。

「……ふはは、まるで孕んでいるようだな」

 耳元に落とされた言葉は、いかにも楽し気で朗らかではあったが、爆弾並みの破壊力を秘めていた。

 咄嗟に精一杯息を吸い込んで腹を引っ込める。腹筋に力を入れて背筋を伸ばし、腹に詰め込まれた重いものをできるだけ目立たせないように頑張ってみる。

 それでも足りない気がして息を吸い続け、陛下がずっと笑われたままでいるのに気づき唇を噛んだ。

「……孕んでなどおりません」

「知っている」

「ふ、膨らんでもおりません」

「そう怒るな、妃よ」

 タコのある武骨な掌が、するりと頬を撫でた。

 笑みを含んだ低音が、男慣れしていないメイラの耳に存在感のある余韻を残す。

 ぐらぐらと眩暈がした。

 こ、これは絶対に駄目なやつだ。

 大勢の妃を抱える大国の皇帝は、その施政以上に、女性の扱いも手慣れたものであるらしかった。

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