第3話 無自覚ロマンチストの抱擁

息もつかせず走り抜ける。


ヒロの畑から、丘を越えた向こう側に広がる、ユーキの家の畑。

傾き始めた月に照らされ、ぼんやりとした輪郭を見せる薄汚れた軽トラ。

青い葉を一杯に広げる畑の中でうごめく、二つの影。


許せない、許せない!


ユーキは畑と軽トラの間に走りこみ、大声を上げる。

これでもう泥棒は逃げられない。


「こらあ! うちの畑で、何やってんだよ!」


畑の中の影が二つ、体を起こしてユーキを見る。

闇に浮かび上がる、白いマスク。


慌てるわけでもなく、二つの影はゆっくりと近寄ってくる。

腰から外し、ガキンと伸ばしたのは、護身用の警棒か。


ユーキははっとする。


女のユーキでは、泥棒を抑え込む力がない。

そして泥棒は、逃走に必要な軽トラを奪回するため、ユーキへの暴力をためらわないだろう。


「あっ…」


ユーキの退路をふさぐように、泥棒が近寄ってくる。

白いマスク。

鈍く輝く警棒。



***



最短で来た。そして見た。


見慣れない軽トラ。

それを背にして立つ小柄な人影、あれはユーキ。それに近寄る二つの人影。白いマスク。手には何か棒のような物を持って。


クラクションを鳴らしながらヒロの軽トラは突進する。ああ、あの汚ねー軽トラの正面に回り込めばよかった、そうすれば退路を断てたのに。ちらっと思う。しかしもう事態は進んでしまった。


マスクの人影が一人、畑に下りてゆく。その足取りには余裕が見られる。そしてもう一人は。


ヒロはブレーキをかけ、薄汚れた軽トラから10mほど距離を置いて止まる。ライトに照らされて、襟首を掴まれたユーキが見える。軽トラから降りるヒロの姿を見て、身をよじる。


「ヒロお!」


しかし目の前に警棒を突き出されて、動きを止める。


ユーキを捕まえているマスクは、黒いタンクトップにカーゴパンツ姿。何かで鍛えているのだろうか、その体は強靭に見える。何も言わず、ユーキごと体をこちらに向け、ユーキの姿がヒロによく見えるようにする。思わず駆け寄ろうとすると、警棒をユーキの顔に近づける。ヒロは足を止めた。


「彼女を放してくれ!」


ユーキがまた身をよじって、タンクトップはユーキの襟元を一層ねじり上げる。ヒロの目に、マスクの腕の筋肉が盛り上がるのが見える。タンクトップはヒロの訴えには無反応で、ただ時間を稼いでいるように見える。


畑ではガサガサと梱包財の音を立てながら、もう一人のマスクがスイカをプラスチックの出荷用のカゴに入れている。もう選別は済んだようで、その作業に無駄はない。やはり黒づくめのそいつは、首をぐるりと回して後ろで結んだ長髪を一振りすると、二つに重ねたかごを持ち上げた。それから身動きの取れないヒロの前を悠々と歩いて、薄汚れた軽トラの荷台にかごを降ろし、ゴム製のバンドで固定した。それから畑に戻り、同じ作業をもう一度繰り返した。


都合4つのカゴが荷台に積まれた。ヒロもユーキも、眺めていることしかできなかった。ただ金目当てで、農家の努力の結晶をさらってゆく行為。それは不条理で、あまりにも人間性を欠いていた。


長髪の男は運転席に回り、薄汚れた軽トラのエンジンをかけた。不完全燃焼のガスを吐き出し、軽トラはぶるぶると振動した。そしてタンクトップは、ユーキを捉えたまま助手席のドアを開けると、後すさりしながら、ユーキごと中に乗り込もうとした。


「やめろ!そいつを離してくれ!」


思わずヒロは駆け寄ろうとするが、いつの間にかヒロのそばに回りこんでいた長髪が、後ろからヒロの肩をつかむと、無言でヒロの腹に膝を蹴りこんだ。うめき声を上げて、ヒロはしゃがみこんでしまう。


