応援コメント

コトワリヲムシバムコトワリヲ(4)」への応援コメント

  • ホムラ……。(笑)
    黄泉返ってきた今の時代に、自分がどのように思われているのかを知るのは、本当になんとも言えない気分なんでしょうね。

    それに、歴戦の武士が子供たちとあんなふうに遊んでやるのは、すごく微笑ましい場面でした。
    (カイナとクルミも、完全に仲良しになっていますね)

    作者からの返信

     実際の真田信繁は普通に子供好きで、子供の扱いにも慣れていて、一緒に遊びまくってるような、明るく爽やかなナイスガイだったらしいです。
     若い頃は城壁や石垣でパルクールしまくって、父の昌幸にブッ飛ばされてた腕白野郎らしいので、自分の呼び名が信繁だろうが幸村だろうが「別に良いんじゃね?」って感じで気にしなさそう。

     まあ、その辺の記録も事実をどれくらい反映してるのかわかったもんじゃありませんがね。本当に、神話や伝承、歴史に伝説ってのは、異説や諸説が入り乱れてて大変です。

    編集済
  • ……信繁名義だと徳川家に発禁処分されたかも知れないし(震え声
    自分で書いてて無理のある見解ですね(T-T)

    作者からの返信

     徳川家康は相当なビビリだったらしいですし、上杉家とかに言い掛かりで喧嘩ふっかけたりしてましたし……。その辺考えると、当時の作家として、幕府に難癖つけられるの怖いから、とかもあったかもしれませんね。
     いつの時代も表現の問題ってのは難しいもんです。

  • 私も真田幸村は幸村で覚えていたので、時を経て本名を知り得た時は少し驚きでした。今でも幸村呼びが抜けません。歴史系の漫画やゲームは子供が歴史に興味を持つきっかけとしては素晴らしいと思いますが、同時にこういう弊害も起こり得ますね。

    作者からの返信

     私は「一番好きな武将は真田幸村」と公言しておきながら、その本名を知ったのは、この作品を書くために資料あさりしてる時でした。まあ、正確にはイクサのプロットや設定を作ったのは、ギリギリ作家の端くれだった頃なので、結構昔です。その時はプロット時点で見事にボツをくらいました……ラノベなのに伝奇バトル物ってだけで、かなりマイナスだったからなあ、時代的に……。

     何にせよ、それまでは「本当は真田十勇士に猿飛佐助はいなかったんだよね」とか言ってたレベルの愚か者が書いている物語ですが、今後も見捨てずにお付き合いしていただければ幸いです。