おでんの前に

 あんな事があっても普段というものは変わらず来るのであり、いつも通りの仕事後、近所のスーパーで夕飯の為の買い物を終えての事だった。

 マンションの駐輪場に見慣れないシティサイクルが一つある。

 茶色のカゴ付き自転車……。

「天上か?」

 家に帰ると居た。

 彼女はもうラフな格好に着替えていて、とてつもなくこたつの中で寛いでテレビを見ている。

「あ、お帰りなさぁーい! 柳瀬さん」

 気付いて、のほほんと言って来たりして。

「出来上がってはいないみたいだな」

「出来上がるって何がですか? あっ! 冷蔵庫の中のボジョレー・ヌーヴォーですか?! 辛口の赤ワイン! 何かもらっちゃったんですよ! 昨日、飲まないからって。ソーダ割りにしようと思ってたんです。たまたま会った昔の隣人さんに感謝ですね」

「いや……」

 ソーダなんてあったか? と思ってしまう。

 そのままキッチンへと向かい、冷蔵庫を開けてみる。

 朝、見たままのボジョレー・ヌーヴォーが野菜室に一つある。

 まだ開けてない。ソーダもない。冷蔵庫を閉め、言う。

「お前、自転車買ったのか?」

「えっ、あっはい……、今日も早く帰った理由はそれで……。今まで使ってた青の自転車壊れちゃったんで」

「そうか……、お金は大丈夫か?」

 夕飯の準備をする前に着替えるか……と考えながら訊く。

「はい、まあ、今まで使ってたのが元カレ……というか、婚約者だった人のなんで、まあ、大丈夫です。はい、痛い出費ではないです」

「そうか……」

 部屋に行こうとしていた足が止まった。

 ん? 今、さらっと……。

「大事な自転車ではなかったので良いんですよ」

「お前……」

「はい?」

 きょとんとしている天上の方をくるっと驚いて機敏に向いてしまった。

「婚約者がいたのか?!」

「はい。でも、別れましたよ。同棲までしてたんですけどね……。浮気してたんですよ! あいつ!」

 ビックリマークがもう一つ付きそうなくらいの強い言い方に話を聞きたくなった。

「どんな奴だったんだ? そいつ」

「犬みたいな奴です! 外見は可愛い愛犬みたいな感じなのに、中身はオオカミ通り越して人食い熊みたいな感じ!」

「それはひどいな……」

「ハイ!」

 興奮する前に話を変えるか……。

「夕飯は食べたか?」

「え? 食べてません。まあ、何ですか……柳瀬さんの作る良い匂いをおかずに白いご飯でも食べようかと思って」

「それは……」

 自転車、新しく買ったからか?! とは言えず、困ってしまった。

 だから、ソーダも買えなかったと言うのか。

「あー……今夜はおでんなんだが……食べるか?」

 数日前に作ったミカンとクリームチーズを包んだ生ハムおつまみは食わせた! という気にはなれなくて言ってしまった。

「エッ! いえ、良いですよ……お金ありませんから」

 白状した。

「そうか。だけど、今日は多めに作るし。お前、この前、美味しい! って言って食ってただろ? ミカンとチーズのやつ」

「はい、まあ、美味しかったですよ。他のも美味しいんだろうなぁ……とか思っちゃいました。柳瀬さんの作る料理ってどんなのかなーって」

 はっきり言う。

「でも、大丈夫なんで! 匂い! 匂いだけ味わわせてください!」

「え? まあ、良いけど……」

 何だよ、また食わせる機会潰しちゃったんじゃないのか? 俺、自分で。

 リンゴにしても美味うまいんだぞ? って、言う所じゃない。

 今夜も、天上にご飯を食べさせることはできなかった。

 それなのに、ぐきゅるるーという彼女の大きなお腹の音は恥ずかしさを通り越して悲しさを増した。

「天上……」

「はいっ!」

 彼女は少し恥ずかしそうにビクッと肩を上下に動かしてから、こちらを見る。

「食えよ、ちゃんと。ご飯……」

