人と邪神の絶対存在(アティエル)1 【タイトル思案推敲中】

真木 紫鶴

 螺旋階段の塔を駆け上がる。

 何故?

 手短に言うと安全だと思ったから。もっと言えば逃げ切れると思えたからだ。

 何から逃げるというのだ?

 これには簡潔には語れない。と言うかこちらが聞きたいくらいだ。この桂月悠けいげつはるか、生まれてこのかた法を犯したことなど一度もない。多分。

 それどころか今日も清く正しい学生生活を行い、友達と別れ一人帰路についていた所なのに、ヤツと出会ってしまった。

「なんっ、なにものっ、なんだっ?あいつっ、はっ!?」

 恐怖にも怒りにも似た吐露が人気のない古塔に木霊していく。

 恐怖。あの姿を見れば誰しもが恐れるだろう。怒り。ヤツに追いかけ回され、逃げるしかない現実に。

既に口中には鉄の味が広がっていて疲労の色を示し、大腿部は乳酸が溜まっているのが分かる。

が、ヤツは待ってくれないようだ。

時折見える小窓にはヤツの姿は見えない。

 それでも先程姿を見た時と同じように、背中に冷水を流し込むような怖気が、じわじわと染みてきている。

「誰っ、かっ、誰か、いないのか!?」

 幾度目かの質問には同じく反応は無かった。畜生。居る訳ない、知っているはずだ。この塔は街のシンボルマークであるが、であったが正しいのか、廃墟で街の片隅に建っている。

 皆見慣れていてしまって、ここら辺りの人なら気にも留めない。要するに寂れているのだ。

この塔も、街も、人も。

 だが、追いかけて来るヤツとは全く面識がない。

 少なくとも関わりのある生活はしていなかっただろう。というかヤツと関わりある生活って

どんな生活なのか?知りたくもない。

 帰り道にヤツと出くわし逃げている最中、いつもは閉じている塔が扉を開けてこっちおいでしていたのだ。

 咄嗟に逃げ込んだはいいが助かるのであろうか?

 いや助からなければ困る。

 自問自答は終わらないものの、ようやく最上部に着いたのだが、

「どうするんだ!?籠城しようにも何もないじゃないか!何も…ん?」

 何もないことはない、いや、誰もいないことはない。壁に背を預け座り込み大口を開けている先客がいた。そう、確かにいたのだ。

 既に骸となっている。全身が白骨しているのを見ると長い年月の経過を覗わせる。

 こんな所で籠城するなんて言い出したヤツの顔が見てみたい。畜生。僕だ。

「他には?他には何もないのか?」

 彼の隣には宿主のいない絹めいた巣が張り巡らされた飾り気のない木製の一本脚の机。その上にポツリと金の装飾が美しい小箱がある。

 こんなものでどうしろと言うのだ。アンティークの趣味でも作れと言うのか?

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 声なき咆哮とはよく言ったものだが、先程は聞こえなかったが羽ばたきが近づいてくる。声の主の膂力を持ってすれば古びたレンガの壁に穴を開けるなど容易であろう。

 いよいよ八方塞がりとはこの事だ。自分も先の座り込んでいる彼みたくなるのか、それとも

ヤツに捕まり酷い死に方をするのだろうか?引き返して街に出ても明らかにヤツのスピードの方が速い。結局捕まるであろう。どちらも嫌だ。

 一縷の望み。万に一つ、億に、いや兆に一つを賭けて小箱の前に立つ。こんなものに自分の命運を賭けるなんてバカげているが、ここに何かしらの打開策があると思うなんて既に頭がおかしくなっているのかもしれない。

 箱は開いた。意図も簡単に。呆気無く。

 ヘッドホンを耳にあてがわれたかのような力強い羽ばたきが聞こえるが、それどころではないと言っている!!

 中にあるのは闇色の石。それには美しい烈火の如く紅い筋が幾本も走っていた。

「………はぁ?」

 期待を、希望を根こそぎ奪われ、最後に残ったものは、只々気の抜けた声だけであった。

 一時もせずに小さな窓から差す斜陽が漆黒に彩られ暗かった室内は完全に光を断たれた。

 それと同時だった。壁を突き抜け粉塵撒き散らし出てきたヤツが。

 もう二度と目にするかと誓った異形の存在が。

 夜の闇を纏ったような暗きゴムの様な体躯。するりと伸びた腕には鋭利な爪が。筋張ったコウモリのような翼に、異形な二本の角。そして通常顔と呼ばれる器官には何もなくただのっぺりとした闇が張り付いている。

 目の無い顔がこちらを見やる。目が無いと言っているのだが視線のようなもの感じるのは何故であろう?違う。それどころではない!

「畜生!なんでこんな事になるんだ!」

 こんなちっぽけな黒い小ぎれいな石に望みをたくした己の愚かさを痛感した。次の刹那には頭と体が別れを告げているだろう。あぁ、短い人生だった。出来れば一度だけでも…。

 そうだ、一度だけでも、こんな所で、消えてしまってなるものか!

「助かりたいですか?」

「そりゃそうだろう!!……えぁ?」

 あまりにもこの場と不釣り合いなあっけらかんとした声が聞こえ、思わず答えてしまった。

 瞑っていた目を開くと化物の心の臓腑を的確に刺し貫き、黒い液体の滴り落ちる右手を気にも留めず、燃えた石炭めいた緋色の瞳と笑みをこちらに投げかける少女がいた。


 一人の男が机に対っている。乱雑に置かれた書類は何カ国語かの報告書のようだ。

「ふむ、やはり東海岸の生き残り達は流石は古参と言った所でしょう。ほうほう、ブエノスア

イレス沖のアレはうまく片がついたようですね。後は姉様がうまくやってくれるでしょう。」

 独り言を誰に聞かせるでもなく淡々と呟いている。

「神父様、コーヒーをお持ちしました。今日はモカから良い豆が入ったので早速入れてみました。もちろんミルクもお付けしました」

「ありがとうございます、ユーリィ君。いつも悪いですね」

「いえいえ、今の我が身は神父様のお陰ですから」

 この従者。最初からそこにいたのか、影から這い出てきたかのようなといった風体。

 この主人。あたかもそれが当たり前であるとばかりに書類から目を移すという態度。

 神父と呼ばれた男は受け取ったコーヒーにミルクを入れる。黒白の混ざり合う様は意図せず芸術の様相を呈す。正にコーヒーを口に運んだその時電流が走ったかのように男が立ち上がる。

「にゃは、にゃはははははははははははは!!また、また一人目覚めた!今度はあの私か!長いこと新しい顕現はありませんでしたが、遂に!」

 フフフと、いやにゃはは、とまるで新しいおもちゃを与えられた子どもみたく目を輝かせ大きなジェスチャーで階層中に響く声を上げ喜ぶ主とそれを温かく見守る従う少年。

 しかしすぐに少年はある事実に気付き顔を曇らせる。

「神父様、お喜び中の所申し訳ありませんが、コーヒーが…」

 ん?と自らの胸元を見やると大きなシミができ、湯気が立ち昇っている。

「うあっちぃぃぃいいいいいいいい!!」

 次に響いたのは男の悲痛な叫びだった。

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