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「なっ、な、な」

 異母兄はこっけいなほど大きく身をのけ反らせ、ネメシス憲兵師団長閣下とメイラとを交互に見た。

 その、想像もしていなかった、という様子にひそかに安堵する。

 タイミング的には、夜伽の直後の事件だった。ハーデス公爵家が後ろから手をまわしての事であれば、自演だと言われても仕方がない。あまりにも強引に後宮から引き放そうとしていることも気になった。なにか後ろ暗い事をたくらんでいるのであれば、どうしようかと思っていたのだ。

 この驚きぶりから見ても、少なくとも陛下のお手がついた妃を利用しようとする目的ではないとわかる。部屋が荒らされた件はともかくとして、メイラが後宮から出された、というその事のみを聞いて動いたのだろう。ハーデス公爵家の醜聞になると思ったのか、愛娘を妃にするいいチャンスだと思ったのかは知らないか、遠方にいる父の指示を待たなかった。

 それを素早い判断と呼ぶのか、軽率な行為と呼ぶののかは微妙なところだが、実力行使でメイラを連れ出していれば間違いなく罪に問われていただろう。

 もちろん妊娠している可能性などまったくないのだが、一年が過ぎるまでは推定妊婦、孕んでいるという仮定で扱われる。つまり異母兄がしたことは皇帝の息子あるいは娘を拉致した、あるいはその子を偽装しようとしたととられても仕方がないのだ。

「……申し訳ございません!」

 脂汗を浮かべて狼狽している異母兄に代わって、よく似た容貌のその息子ががばりとその場で両膝をついた。

「発言をお許しください。息子のゲオルグと申します」

 ネメシス憲兵師団長閣下が一秒よりも少し長い間メイラの目を見つめた。ああ了承を待っているのかと察して小さく頷くと、ことさらに微笑みを深め場違いにおっとりと優しく口を開く。

「……どうぞ」

 異母兄よりも背が高く、少しだけがっちりとした体格の若者で、二十代前半。メイラから見れば甥というわけだが、年上である。

「妾妃さまと閣下のお慈悲に感謝いたします」

 見守っていると、彼は両手両膝を絨毯について、あろうことか頭まで下げた。

 高位貴族の子弟にしてはありえない姿勢である。ここまでせずとも、両手を額につけるだけでも最上級の謝罪の意を示せるのに。

 それを見てメイラだけではなく周囲の皆が思いっきり引いた。

 大げさすぎる謝罪はかえって不審をもたらすのだと初めて知った。

「続けて」

 しかしネメシス憲兵師団長閣下は楽しそうだった。

「はい。我らは妾妃さまの傷心が身につまされて辛いのです。お身体もあまり丈夫ではございません。家族として心配しての発言だとご容赦ください。過ぎた事を申しました」

「それにしては、娘さんのことを推していましたが」

「姉は昔から陛下に想いを寄せております。この国の子女の多くと同様に。姉のことが頭をよぎり、つい妾妃さまのお心を慮って気休めを申したまででございます」

「慮っているのですか? 血筋云々とおっしゃっていたようですが」

「ここを去るにしても、お勤め途中では気がかりかと思い……申し訳ございません、よもや陛下のお情けを頂いているなどと想像もしておりませんでした」

「……まあいいでしょう」

 閣下の優し気と言ってもいい口調に、ゲオルグはぱっと喜色を浮かべたが、異母兄はかえって脂汗の量を増やしたようだった。

「そのあたりの事情をもう少しお聞かせください。別室で」

「……なっ」

「妾妃さまの居室に長居しても陛下からお叱りを受けそうですしね」

 まあそうなるよね。

 メイラは気づかれない程度に視線を明後日の方向に向けた。

 彼女でも苦しい言い訳だと思うし、押しかけたタイミング的にも十分怪しい。できれば部屋を荒らした一件とは無関係でいてほしいものだが、どうなのだろう。

「妾妃さま、ご家族のことはご心配なく。丁寧に対応させていただきますので」

「……よろしくお願いします」

 メイラに言えることは他にはなかった。

 いくら彼女が無関係であろうとも、異母兄がかかわっているのであれば無罪とは言えない。

 微笑みをたたえた閣下の目に、「穏便にお願いします」と念を送っておいた。

 伝わったのかどうかはわからないが、更に細くなった双眸を直視し続けることができなかったのは仕方がない。

 だってこの人、怖いんだもの。

 閣下は来た時同様、あっという間に去っていった。

 異母兄と甥は白マントの憲兵たちに連行された。呆然とした二人の足元はふらふらで、抗議する気概もなさそうだが、どうかその調子で殊勝に取り調べを受けてほしい。そして、メイラには後ろ暗いところも陰謀に加担するつもりもないのだとしっかり伝えておいてほしい。

 一気に人口密度が下がった室内で、メイラは長く嘆息した。

「ご気分が優れませんか?」

 ユリがエスコートしてくれて、なんとかソファーまで戻る。

 近衛騎士の二人がその場で膝を折り、こちらをうかがうように見ていて、残りは窓やドアや隣室などを確認している。

 三人のメイドと二人の騎士に見つめられて、メイラはもう一度、扇子の陰にため息を零した。

「……いいえ、大丈夫」

「お茶を入れなおしますね」

 シェリーメイが空気を換えようとしてか可愛らしく小首を傾げて微笑んだ。

「そうですわ、指の血は止まりましたか? ユリ、お薬は?」

「ああ、すぐに取ってまいります」

 アナベルとユリも、テキパキと動き出す。

 部屋の確認を終えた騎士たちが、膝をついたふたりに目でそれを告げると、彼らはまるで掛け声を出して呼吸を合わせたようなタイミングで、己の左胸に手を置いて頭を低くした。

「兄君とはいえ、お許しなく通してしまい申し訳ございません」

 右側の栗毛のほうが感じの良い声でそう言った。

「今後はこのようなことがないよう努めます」

「いいえ、手間を掛けました」

 普通に答えてから、言葉を切る。直答はまずかった。後宮の妃であるメイラが、家族以外の男性と会話するのはあまりよろしくない。

 本音を言えば、家族だと思いたくない連中よりも、仕事ができそうな彼らと話していた方がよっぽどいいのだが。

 淑女らしからぬ仕草で視線が泳ぎ、どうしたものかと困惑してしまったが、有難いことに皆が気づかないふりをしてくれた。

 メイラはちらり、と少し距離のある場所で膝をついている騎士たちに目を向けた。

 顔を伏せてはいるが、ふたりともに若く結構な男前だ。明らかに身分のある若い男性に傅かれ、ものすごく落ち着かない。

 気持ちお尻を動かしてソファーに座りなおし、作法通りに退室の許可を出そうとしたところで、またも廊下がざわりと騒めいた。

 近衛騎士とはいえ男性が同室しているという事で、扉が大きく開かれたままだったのですぐにそれがわかった。

 今度は何だと顔をしかめた瞬間、朱金の輝きが結構なスピードで視界に飛び込んできた。

 メイラは唖然として、唐突に表れた感のある男性の巨躯を見上げた。

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