会社が始まり

熱中症だったので

 お盆休み前通りに家を出ているのに違うのは天上と一緒に住むようになったからだろうか。

 彼女は言っていた通りにマンションの駐輪場に置いてあった青の自転車で会社まで来たようだ。

 そんなこと以前までは気にしていなかった。

「柳瀬さん、おはようございます」

 それは一緒に住んでいる者が言うにはあまりに他人事で。

「おはよう」

 こちらもそう返すしかなかった。

「柳瀬さん、おはようございます!」

 と遅刻ギリギリの風沢に天上は気を取られて、もうこちらには顔を向けていない。

 それで良い。

 今日の天上の朝食は昨日買った物ではなく、冷蔵庫の中にあった卵と醤油をかけただけの卵かけご飯だった。

 お昼はどうするのかと聞けば、適当に済ませますから大丈夫ですよ! と言っていたが気になる。

 三影から何かもらうのか、それともどこかで買って来るのか。

 そもそも俺の方が早く家を出ているから何かしらを持って出たという可能性もある。

「課長、頭が痛いので帰っても良いですか?」

 そう言ったのは紛れもなく天上だった。

「ん? 熱中症かぁ? 気を付けて帰ろよ?」

「はい。たぶん……そうだと思います」

「病院行けよ?」

「はい……」

 元気がない。朝はたくさん食べれそうな感じだったのに。テンション低めのキャラではないやつか……。

「どうしちゃったんですか? 天上さん」

「んー……久しぶりの自転車だったからかなぁ……会社来て少ししてからずっと暑くて頭痛くなって来ちゃって……本当に熱中症だったら嫌だから病院行って来る」

「それで薬とか出れば良いですけどね……。外、かなり暑いからー、水分補給してましたぁ?」

「うん……」

「室内なのになっちゃうんですよねぇー、熱中症……」

「うん……」

「ひどいと点滴するって言うよね?」

 と眞志田が横から入って来た。

 五十過ぎのおじさん課長はタバコを吸いに行った。

「あー……点滴できる病院に行かないといけないんですね……」

 ぼーっと言っている。

 大丈夫か、本当に。俺が車で来てたら送ってやるのに……という気持ちになるのも一緒に住むようになったからか。

 でも、誰もそんなことになっているとは知らないし。ここは黙って見過ごさないようにしていよう。

 そんなこと考えずに仕事してます……でやっているんだし。

「ヤナさん、送ってあげれば?」

「エッ?」

 かなり唐突な眞志田の発言に俺は素で驚いてしまった。

「聞いてなかったの? 乙希ちゃん、熱中症かもしんないんだって。ヤナさん、会社の車でさ、行ってあげれば良いじゃん。免許証いつも持ってんだから」

 何で、それをこいつが知ってるんだ?! と普段ならそう言ってしまうが今日は……。

「そうだな……天上がそうしてほしいなら、そうしても良いが……」

 ちらっと本人をそこで見る。

「まあ……そうしてほしい気もしますが……そうすると明日、会社行くのに困るので自転車で帰ります……」

「乙希ちゃん、自転車なんだぁ……」

 そこで初めて知ったように眞志田は言った。

「あれ? まだ帰ってなかったの? 早く帰れー。それとも体調悪くて無理な?」

「いいえ、帰りますよ。ちょっと涼んでました」

 そう嘘でもなさそうなことを戻って来た課長に言い、彼女は一人帰って行った。

 まだ昼前、天上は本当に大丈夫だろうか。


「心配?」

「いいや……」

 たまたま午前の仕事が同じタイミングで終わり、眞志田と一緒に昼ご飯を食べることになってしまった。

「乙希ちゃん、大丈夫かなぁ?」

 さあな……と言いつつ、食堂の人達が何を食べているかは気にせずに、天上からは何も連絡が来ない……と気になっている自分に気が付いた。

 でも、そうだよな……この時間じゃあ、病院だって昼休みでやってないよな……と思ったりもして、黙々と会社の食堂で魚定食を食べている。

「乙希ちゃんも大変だよねー」

「何が?」

「自転車、スカートだから大変ってことで更衣室で着替えてるんだってよ、家出る時はスカートじゃないんだって。帰る時もそのスカートを一度脱いで漕ぎやすいのにするんだって」

