お盆休み中

引っ越し蕎麦

 それから数か月後のお盆休み中、彼女は俺が運転する車で家にやって来た。

 荷物が少ないからとお金を使わずに済むなら! ということでだが。

「うわぁー! 噂通り、広いですね! 間取りって?」

「確か……2LDKとサービスルーム……だったかな?」

「へぇ……、何年ぐらい住んでるんです?」

「数年は。で、天上の部屋だが、俺が書斎で使ってた所にするから」

「はい!」

「そこのリビングの、ソファーの横、入ってくれれば分かるが、窓はあるし、二番目に広い」

「一番目は?」

「俺の部屋だ。ベッドぐらいしかないが、玄関に一番近いから。あとはその間の一番狭い部屋は俺の書斎として使う」

「はい。あの、柳瀬さん……」

「何だ?」

「私、今日からここで住まわせてもらうので何か決まり事とか……」

「ああ……決めよう。天上もその方が良いだろう? 俺達は恋人同士じゃないし、結婚もしてない。言わば、フリーの独身同士だ。違うか?」

「そうですね……じゃあ、言わせてもらいますけど、ご飯と洗濯、これだけはお互い口出ししないようにしましょう! 私、細かいこと言われるの嫌いで。洗剤はコレ! とかないんですが、たたみ方こうだろう? とか目玉焼きにはコレ! とか、そういうのが本当無理で、好き勝手にしたいんです!」

 熱く語られてしまった。これでは何の為にコイツと住むか分からない。俺はコイツの食べる物をもっと良くしたいだけなのに。

「……分かった。あと、風呂の時間は決める。変態! とか言われたくないからな」

「変態なんて言わないですよ。あ! 洗濯機は別に同じの使って良いですよね?」

「ああ……、天上が良いならな」

「そこは大丈夫です。耐性あります! あと問題は……お金! お金の方は……きっかり半分ですか? 冷蔵庫に入れる物も」

「まあ、それに関してはメモ書きしたりして何買って入れてるとか使いましたとかしとけば良いだろう? コレ使ったな? って、怒る気はないよ」

「でも、お金は徴収されますよね?」

「使った量によるな……。まあ、基本、好きに使って良い。自分で食べる量に見合ったのを頼む」

「はい! あと……」

「何だ? 洗濯物を干す所は」

「それも大丈夫です! 部屋干ししますから!」

「そうか……それで良いなら良いが、他に問題が?」

「荷物、運ぶの手伝ってください……」

「分かった」

 彼女の荷物は本当に少なくてすぐに終わった。ダンボール五個で済むなんて。

「まあ、のんびりしろ。これからよろしくな」

「はい! よろしくお願い致します!」

 と彼女は頭を深く下げた。

 さて、そんな事をしていたら、もう昼の時間になっていた。

 天上との初めての食事。何を食べるべきか。

「引っ越し蕎麦って」

「ん?」

「自分が食べるのじゃなくて、ご近所さんに配る蕎麦のことを言うんですよね?」

「ああ……そんなようなことだった気がする……」

 そう言って、自分の部屋から出て来た彼女の格好はとてもラフで、手にはどっかのスーパーで買って来たらしい蕎麦の袋が一つあった。

「それ……、天上?」

「はい」

「その、格好……」

「あー、ダメですか? やっぱり……。でも、私、いつもはこんな格好なんです! プリントシャツとステテコ! これが最高なんです! さっきまでのがちゃんとしなきゃ! で。普通、皆こんな格好です。好きな男の前だけですよ、ちゃんとしたオシャレな感じ出すの」

 あっけらかんとしている。

 つまり、彼女は俺のことが好きじゃないというわけで、それはこちらもそうだ。

 同意の上、同意の上でこうなっている。

「天上は何か食べ物を持っているようだが?」

「あ! そうなんですよ! よく気付きましたね! でも、これ、茹でないと! それにこれ、その柳瀬さんに渡す分でして。これからお世話になりますと……。他の方の分も用意したかったんですが、柳瀬さんが言ったんですよ!? 挨拶は隣近所にしなくて良いって! だから」

「あーはいはい、言いました。で、それを俺はもらうことにして、お前は何を食うんだ?」

「あの……それがですね……この際だからとカーテンとか布団とか新調したら、お金がなくなりまして、あの、そのお蕎麦、少し分けてもらって良いですか? 明日から、いや! 今日の夕飯からはたぶん、生きていける範囲で食べないという選択を」

「はぁ……、分かった。茹でるだけは茹でてやる。全部な。ただし、それ以外は何もしないから、冷蔵庫の中やら、そこら辺の物、自由に使って良いから好きにしろ。それがルールだ」

「もう施行しこうされるんですか?!」

「じゃあ、いつ施行されるんだ?」

「今です」

「だろ?」

 俺はそう言いながら、今日の昼食の準備をし始めた。

 そうだ、まずはただ麺つゆと一緒に食べるだけじゃない蕎麦にしよう。

 肉蕎麦だ、冷たい肉蕎麦。この暑さに合うだろう。

 そして、天上の心をちょっと掴む!