「ヒロ!」


ユーキの悲鳴が聞こえる。目の前に、長髪の男の黒いブーツが見える。ヒロが動けなくなったことを確かめると、ブーツはきびすを返し、運転席の方に歩きかける。ヒロは必死に声を絞り出す。


たのむ、そいつはおれのたいせつなひとなんだ、

すいかならすきなだけもっていってくれ、

だけどたのむから、

そいつだけは、

たのむ、


ブーツにしがみつこうとして、その手は乱暴に蹴り払われた。


「たのむ!」


ヒロはなんとか立ち上がろうとして、


その瞬間、助手席の方で男の悲鳴が上がった。


ヒロと長髪の男が振り向くと、そこには、



月光を反射する、白銀のたてがみ。



荒ぶる巨大な獣は、ためらいも無くタンクトップの男の腰にその牙を突きたてる。

男は悲鳴を上げ、ユーキを離すと畑のほうによろめき降りる。


それから警棒を構えようとするが、鋭い突進は、男の反撃を許さない。

再び腿に一撃を食らい、男はその場に倒れこんだ。その腕を、強靭な顎がくわえ込み、再び悲鳴が上がった。


必死で駆け寄ってくる大切なものを、ヒロは両手でしっかり抱きとめる。それから乗ってきた軽トラの影まで走り、二人はようやく獣の暴れぶりを目の当たりにする。


「バルサン…」


タンクトップは噛まれた腕を押さえながら、その場を離れようと必死に走る。そして不意にその姿が闇に消え、同時に、建物の中から叫ぶようなくぐもった悲鳴が上がった。男は水の減った用水路に落ちたようだ。叫び声は続き、落ちた男が足を痛めたらしいことが分かった。


タンクトップを追い落としたバルサンは、その巨体をこちらに向けると、今度は長髪の男を狙い、突進してきた。


呆然と相棒の襲撃を眺めていた長髪の男は、新たに標的にされたことを悟ると、慌てて軽トラに乗り込んだ。そのドアに白銀の巨体がぶつかり、ぐらり、と軽トラが揺れた。


長髪は悲鳴を上げて軽トラを急発進させた。バルサンは運転席側を並走し、猛り声をあげた。


迫力に気をとられた長髪は、迫る農道のカーブへの対応が一瞬遅れた。


軽トラは大きくふくらんで農道を飛び出し、斜面で横転した。それから、まるで測ったかのように、タイヤを下にしてぴったりと用水路にはまり込んだ。運転席の長髪は脳震盪を起こしたのか、助手席の方に倒れこんだまま動かない。


すいか泥棒たちが戦意を喪失したのを確かめてから、バルサンはしっかり体を寄せ合っているヒロとユーキの方を見た。それから、ぶるる、と一度鼻を鳴らすと、仲間の待つ里山の方に向かい、闇に消えた。


***


ヒロが通報して、3台のパトカーが高原の麓からサイレンを鳴らして駆けつけてきた。そこに2台の救急車も加わり、未明の高原はにわかに騒々しくなった。


二人の容疑者は真木中央病院に輸送され、それぞれ、両足首および右骨盤の骨折、および脳震盪と頚椎捻挫と診断された。移管された真木署で二人は余罪を自供し、真木町とその周辺で昨年から続く農作物連続窃盗事件の首謀者であることが分かった。警察はなおも協力者と盗難物の流通ルートを探っている。


用水路からレッカーで引き上げられた軽トラは、一昨年前に隣県で盗難されたものであると判明した。左のフロントバンパーに新しい傷が発見され、そこに付着していた数本の獣毛から、鑑識はこの軽トラがつい最近猪と接触したと結論付けた。それを聞いたヒロとユーキは、バルサンが必死にかばった小柄な猪を思い出した。「バルサンは、仲間の敵をとったんだね」ユーキはちょっと涙ぐんで、ヒロはバルサンの闇に輝く瞳を思い出した。


