09:賑やかな日々は続いていく

 期末テストから六日後、全てのテストの結果が出た。

 今日は午前中、半日授業で終わり、風の吹く屋上からは下校中の生徒たちの様子が見える。


「三谷……」

「夏生くん……」

 じりじりと太陽が照り付ける夏の屋上に、私たち以外の生徒はいない。

 私は屋上の中央に夏生くんと向かい合って立ち、目を潤ませていた。


「おめでとう。本当におめでとう……」

 心から拍手を送る。

 私の祈りは天に通じ、夏生くんは全教科とも赤点を免れた。


 一番心配だった化学の赤点のボーダーは40点。

 たった2点、されど2点。その2点が生死を分けた。


「ありがとう。本当にありがとう……三谷のおかげだ」

 夏生くんもこみ上げるものがあるらしく、目頭を拭っている。


「ううん、夏生くんが頑張ったからだよ。良かったねえ……」

 テスト勉強に明け暮れた日々の思い出が、走馬灯のように脳裏に浮かぶ。

 私が順位を落とせば夏生くんはもちろん、彼方くんたちだって気に病むに決まっているため、私は夏生くんを指導する傍ら、自分自身の勉強だってめちゃくちゃ頑張った。


 学年総合6位と前回より順位は少し落ちてしまったけれど、十位以内なのだから十分だ。両親もきっと褒めてくれることだろう。


「彼方くんたちには報告した?」

「うん。さっきラインしたら健吾は『おめでとう』って言ってくれたけど、彼方には『赤点回避って普通のことなんですけど?』ってスタンプで煽られたわ」

 彼方くん、普通科のテスト内容見たとき、鼻で笑ってたもんな……。

 特進科に通う彼方くんにとって、普通科のテスト内容は全問正解で当然、赤点なんてありえないのだろう。


 でも、夏生くんだって頑張ったのに。

「素直に褒めてあげたらいいのに……」

 愚痴ると、夏生くんは苦笑した。


「その後で『ご褒美にケーキ買ってあげる』って言ってたから、彼方も一応は喜んでくれたみたい。三谷にもしっかりお礼を言っておけって。本当に三谷には何から何まで世話になって、感謝してる」

「ううん、どういたしまして」

 微笑むと、夏生くんは何故か私をじっと見つめた。


「どうしたの?」

「……いや、えーと」

 夏生くんは頬を掻き、気まずそうに目を逸らした。


「何? 言って」

「……抱きしめてもいいかなー、なんて思ったんだけど。彼女って、触れられるのは嫌なものなんだよな」

「えっ!? 嬉しいよ!? 彼女だからこそ喜んで当然でしょ!? なんで嫌がるの!?」


「いや、いままでの彼女って、おれが触ろうとすると『お前なに許可なく触ろうとしてんだキショいんだよ訴えるぞ』って言わんばかりの、いやーな顔してたからさ……」

 項垂れた夏生くんの周囲を人魂が飛んでいる。


「それはそもそも彼女じゃない! 間違ってるから!!」

 歴代の彼女の三人全員が兄狙いだったという夏生くんの過去を思うと泣ける。

 もしかしてこれまで夏生くんが私に触ろうとしなかったのは、彼女たちがかけた呪いのせい!?――いや、きっとそうだ!


「私に遠慮はいらないよ! 夏生くんに抱きしめてもらえたら嬉しいよ! 是非、どうぞ!」

 両手を広げて待ち構えると、夏生くんは距離を詰めて。

 ほんのちょっとためらった顔をした後、思い切ったように抱きしめてきた。


 ふわわわわわわわ!!


 私の背中に回った腕が、肌に密着する夏生くんの体温が、抱きしめる腕の力強さが――全てが私の体温を急上昇させ、激しく鼓動を刻ませる。


 照れるのに幸せで、胸がぎゅーっと痛くなり、私も夏生くんの身体を抱きしめ返した。


 な、なんか、彼女っぽい!

 いや、これは間違いなく彼女だな!?


 いままで手とか繋いだことがなかったし、果たして私たちの関係性は彼氏彼女という甘酸っぱいものなのだろうかと、お風呂で一人、沈思黙考することもあったけれど、いまこそ確信した。


 私たち、彼氏彼女だった。

 私の想いはちゃんと通じてたんだ。


「……幸せだなあ」

 呟くと、夏生くんが「おれも」と小声で返してきた。

 微笑んで目を閉じていると、しばらくして夏生くんが身体を離した。


「これから沙彩って、名前で呼んでいい?」

「え」

「いや、なんか三谷って呼ぶのも他人行儀だなって。おれは下の名前で呼ばれてるのに。彼女なんだから、……ダメ?」

 あああああ上目遣いは反則です心臓が壊れますっ!!


「いやいやいや! 全然!! どうぞ!! 遠慮なく沙彩って呼んじゃってください!!」

 顔と首を同時に力いっぱい振りながら言うと、夏生くんが笑った。

「そ。じゃあ沙彩な。彼方たちには呼ばせないから。彼氏の特権」

「! う、うんっ」

 さっきから頬がやたらと熱いのは、直射日光のせいだけではない。


「おれのことも夏生でいいよ。呼び捨てで」

「えっ……な、夏生……。くん」

「くんは要らないんだって」

「……夏生」

「そうそう」

 ご褒美のように笑顔で頭を撫でられ、頭から煙が出そうになった。


 なんなのどうしたのボーナスタイム突入なの!?