 いや、心じゃなかった。胃の心と書いて胃心いしん、そう! 維新こそが大切! 『天上の胃心』が重要なんだ!

「あの、柳瀬さん……」

「何だ」

 そう言って、動かしていた手を止めた。

「柳瀬さんのようなエプロンさえもない私はどうすれば良いでしょうか、今後」

「買え、給料入ったら。別に俺はエプロンしなくても汚れなければ良いんじゃないか? と他人事ひとごとのようには言えるがな……。気にするくらいなら買えって話だ」

「はい……」

 落ち込んだらしいが、それよりも気になるのは天上の着ているプリントシャツの字だ。フランス語だろうか、今、和訳検索してみるか――。

 何だ、あれは『食べない、食べない! けれど私は食べたい! あなたのそれを』って!

 どっかの何かの歌? 呪文? 俺への嫌がらせ? アイツは意味分かって着てんのか? 英語だったら一発で分かってしまうだろ!

「天上、その……」

「何ですか?」

「その服、どこで……プリントシャツはどこで買ったんだ?」

「え? もらい物ですよ。ずっと前に住んでたアパートの隣人の外人女性からもらいました。彼にもらったんだけど、私、着ないからって。タダでサイズも合ってたし、それからずっと着てるんです。部屋着として」

「外には着て行ってないな?」

「はい……え? 変ですか? 何て書いてあるのかは分からないけれど、良い感じの色合いと文字感で私は気に入っているんですけど……あと赤いリンゴが左下にワンポイントであってかわいいじゃないですか」

「ああ……」

 その意味の象徴とか、そういうのは気にしてないのか……なら、良いか。

 そういうのは言わないと決めたわけだし。

「あの、柳瀬さん」

「何だ?」

「手伝い必要ですか?」

「いらない」

 そこがいけなかったのだろうか。

 天上は俺が作った物を見て言った。

「美味しそう! 肉とネギ山盛りの蕎麦……だけど、私は海苔と少しのネギがあれば大丈夫ですから! 柳瀬さん、そこの山盛り蕎麦から二掴みください! そして、お金の計算お願いします! 毎月払う私の金額、柳瀬さんが決めてください!」

「まあ、良いが……」

「いただきますね!」

 そう言って、天上は本当に全て茹でた蕎麦からそれだけ取ってダイニングに行った。

「どこ座れば良いですか?」

「どこでも。好きな所で良い」

「じゃあ、こっちにしようかな……」

 ダイニングテーブルに麺つゆと蕎麦の入った茶碗を置き、彼女が座ったのはリビングに近い方の廊下側。俺はその向かいに座ることにした。いつもそこに座っていたから当たり前だったけれど、こうしてみると何だろう。

 女性とこの家で食事をする時は天上の位置に座っているな……と思い出された。こっちに座るのはいつも付き合って来た女性達。料理のおかわりの為に座っていたんだった。

「蕎麦はそれだけで足りるか?」

「いや……お金のことを思うと……それより、柳瀬さん! 椅子四つもあって、一人暮らしですよね?」

「そうだが?」

「誰か来たりとかするんですか?」

「ああ……友達とか。でも、たまにだし。天上が思っているような女性は来ないから安心しろ」

「そうですか……」

 彼女は食べ出す気がない。

「茶碗は持って来てるんだな」

「はい、他にもありますよ! お箸、お椀、平皿、深皿、スプーン、フォーク……あ! コップ出して来なきゃ!」

 彼女はそそくさと自分の部屋に行き、そのコップを取りに行ったようだ。

 彼女のダイエット宣言は聞いたことがない。痩せる必要性のない体型。俺だってダイエットは考えられない。ダイエットをすればどうした? と心配されるだろう。

 だからって、これでは何だか……。

「柳瀬さん、飲み物あります? なければ水で」

「あるよ。水って水道水?」

「よく分かりましたね!」

「分かるさ、お金ないない人間にはその発想だろうとな」

「すごーく嫌な感じです。そんな柳瀬さんに言いたいことがあるんです」

「何だ?」

「こいつ、茶碗で蕎麦食うのかよ? って思ってません?」

「思ってないよ。そこは細かい事になるからな、言わない。だが、俺はお前に水道水を勧めたくないからミネラルウォーターをやる」

「え?! それだと……」

「大丈夫だ。俺がそうしたいんだ。お願いだから、あんまりご飯食べないだの、お金だの言わないでくれないか? それでも正社員だろう? そんなにお金使わない理由あるとは思えない。借金でもしてるのか?」

「それは……してませんが、何があるかは分からないじゃないですか! 人生」

 人生を出して来たか!