 その情報はどこから入手したのか。

「ご苦労なことだな……」

「そういう更衣室の使い方をしている女子社員も少なからず居るって、風沢さんが言ってた」

 風沢情報か……。

「だったら、ずっとその朝出た時の格好で良いんじゃないのか?」

「そうすると何か嫌なんだってよ。スカートの割合多いじゃないですか! ここって言ってた」

 そう言って眞志田はコンビニで買って来た弁当を食べる。

 何となく、健康に悪いと思ってしまってコンビニの物を食べたくない俺にとって、それはとても目に付くもの。

「眞志田は午後、どうするんだ? 帰りたい気持ちがあるとかって言ってなかったか?」

「そうだねぇ……でも、やらないといけないしなー……。休み明け初日でもう帰るじゃ、これから先やっていけないしねー……」

 とまた一口食べた。

「……」

「あ、ヤナさんも食べる?」

「いらん!」

 俺はそそくさと食べ終わっていた食器を返し、食堂を出て、一人のんびりすることにした。

 天上が居ないからこんなやきもきせずとも良いのに、何故やきもきしているのか……。

 帰って、さらに具合悪くなってたら、俺が何かしなくちゃいけないのだろうか。それって、俺が作った物を食べさす…ということで。それは願ったり叶ったりだけれども、うわぁ……こんなのも作れるんですね……という目で見られ、引かれたりしないだろうか……。

 過去の経験上、悪い予想しかできなくてのんびりすることを断念した。

 仕事の事だけ考えよう、今は。


 今日は休み明け初日だから定時で帰ろう! という皆とは違って、心配だ……という思いから俺は定時で帰ることにした。

 ここまで天上からの連絡は一切なく、こちらから連絡することでもないとすれば、何が正しい行動なのか。

 塩飴の差し入れでもすれば良いのか……。

 それを買う為のコンビニに行くことを止め、家にさっさと帰ることにした。

 そうすれば居るはずだから。

 ――ただいまー……なんて言いはしない。付き合っている彼女ではないし、家族でもない。こうなることは予想していた。

「おっ?!」

「あ、お帰りなさい。柳瀬さん」

 玄関を開けたら、どこかに行こうとするラフな格好の天上に出くわした。

「まあまあ元気そうだな」

「そうですね」

「病院は? 点滴はしたのか?」

「いやぁ、そこまでは。薬はもらいましたけど、頭痛時の」

「頓服ってことか……」

「はい、なので明日からは普通に出勤できます!」

「そうか、良かったな」

「はい!」

 疲れていた俺はそのままスッと自分の部屋に入って、早くスーツを脱いで楽になりたかった。

「柳瀬さん」

「何だ?」

「あの、ちょっとお願いしたいことが……車出してくれません?」

「え?」

「買い物したいんです。熱中症対策の水と飴買いたいんですよ。でも、自転車だと遠いし、帰って来る時、重いし」

「どのくらい買うつもりなんだ?」

「柳瀬さんの分も! なんて……ダメですよね、分かってます。一人で行って来ます」

「いや! 俺も行く。気になるからな、そこまで健康に気を付けるようになるとは」

「え? 私、そんなに不健康に思えます?」

 ああ……とは言えなかった。

 食べている物、あれは何だ? と言えない。

 少し待て、スーツ着替える。と天上を少し待たせ、俺も同じようにラフな格好で出掛けることにした。

 遠いと言っても車でなら数分。でも、熱中症らしき人物からしたら、その距離も長く感じてしまうんだろうか。

「あっ、柳瀬さん、待ってましたよ! シルバーの車ですよね?」

「ああ……」

 俺は車の鍵と免許証を持って出る。

「あ! 柳瀬さん、お財布持ちました?」

「は? 財布?」

「はい、今日、病院行ったら思いの外、お金使っちゃって」

 あれか? 初診料高いから?