 赤点回避で夏生くん、もとい、夏生も舞い上がっているのかもしれないけれど、叶うことならずっとそのまま舞い上がっていてほしい。


「ほ、補習もなくなったことだしっ、夏休みはいっぱい遊ぼうね!」

 私は照れを必死で隠し、裏返った声で言った。


 海やプールで水遊びをするのも良し、山に涼みに行くのも良し。

 ショッピングや映画も良いし、ボーリングやカラオケも楽しそう。


 私の頭の中は『夏生と過ごす楽しい夏休み計画』でいっぱいだというのに。

「あ、ごめん」

 実にあっさりとした口調で、夏生は謝罪を口にした。


「おれ、夏休みは彼方たちと一緒に九州に行くことにしたんだ。親が働いているホテルでバイトするつもり」

「へ」

 楽しい計画が一瞬で水泡に帰し、私の目は点となった。


「赤点回避できたことで自信がついたんだ。おれもやればできるんだって。待ってて沙彩、おれ、今度こそちゃんと働いて稼いでみせるから!」

 夏生は輝くような笑顔で両手を握った。


「……あ……あー……うん、自信がついたのは良かったけど……いつ帰ってくる予定?」

「始業式前日」

「前日っ!?」

 それじゃ、夏休みに遊ぶ時間は全くないよね!?


「うん、ギリギリまで働こうと思ってる。これまで彼方たちに生活費全部出してもらってたからなー、おれも頑張らないと……。……沙彩?」

 俯き、黙り込んでいると、異変に気付いて夏生が首を傾げた。


 せっかく夏休みなのに、一緒に遊べると思ったのに――そんな不満を押し殺して。


「わかった。頑張ってね。応援してる」

 私は顔を上げて、精いっぱいの笑顔を作った。


 彼氏がそうしたいというのなら応援するのが彼女の役目だ。

 夏生の家は経済的にも苦しいわけだし、わがままを言って困らせるわけにはいかない。


「あ、ちゃんと毎日ラインするし! 写真とか送るし! 浮気とかするなよ!?」

 私の複雑な心境を察したらしく、夏生は慌てたように言った。


「もちろんだよ。ちゃんと待ってる。応援してるから。身体を壊さない程度に、頑張ってね」

 顔を近づけ、頬にキスすると。

 夏生の顔が面白いくらいに真っ赤になった。


「さ、帰ろう。彼方くんたちがケーキと一緒に待ってくれてるよ?」

 夏生の手を取り、指を絡めて歩き出す。

 アパートに帰り、服を着替えてから夏生の家に行くと、待ち構えたようにクラッカーが鳴った。


 彼方くんも健吾くんも私にお礼を言ってくれて、学年六位という快挙を褒めてくれた。

 特進科で一位の人にお祝いされるのはちょっぴり複雑だったけれど、ありがたく皆でケーキを食べた。


 やがて夏休みに入ると、夏生は彼方くんたちと九州へ旅立った。


 離れている間、彼は本当に毎日、ラインを送ってくれた。電話ももちろんした。

 夏生と行きたかった花火大会は舞と一緒に行った。


 それから二週間後。午後六時過ぎ。

 ピンポン、とインターフォンが鳴った。


「はーい」

 こんな時間に誰だろうか。

 宅配の予定はないはずなんだけどな?

 ベッドに寝転ってテレビを見ていた私は立ち上がり、サンダルに足を突っ込んで玄関の扉を開け――そのまま動きを止めた。


「なんで……」

 問いかけた声が震える。


 二学期が始まるまであと三日。

 それなのに、夏生が目の前にいる。


 少しだけ日焼けして、以前より逞しくなったように見える彼は大きなスポーツバッグを肩に下げ、お土産らしき紙袋を左手に持っていた。


「彼方たちがさ。もういいから先に帰れって。せっかく初めての夏休みなんだから、思い出の一つや二つは作っておけ。あんなにいい子はそうそういない、ガッチリつかんでおかないと後悔するぞ、って言われたよ。その意見にはおれも賛成だけど。お邪魔してもいい?」

「うん、どうぞ。ちょっと散らかってるけど」


 急いで中に招き、扉を閉めると、

「ただいま」

 夏生は荷物をまとめて玄関に置き、笑って両手を広げた。


「お帰り!」

 私は迷うことなくその腕の中に飛び込んだ。


「彼方くんたちは予定通り、始業式の前日に帰ってくるの?」

「うん。それまでは二人きりだな」

 二人きり。甘いフレーズにドキリとする。


「何したい? 何でも付き合うよ。お金もあるし」

 バイトがうまくいったらしく、夏生はドヤ顔だ。つい笑ってしまった。


「まずは映画に行かない?」

「ああ、見たいやつがあるんだっけ」

 見たい映画があるとラインで報告していた。


「プールも行きたいな。あと花火もしたい。ショッピングモールにも行きたいし、新しくできた駅前のカフェにも行きたいし、それから――」

 やりたいことはたくさんある。


 そして夏生と二人きりの夏が終わったら、彼方くんたちが帰ってきて、いつも通りの賑やかな日々が始まるのだ。



《END.》

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東條兄弟と私の賑やかな日々 ゆずりは @yuzuriha

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