06:王子様というよりも

 藤凪学園では七月の初めに期末テストが行われる。

 さすがにテスト一週間前となると、普段は緩い学園の雰囲気もピリピリし始め、1年E組の教室内でもそこかしこで「勉強してる?」「ううん、昨日は夜更かししてテレビ見ちゃってー」などという白々しいやり取りが行われたりする。


 進学校において、自らの成績の順位を気にしない生徒は稀だ。


「田島さんは勉強してるの?」

 五時間目の体育の授業を終えた女子更衣室で、私は問われたことをそのまま聞き返した。


「ううん、私も全然。ダメだね、教科書開くと眠くなっちゃってー」

 田島さんは私に負けないくらいの素敵な笑顔でそう返してきた。


 見えない火花が散る。


 無論、両者共に繰り出した「私全然勉強してません☆」アピールは大嘘である。

 テスト前は友達であろうと、普段あまり口を利かないクラスメイトの田島さんであろうと、全員がライバルだ。


 敵はこちらをを蹴落とすことしか考えていない。

 隙あらば足を引っ張り、「今年は××が出るみたい!」などという嘘か本当かわからない情報戦を仕掛け、少しでも自らの成績の順位を上げようとする。

 そう、既に戦いは始まっているのだ。


「そっかー、期末テストは中間よりさらに範囲が広くなって大変だよねー。お互い頑張ろうねー」

「うん、ありがとー頑張ろうねー」

 朗らかに笑い合い、私は体操服が入った鞄片手に女子更衣室を出た。


「……テスト前の不毛なやり取りって、どうやったらなくなるんだろうなあ」

 ついつい、口からため息が零れた。

 教室に向かって歩きながら、ふと、特進科のあるC棟を見て、彼方くんのことを思う。


 特進科は授業進度が速く、高二で全ての高校内容を学習し終えると聞いた。

 秀才ばかりが集まる特進科で、もし彼が今回も首位を狙っているなら、そのプレッシャーは大変なものだろう。


 しかも彼はバイトをしていて、勉強に割ける時間は限られている。


 いつも皆の憧れの『王子様』として笑顔を振りまき、涼しげな顔をしている彼方くんだけど、水面下ではその学力を維持するために並々ならぬ努力をしていて、ご飯を食べるかお風呂の時間以外は机に向かっているそうだ。


 極端に朝に弱いのは、生来の低血圧に加えて勉学のために睡眠時間を削っているせい。


「…………何か、私にできることないかな」

 夜遅くまで起きているという彼のために、夜食にうどんでも作ったら喜ばれるだろうか。


 夜食べると太るから要らないって言われるかな。

 彼方くん、ストイックだもんね。


 教室に戻ると、夏生くんが席に座っていた。


「夏生くん」

 呼びかけに応じて、彼はスマホをいじっていた手を止め、こちらを向いた。


 今日は水曜日。

 先週のように、二人きりで彼と料理ができるボーナスデイ!


 今日の夕食のメニューは決まっている。

 前回夏生くんに好評だったハンバーグ。

 三つ子全員が好きみたいだから、たくさん焼いて冷凍しておこう。


「ネットのチラシ見たら今日は合挽きミンチが安いみたいだから、豆腐でかさ増ししたハンバーグを作ろうと思うんだけど、放課後買い出しに付き合ってもらえる?」

「もちろん。ハンバーグなんだ、やった」

 夏生くんが嬉しそうに笑い、胸がきゅーっとなった。


 日々の努力の甲斐あって、私は夏生くんの胃袋を鷲掴みにしているようだ。

 このまま順調にいけば卒業と同時に「もう三谷の手料理以外は考えられない……結婚してくれ!」とか言われちゃったりしてー。


 都合の良い妄想を繰り広げていた私は、はたと気づいて笑みを消した。


 ……でもそれって、私っていうより私の料理に惚れこんでることになるんだけどいいのか?


 考えてみれば、私、これまで一度も夏生くんに好きだって言ってもらったことなくない?


 料理を作ったり、食後にコーヒーを出したりすると「ありがとう」とは言ってくれるけど、これって恋人っていうより家政婦っぽくない?


 なんか全然甘い空気になったり、恋人らしく手を繋いだりとかしたことないんだけど、本当に夏生くんって私のこと好きなんだよね……?