「金がないと?」

「そうなんですよ」

「でも、買いたい? 嘘を言うな。使いたくないだけだろ? 自分の分しか買わなくて良いから」

「えっ、でも、柳瀬さんもそうなるかもしれないですよ。お医者さんが言ってたんです。家出る前からこういうの飲んで出なさいって」

「自分の心配だけしてれば良い。俺だってそうする。自分の心配しかしてないよ」

「じゃあ、私が彼女だったりしたらどうです? それでも心配はしません?」

「する。ちゃんと付き合ってる子ならな」

 財布を持たずに俺は外に出た。

「柳瀬さん、ちょっと」

「まだ何か? 車出してもらうだけありがたいとか思えないのか?」

 何でこんなに強く言ってしまうんだろう。そう言う天上は初めてじゃないのに。

「ほ、本当は……買いたい物があるんです。でも、まだ買えなくて……」

「それは来月だかにある月見のせいか?」

「そうですよ! とは言えませんね。私、今、部屋に何もないんです」

「知ってる。運んだからな。本当にこれだけかと思ったよ」

 家具と呼べる物はなく、敷布団とノートパソコンだけであとは服しかなかった。

 だから自分の車だけで何とかなったが。

「自転車はどこかに置いてあったのか?」

「はい、あの英語じゃない外国語が書いてあるプリントシャツくれた人の所に置かせてもらってました」

「ああ、フランス語な」

「え?」

 まあ、それは良いと俺は話を続ける。

「それで行くのか、行かないのか?」

「行きますよ! 処分したんです。一新したくて! 引っ越しを機にずっと、数年前から使ってたやつ嫌だったんで。それでどんなのが良いか悩んでたら決められなくなって」

「じゃあ、さっさと買えよ。そんで今、何が大切か考えろ」

「えっと……熱中症対策です」

「そうだな」

 気が抜けたのだろうか。

 うわ、何だ……今の!

「柳瀬さん……優しい……」

 口調が!

 彼女の言う通り、慈しむような感じになってしまった。説得納得そんなことの為に!

「柳瀬さんのベッドに入ってしまえば、ベッド買わなくても良いのに」

「エッ?!」

「冗談ですよ。好きでもない人と一緒に寝たって何にもならないですよ」

 あっけらかんと彼女は俺の車を探し出し、乗り込んだ。

「天上……」

「はい」

 運転席に座り、俺は言う。

「会社では言わんこと言わないでくれないか?」

「会社じゃないから言うんじゃないですか。好意があったら、最初から好きです! って言うし、お金の為に同居させてください! なんて言いませんよ! 仕事の事も会社じゃないから言いません。その方が良いでしょ?」

「ああ……」

 慣れている。そう思ってしまうのは何故だろう。

 違和感? それではない何かが彼女にはあって、それはここまで生きて来た彼女の何かしらが影響していて。

「店、閉まっちゃいますよ?」

「ああ……そうだな……」

 俺は天上に促され、近くのスーパーに行き、熱中症対策の為に普段飲むのもそれにしようとする天上を止め、会社で飲むだけにさせ、塩飴を数種類買い、また家に帰って来た。

「はぁ……疲れた……」

 正直に言って、こいつのご飯が俺は気になるだけだ! だから言ってしまう。

「食欲は?」

「ありますよ」

「そうか……」

「何か食べさせてくれるんですか?!」

「いいや、作れなさそうだったら何か……と思ったが、元気そうだしな」

「それじゃあ……冷蔵庫の中、見させてもらいますね」

 そう言って彼女は数秒見ていたが食べたい物がなかったのか、冷蔵庫から離れ、何かないかと探し始めた。

「ご飯ないんですね……」

 そう言って、食パンを見つけたようだった。

「あの、ハチミツあります?」

「そこに」

 それを見つけた彼女は言った。

「巣?」

 俺の買って来た巣入りハチミツに最初は戸惑っていたが、意を決したのか小さいスプーンで一口、その巣を瓶から出して食べた。

「お、美味しい……」

 思ってもみなかった感想……。そんな風に彼女の顔はなっていた。

「美味しいだろ? それ」

「はい! お高いですか?」

「そんなの気にせず、食べろ」

「はい……」

 悪い癖だ。天上の。

「焼いて、バター……」

 それを想像して美味しそうな顔になる。

 それを見るのが好きだ。

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