第6章 愛シキ君ニ恋イ焦ガレ

イトシキキミニコイコガレ(1)


 夕暮れの中にたたずむ髑髏どくろめん

 大橋梁の中央をゆるゆると歩き来しながら、その黒衣の姿は低く問い質してくる。


「記憶が、戻ったそうだな……〝テン〟のイクサよ」


「……ああ、自分が何者であるのかは、もう理解している」


「ならば、改めて問おう。其方そなたは、我らが待ち望みし御主君、源九郎義経殿で有りや? 否や?」


 静かに、抑揚もなく淡々と、それなのに、その問いは血を吐き肉を削るかのように痛ましく聞こえた。


 それは当然であろう。

 あの髑髏面は、待ち焦がれている。もうずっと、長く永い刻の中で待ち焦がれている。


 だが、だからこそ。


「否だ。自分は、源氏の英雄にあらず。二刀をもって天を目指す、一介の剣客に他ならない」


 ハッキリと応じる。

 確信をもって、信念を込めて、自分はオヌシたちが待ち望む者ではないのだと断言する。


 髑髏面は、ゆるい歩行をさらにゆるめて、立ち止まった。


「……そうか、其方も、否と応えるのか……」


 立ち尽くすように、ゆらりと黄昏を見上げた髑髏面。


「あの最後の刻より幾星霜……ヨモツヒラサカを巡り、冥府を巡り、そして、亡者蠢く戦場となった現世を巡り、我が主を探し続けてきた。信じた全てに裏切られ、殉じた全てに裏切られ、無惨に散り果てし主の無念。ならば主は必ずや因果を巡って黄泉返る。そう、信じてきた……」


 だが────。


「我が主は未だ黄泉返らぬ。無念に駆られて現世に現れぬ。なぜだ? なぜ現れぬ? 無念でなかったはずがない! 輪廻に還ったはずがない! あのような終わりに、満たされて逝けたはずがない! なのに……」


 左肩の筒鞄を地に落とし、右手の長柄槍を掲げ持つ。


 髑髏面は、その暗い眼窩がんかの奥で果たして何を見ているのか?

 向かい立つ自分か?

 それとも、未だ再会叶わぬ源氏の猛将か?


「……戦いに活き、戦いで輝き、戦いを求め続けた我が主よ。合戦の申し子にして軍神の化身よ。

 ……猛き戦い……。

 それが貴方が望むもの、貴方の在るべき場所。なれば、我らは貴方が輝ける戦場を用意して、お待ち申し上げるのみ……」


 空を裂き円を描いた長槍、その石突きが路面を打った音に呼応して、落ちていた筒鞄が引き裂け弾け飛ぶ。


 中から飛び出したのは、六本の長柄武器。


 槍……いや、薙刀か、それから大鎚にまさかり、袖がらめに砕棒、そして刺叉さすまた……なるほど、概ねどういうことなのかは察したのだが────。


 わからぬのは、それら計六本の長柄武器が、まるで見えぬかいなに掲げ持たれたかのごとく、髑髏面の周囲に浮遊していることだった。


 髑髏面はもとより握っていた長柄槍を両手で構えて、告げる。


「……いざ、我が主に捧げる戦場の糧となれ〝天〟よ。この闘いが激しく猛るほどに、それは我が主への賛歌となり、呼び声となるのだ!」


 それは妄念と妄執がもたらす狂気の発露。

 愚かしいまでの履き違え。

 源九郎がどれほど無念に駆られているかは知らぬが、彼が求めているのがのは明らかだ。

 彼は軍神であり、戦場の申し子。

 一対一の決闘と、軍勢がぶつかり合う戦場は全くもって違うものだ。なれば、個の闘いに源九郎の魂が震えるものだろうか?


 それとも、そんなことはとっくに承知か? 承知の上で、他にどうしようもなくて藻掻もがいているだけなのか?


 哀れなものだ。


 主の無念を晴らすため、主を守れなかった無念を晴らすため、忠義を貫けなかった無念を晴らすため、現世を彷徨さまよう敗残の死人兵。

 この髑髏面もまた、無念と因果に囚われた哀れなイクサの一柱なのか?


 なれば────。

 こと、ここに至りて是非もなし。


 相手の因果も事情もいかにあれ、我が無念は二刀の顕現けんげん、我が目的は因果の終結。


 相手が強者であること。


 刃を交えるコトワリはそれだけで充分であり、それ以上のいかなる理由も必要ない。


 自分は左右の双剣を構えて、向かい立つ。


「二天一流、宮本みやもと武蔵むさし玄信はるのぶ。いざ、尋常に────」

「黙れ、そのような名乗りに意味はない」


 静かな憤怒が、自分の名乗りをさえぎった。


「我らはそのような名を求めていない。我らが求むるはただひとり、ただひとりの名に他ならぬ。ゆえに……」


〝我らは、それを名乗らぬ全てを薙ぎ払う!〟


 髑髏面の痩身を蒼い鬼火が包み込む。

 鬼火は宙に浮く六本の長柄に伝播でんぱして、なお激しく燃え上がった。


 暗色の影が路面を蹴り、こちらを目掛けて疾走する。

 宙を舞う六本と髑髏面が構えた一本……計七本の長柄武器が、空を裂き蒼炎の残滓を描いて、一斉に襲い掛かってきた。


 自分は眼を見開き、視線を定めず、舞い迫る全ての長柄の軌道を意に捉える。

 最初に迫る金砕棒を躱し、左右から波状に薙ぎ払う刺叉と袖がらめを飛び越え、頭上から降る鉞をギリギリでやり過ごしたところで────。

 斜めに斬り上げてきた薙刀を大刀で受け止めた……否、受け止めるしかなかった。


 当然、片手持ちで長柄のひと薙ぎを止められるわけもなく、斜めに傾けた刀身で流そうとするが、その一瞬の滞りに、髑髏面の突き出した槍の穂先が迫りくる。


 小刀の引き金を絞り、ガス圧に加速された一刀が槍の刺突を真横に薙ぎ逸らす。同時に大刀の引き金を絞って、薙刀を斜め上に押し流した。


 左右に広げた双剣。

 ガラ空きになった我が総身。

 宙をひるがえった複数の長柄が瞬時に牙を剥く。


せよ……」


 髑髏の宣告はどこまでも静かに────。


 直後に、無数の衝撃が自分の全身を容赦なく間断なく打ち据えた。


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