すいか泥棒が荷台に積んだ4箱のすいかは、傷もついておらず、そのまま出荷ができる状態だった。無道な泥棒もすいかの扱いだけは丁寧だったようで、真木町のすいか農家は変な風に感心した。ユーキの父は出荷に難色を示したが、周りの強いすすめもあって、そっくりそのまま市場の競りに出したところ、『どろぼうすいか』と話題を呼び、その夏の最高値を更新した。買い取った地元の氷菓会社の社長は、「不条理や暴力に負けず、がんばってください」とコメントを出した。


***


「おっかしいよね、前は見向きもしなかったのにね」


「まあな」


助手席でユーキが、エアガンをいじりながらはしゃいでいる。明かりを消した、いつもの軽トラ。いつもの木の下の、夜の見回り。


「やっぱり猪って、バナナ好きなんだよ、絶対そうだと思ってた」遠くの茂みを狙って、ばーん、と撃つフリをする。


バルサン一家は真木町を離れたようだ。この付近での襲撃がぱたりと止んだからだ。


しかし、ユーキがすいか泥棒退治のお礼にと、里山の端に山と積んだバナナやすいかは、翌朝きれいになくなっていた。だから、気持ちが届いたとユーキはご機嫌なのだ。


「ヒロ、何でバルサンたちが私たちの畑ばかり狙うのか、理由を考えたことある?」


「いや、ないな」


「きっと、私たちのすいかのファンなんだよ、きっとね」


「そうか」


この間の夜から、なんだかユーキの仕草が眩しくて、上手く喋れないヒロなのだった。


それがなんだか口惜しくて、ヒロは無理に話そうとする。


「しかし、これに懲りて、来年はもう来ないんじゃないか」


するとユーキは、妙に確信をもった顔で、ヒロに言うのだ。


「来るよ、来年も必ず」


だって、来年の私たちのスイカは、間違いなくもっと美味しくなってるからね。

我慢できるわけ、ないじゃない。


「だけど今度は手加減なし。バルサンには一つもやらない」


その凛凛しい表情に、ついヒロは見とれてしまう。


するとユーキは、くるりとヒロの方を向いて、「ところでヒロ、お見合いするんだって?」と言った。


「詳しい話を聞こうか」


言い逃れを許さない迫力。ぐっと詰まったヒロは、観念した。


・・・


俺はすいか作りが好きで、

自分に合っていると思っているから、

もうずっとこれでやっていこうと思っていて、


だけど、すいかにはすいかの苦労があって、

やっぱりよく分かっている人じゃないと、

一緒になってもやっていけないと思って、


農高に行って、それから実際に

こうして働き始めて、

それがよく分かったから、


だから、それをよく分かっている女性ひとがいるなら、

それが家族のためにも、俺のためにもいいんじゃないかと、


・・・


「すいかの苦労、よく分かってるやつなら、ここに居るじゃん」


頬を美しく染めたユーキ。

その目は、ヒロが初めて見る真剣さで、


ヒロはこらえていた思いが溢れそうになり、

必死に押さえようとする。


・・・


ばか、すいかは水物で不安定だし、

いつまでも終わりがない、

えんえん続くつらい仕事なんだ、


こんな苦労ばかりの仕事じゃなくて、


お前にはもっと立派でちゃんとした相手と、


幸せになってほしいと、


俺はずっと思っていて、


・・・


「ヒロ、胸張って」


ユーキの声は、これまで聞いた事のないくらい、真剣だった。


すいかは、みんなを喜ばせる、素敵で立派な仕事じゃん。


それからユーキは、モデルガンをそっと足元に置き、思いつめた目を、ヒロに向ける。


「私が、もう決めた、って言ったら?」



***



色々と騒がしかった今夏の収穫も何とか無事に終わり、ユーキは寮に戻ることになった。


請われてヒロが、駅まで送ってゆくことになった。


駅までの道を、軽トラはゆっくり下ってゆく。


向こうの丘の上、すいか畑の真ん中に立つ大きなヒバの木を、ヒロはぼんやり眺める。


「何考えているか、当てようか」


助手席で、お土産で一杯になったバッグを胸に抱えたユーキが言う。