「じゃあ、こうしよう。俺だって一切口出ししないとか言われながら、ここまでいっぱい言って来た」

「そうでもないですが」

「む……、冷蔵庫の中は自由に使って良い。調味料とかも。ご飯関係については俺は甘くなろうと思う」

「それは……炊飯器の中のご飯も?」

「ああ、その方が俺の健康が保たれるから」

「つまり、柳瀬さんが調理した物全て自由に使って良いということですよね?」

「まあ……そうなるかな?」

「じゃあ、もう言いません。それでどのくらいの出費になるかは」

「言わない。それぐらいなら俺が出す。多少は含まれると思ってほしい。つまり、天上が買って来た物も俺は好きに使わせてもらうわけだが」

「あ! じゃあ、他にも言いたいことがありまして!」

「何だよ?」

「夏祭り! 明日、会社近くの所であるんですが! 柳瀬さん、来てください! 会社の皆、来るんです!」

「会社の皆?」

「はい、私、千璃ちゃん、朋乃とものちゃん、眞志田ましださんぐらいなんですが」

「眞志田?」

「はい、私達がお昼に話してたら、オレも行こうかなって言って来て、じゃあ、柳瀬さんも誘おうか! って話になって、私がその柳瀬さんを誘う係に」

「何で、お前が?」

「じゃんけんに負けたので」

 正当な理由。

「行ってくれますか?」

 そんなドキドキの緊張伝わって来そうな泣きそうな感じに言って来んな!

「分かったよ。代わりにお前は俺に付き合うんだからな?」

「え? 彼女になれと?」

「違うよ。その次の日まで休みだろ? 俺達」

「はい」

「だから、買い物に付き合ってもらう。たくさん買いたい物があったんだ。だけど、いつも一人で買えなくてな。一緒に住んで同じ物食うかもしれないんだ。そのくらいは良いだろう」

「はい……そうですね。それでどこに?」

「車で数時間、安い店に行く」

「え? 買い物にそこまで行くんですか?」

「そこで抑えたいからな。いろいろと」

「うっ……何も言えない。それって、これからずっとですよね?」

「そうだな。お前が嫌でたまらなくて、やっぱり食べないで生きていきます! というなら考えるが?」

「う……そうするとお祭りに行ってもらえないかもしれない……だったら、行きます! 私、年中行事は大切にしたい人間なんで!」

 どんな理由だ。

「なら、決まりな」

「あ、はい……。じゃあ、食べて良いですか? 夜のご飯もその山盛りお蕎麦食べるんで」

 自分が持って来て、人に渡したのを……。まあ、良い。食べないよりは良いから。

「俺もそうする。早く蕎麦を片付けたい。じゃないと買い物に行って困るからな」

「さしずめ、私は冷蔵庫の中を食べて片付けたり、荷物持ちってことなんですね」

「不満か?」

「いいえ、住まわせてもらって、ご飯まで……ありがたい話です」

 彼女は感謝して食べ出した。

「やっぱり、極力は自分でやって行きたいので柳瀬さんに頼ってばかりも」

「そこら辺は天上の言い出した通りにすれば良い。今だって、こっちは冷たい肉蕎麦でお前は……もう食べ終わったのか」

「はい……夜、いっぱい食べても良いですか?」

「良いけど」

「ありがとうございます!」

「会社では無口なお前が、ここじゃあ、そうでもなくて普通にいっぱい話してて、俺は驚くよ」

「え? ああ……だって、会社って何だか嫌なんですもん。無口でいた方が気楽で良いじゃないですか。巻き込まれるのはゴメンですしね、口は災いの元ですよ」

「そうか……」

 それであんなキャラを演じているのか……というか、こいつ、俺にすげー今、いろいろさらけ出してないか。

「天上」

「はい?」

「食器は自分で片付けろよ?」

「分かってます! 明日の夏祭り、よろしくお願いします!」

「ああ……」

 そんな感じで彼女のご飯は自由とちょっとの工夫で変わり始めた……ように思えた。

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