自動販売機の前

 暑い夏はまだ始まったばかり。

 昼に食べたハンバーグ定食はまあまあな味だった。

 自分で作ったハンバーグの方が良いと思う方ではないので、何も言いはしないが、三影が喫煙室から出て来た。

「すみません! 柳瀬さん。タバコ嫌いでしたよね?」

「あ、ああ……」

 それは彼女を振った俺の理由だった。

 タバコを吸う女は嫌いだ――それをまだ覚えてる。

「先日に頼まれた事、実行してますよー」

 とわざわざ教えてくれるのはこちらからお願いをしたからだ。

 たまたま今日みたいにこうして二人だけの自動販売機の前で天上乙希の昼食だけでも何とかならないかと。ストレスチェックや健康診断の結果が悪かったのはどう考えても天上の食べている物を見てしまうこの目ではあるが、それをずっとつぶっていれば仕事など出来るはずもなく、美味い物を食べさせてやってくれないか? 体に良さそうな……その分、何か奢るから――と。

「それが一度は好きになった柳瀬和紀やなせかずきの願いなら、しょうがない! って感じでしたが。あれから再検査には行きました?」

「ああ……問題はなかった」

「そうですか、良かったですね……。えっと、じゃあ、戻ります」

「ああ、ありがとう」

「あ! 奢るのは無しでも良いですよ。私も気にはしてたんで、乙希のご飯」

 そう言って、彼女は去って行った。

 こういう関係にしてしまったのも俺。

 俺の責任。

 だから――。

 仕事の手を休めて、俺と同じように少しの気分転換にやって来た彼女を見る。

 手には何故か賃貸マンションのチラシを持っている。

「それ」

「え?」

 と、こちらを見た彼女は普通の女性社員。

 そう、どこをどう見ても普通。

 ボブと言い切れない長さの髪も黒のままではなく、落ち着いた茶髪。

 顔もまあまあで化粧もそれなりにし、女はオフィスカジュアルというのも軽く合格している。

 男の人はスーツで大変ですね! と言う風沢の隣でいつもテキパキではないにしても、それなりに頑張っていて、ミスもほぼない。

 妥協できる女。

 そう、食べている物だけが変な一般女性だと思う。

「引っ越しか何かか? 天上」

「はい、まあ、このチラシは今、そこでもらった物なんですけど」

 誰から? と訊いて良いのだろうか。

「良いのがなくて」

「そうか……」

 こいつより上の立場で働く以上、こういうのはもう聞かない方が良い。

 だが……。

「良い所、知りません?」

「知らないな」

 害となっているのはその食事……。

「今のアパートのままはないしなって……。柳瀬さんの家って、マンションですよね? 広いって噂の」

「それがどうした?」

「一人暮らしなのに大変ではないですか?」

「何が?」

「二人でやっと、ちょうど良い感じのって聞きました!」

「……」

「彼女、いるんですか? だから」

「違う!」

 俺は強く言っていた。

「一緒に住む奴なんていない! 存在してない! 健康を守る為には一緒に住むか?!」

 ――勢いとは怖いものだ。

「い、良いんですか?」

「もっと考えたければ考えろ。別に好きだったから住まわせてやろうとかじゃない。半分だ」

「え……?」

「ほら、アレ! よくあるだろう? シェア何ちゃら……とか。アレだよ。その方がこちらとしても良いしな……」

 もし、上手く行ったら結婚できるかもしれない! この人と! なんていう甘い夢はすぐに崩れ去った――というのに、甘い過去というものはまだ残っている。

「忘れたければ忘れろ。その方が俺も良い。どうかしてた。暑さのせいだな、きっと」

 うん、暑い夏、万歳! なんて言う気もなくて、俺は仕事に戻ることにした。

 それから数日、彼女からは何もアクションがなかった。

 つまり、これはもう終わった話なのだ……と思った時、俺はやっと自由になれた気がした。

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