「こないだのキスのこと、でしょ」


ヒロの動揺がハンドルに移って、軽トラが少し揺れる。


ユーキは顔を赤くして、大きなバッグをぎゅうっとだきしめながら、ちらっとヒロを見る。


きまり悪さにそっぽを向いたヒロは、

不思議な気持ちになる。


俺が軽トラを運転して、

助手席にユーキが座る。


つまらないことを話して、

けらけら笑う。怒った振りをする。

いつもの夏と、これまでの夏と、

何も変わってない。


なのに、これが続いていくこと、

続けてもいいと言ってもらえたこと、

それが分かっただけで、

なんて満ち足りた気持ちになるんだろう。


***


一時間に数えるほどしか来ない電車が、夏の太陽に焼かれて熱くなったホームに入ってくると、ユーキはヒロからバッグを受け取った。


「不安?」


「ああ、不安だった、ずっと」


「ずっと?」


「うん、もうずっと」


ヒロは話す。


俺はここしか知らない。

ここで育った。

そして、これからもここで過ごしてゆく。

それでいいと思っている。

自分らしいと思うから。


でも不安だった。


俺のこの気持ちは、

誰にも共感されない、

孤独な軌跡なのではないか。


俺がたどろうと思っている道。

そこに俺が歩いていること。

誰もそれを知らない。

これからも知ることはない。


自分の選んだ仕事だから、

迷いはない。


ただ、時折、

心が空ろになった。

そして乾いた。


しかし、いつのころからか、

ユーキはヒロの潤いになっていて、

ヒロの空洞を満たしてくれていた。


自分のそばにいるその存在を、

その幸運を、

ヒロは今でも信じられずにいる。


ただ、自分にエネルギーをくれる

この太陽のような女の子を、

自分のたどる孤独の軌跡に

引き入れてしまってもいいのか、

それを望んでもいいのか、

自分にそんな資格があるのか、

そんな呵責が、常にヒロの中にあった。

ユーキの可能性を狭めたくない、

そう思った。


だから、想いを出さないようにしてきた。


その一方で、不安はヒロの中で育った。


夏の一夜を密かに心待ちにしながら、

次はもうないんじゃないかと思った。


ユーキが、新しい世界を見つけて、

新しい人と出会い、

背中を向けて去ってゆく。


受け入れなければ、と思い、

受け入れられるだろうか、と思った。


高3の夏。最後の夏休み。

ユーキはどう過ごし、

どんな答えを出すのだろうか。

そして俺は、どうするのだろうか。


そんなことをずっと考えて、

しかし分かることは何もなく、

ただ不安だった。


・・・


だから今は、とても不思議な気持ちで、

なんだかふわふわしている。


そんなことを話すと、ユーキはあきれた。


「ヒロは思った以上にロマンチストみたい」


「な、何を、」


私が何で、農業経営学を専攻したのか、

考えたことないの。


なんで農業高校に通おうと決めたのか、

考えたことないの。


なんでバルサンを捕まえようと思ったのか、

考えたことないの。


ユーキの答えを聞くのがなんだか恐くて、

そのくせヒロは期待と喜びで、

破裂しそうになる。


「そんなの、ここでヒロとすいか作っていこうって、とっくに決めてたからじゃない」


ヒロ、農業ビジネス苦手だって言ってたから、好きでもないのに選択したのに。


ぶう、とユーキはふくれて、


しかしもう電車が出発しそうになったから、


無自覚ロマンチストのヒロは急いでユーキを力いっぱい抱きしめて、


自称リアリストのユーキは突然のできごとに顔を真っ赤にして、


しかし次の瞬間、震える両手をヒロの背中に回すと、自分の胸にしっかり抱き寄せたのだった。


(おわり)

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すいか。 wazzwallasis @wasswallasis

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