 不安になって、夏生くんを見つめると。


「三谷の作るハンバーグってうまいから大好き」

 私の視線を『本当に私の作るハンバーグを喜んでいるのか』という疑惑として受け止めたらしく、夏生くんは笑顔で補足した。


「えへへー」

 まあ幸せだからいっかー! と、私は一瞬でネガティブ思考を忘れ、頭を掻いた。

 我ながら単純な奴です、はい。


「本当は牛肉100%のハンバーグを作りたいんだけどねえ」

「そんなの贅沢だからいいよ。質より量だ。安いのが一番」

 夏生くんはきっぱり言った。


「…………」

「どうした?」

「ううん、なんでも……私、きっと美味しいハンバーグを作ってみせるね……」

 そっと目頭を拭う。

 高級レストランにもよく行っていた元お金持ちの息子の台詞だと思うと、ちょっと泣けました。





 学校が終わって、夏生くんと一緒に食材の買い出しに行き、いったんアパートの玄関前で別れる。


『来ていいよ』

 夏生くんからラインが入ったため、とうに着替え終えていた私はいそいそと外に出て夏生くんの家のチャイムを押した。


 今日は調子に乗って味見という名目で夏生くんに「あーん」とかやってみたりしちゃうかな!?

 私だって、ちょっとは恋人っぽいことしてみたい!


 密かに拳を握っていると、玄関の扉が開き、彼方くんが出てきた。


 ……………………あれ?


 ぽかんとしてしまう。

 すると、彼方くんが小さく噴き出し、顔を背けて口元を押さえた。


「……なんで彼方くんがいるの? 今日はバイトのはずじゃ」

「学生の本分は勉強だからね。テスト一週間前からバイトは休むことにしてるんだ。ねー健吾?」

 彼方くんが振り返れば、空きっぱなしの扉の向こう、リビングには健吾くんが座っていて、ぺこりと頭を下げてきた。

 反射的に頭を下げ返してから、また彼方くんを見る。


「……なんで先にそう言ってくれなかったの? 夏生くんからも、何も聞いてないんだけど」

「口留めしてたから。その顔が見たくて」

 にこっ。


 多くの女子生徒を虜にする極上の笑みを見せつけられて、私は頬を引き攣らせた。

 つまりこの人、驚いた私の間抜け面を見るために夏生くんに口留めまでしていたというわけだ。


「いつも三谷さんにはお世話になってるし、今日は僕が料理を作るから休んでていいよ。どうする? 食事ができるまで家に帰る? こっちで夏生と話しててもいいよ。健吾もいるから夏生とイチャつくのは止めてね」

「イチャついたりしませんっ!!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る。

 兄弟の前でイチャつくって、どんなに肝が太い女子でも無理でしょ!?


「なんか誤解してるみたいだけど、私たち、手を繋いだことすらない清い仲だから! ご心配なく!」

「……それって、恋人って言えるの?」

「ぐ」

 憐れむような目が胸に突き刺さり、私は唇を結んだ。


 やっぱり手を繋いだことがないっていうのは問題なのかな?

 恋人って、付き合い始めたその日に手を繋ぐものなの?

 でも夏生くんに「手を繋がない?」って誘って「嫌」って返されたらショックだし……。


 悶々と悩んでいると、

「うん。なんか可哀想だからとりあえず上がって、休んでて」

 同情で上がることを許された。


「……お邪魔します」

 玄関で靴を脱ぎ、彼の後を追ったものの、なんだか悔しい。

 このままでは終われない、せめて一太刀浴びせてやりたい。


「……彼方くんって、全然王子様じゃないよね? 外面と顔が飛びぬけて良いだけのドSだよね?」

「結構言うねー三谷さんも。それなりの覚悟はあると判断して良いのかな?」

 彼方くんが振り返る。

 微笑んでいるけれど、――目が怖い。本気だ!


「! すみません冗談ですっ」

 青ざめ、即座に白旗を上げると、彼方くんはもう一度微笑んだ。

 よろしい。暗にそう言われた。


 反逆の意思を挫かれ、黙って彼に付き従う。


 ……この人には王子様という輝かしい異名より、魔王様のほうが遥かに相応しいと思う。

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