「はい……」

 それしか言えない。

 その場を取り繕う意味でも一旦、自分の部屋へと行き、スーツから夕飯作りに適した格好になる。

 まあ、天上のようなもこもことしたような物を着る気はない。

 寒そう! そんな薄いので大丈夫ですか? とか言われても気にせずにいられるぐらいにはエアコンが効いているし、天上のことを気遣わなくなってきた。

 戻って来た俺に開口一番、彼女は言った。

「あっ! 柳瀬さんもワイン飲んじゃってくださいね? 早く飲み終わりたいし」

 その発言で俺の気掛かりは終わりを迎え、今から作るおでんの残りは天上の明日の朝のご飯のおかずにでもなれば良いと思えた。

 強情なままの彼女は必ず、手を付ける。

「さて、作るか……」

 そう言ってキッチンに行き、俺は作る。

 全ては天上の為? いや、最終的には天上の方になる! と思えば、具だっていろいろ入れてみたくなるもんだ。

「わぁ! 餅巾もはんぺんもウインナーまであるじゃないですかっ!」

 匂いを嗅ぎに来た天上に言ってやれる言葉は……。

「残念だったな! こんなのを食べれないなんて!」

 とても子供じみていた。

 少し演技っぽい言い方になったし。

 でも、こうして、少し意地悪な感じの上司の方が向こうも何だよ……と甘えて来たりはしないだろう。

「良いです! 私は私の楽しみ方で、そのおでん楽しみますから!」

 と会社では見せない強気な顔で言って来た。

い気になるなよ? 見ろ! ロールキャベツもだ!」

「アーッ! ソレ! 絶対、コンビニの真似!」

 うるさい。他にも入ってる。

 俺は密かに思っていたのだ。

 どうしたら、天上がこのおでんを食べるのか。

 それはこいつが好きそうな具を入れるのが一番だと気付いた。そして、これまで見て来た天上の食べ物を思い出し、これなら食べるだろう……というのをわざわざ今日、買って来たのだ。

「ああ……何で……何でタコとじゃがいもまで入れてるんですか? うそ……食べたい……大根も卵も」

 定番のばかり……とならずに済んで良かった。

 それにその顔が見たかったんだ。

 今にもよだれがダバダバと垂れて来そうな感じの目がキラキラとしている顔、すごく良い。

「ああ……こんなに食べれるかなー……」

 とまだわざとらしくやってしまう自分も自分なのだが。

 天上の言う自分なりの楽しみ方とは何だろう、気になる。

「あの、柳瀬さん」

「ん?」

「撮っても良いですか? おでんの具」

「は?」

「それで思い出します。ああ、あの時の匂いとかあの時、食べたかった物って」

 じゃあ、食えよ! って言いたい。心から叫びたい。

 だけど。

「良いぞ、撮れ」

 グッと我慢して冷静に言い放った。

 これほど酷な事はない。

 本当に食わしたい奴に俺、何やってんだろう。

 それに……食べ物の事を思った時の天上の顔が良いだなんて……どうかしている。

「はあ……待っててね! おでんさん達!」

 彼女はそう言って自分のスマホを取りに行った。

 とうとう、おでんに『さん』付け。

 少し呆れながら待っているとカシャカシャと撮り始めた。

 待つ俺も俺だ。

 どうしてすぐに止めろ! と言わないのか。

 自分でも分からないうちにこいつの事を少し認めているのか。

 俺は本当、どうかしている。

「どうしたんですか? ハッ! まさか、邪魔でした? まだ何か入れたいとか?」

「ないよ。早く食いたいなって思ってただけだ」

「そうですか。でも、まだ味染みてないんで待った方が良いですよ」

 言われなくてもそうするよ! と俺は天上が見ていたテレビの音を聞く。

 もうクリスマス関係の事をやっているようだ。

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